(写真)パチンコ店 ニューOS美濃加茂店の廃墟。
2021年(令和3年)10月、岐阜県美濃加茂市を訪れました。
かつて美濃加茂市には映画館「太田会館」「太田ニューOS劇場」「太田日活シネマ」「古井劇場」の4館がありました。「美濃加茂市中央図書館を訪れる」の続きです。
1. 美濃加茂市の劇場
1.1 盛栄座
『美濃加茂市史 民俗編』(美濃加茂市、1978年)には美濃加茂市にあった劇場・映画館に関する記述があり、その一部は美濃加茂市民ミュージアムによる美濃加茂事典に反映されています。美濃加茂市民ミュージアムが主導しているデジタルデータベースも興味深く、映画館に関するデータもいくらか登録されています。
現在は美濃太田駅から駅前通りが中山道に達していますが、かつては「太田本町1」交差点までだったようです。現在の美濃加茂市生涯学習センター付近から祐泉寺まで南下する道路は明治時代からあったようで、この道路の東側に芝居小屋の盛栄座がありました。
(写真)盛栄座が掲載されている1905年の太田町家並地図。『美濃加茂市史 民俗編』(美濃加茂市、1978年)。
2. 美濃加茂市の映画館
かつて美濃太田市街地には映画館「太田日活シネマ」「太田ニューOS劇場」「太田会館」の3館が、古井市街地には「古井劇場」がありました。
2.1 古井劇場(1951年頃-1958年頃)
所在地 : 岐阜県美濃加茂市古井町(1955年)
開館年 : 1951年頃
閉館年 : 1958年頃
『全国映画館総覧1955』には開館年が記載されていない。1951年の映画館名簿には掲載されていない。1952年・1953年・1955年の映画館名簿では「古井劇場」。1956年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「若尾助産院」付近。最寄駅はJR高山本線古井駅。
美濃太田市街地から北東に約3km、山之上街道に沿って古井(こび)市街地が形成されています。JR高山本線古井駅(こびえき)の開業は1922年(大正11年)ですが、それ以前の1917年(大正6年)に建てられた洋風建築の旧古井郵便局が残っています。1976(昭和51年)に郵便局が移転すると写真館となったようです。
1962年(昭和37年)の住宅地図によると、現在の若尾助産院付近には古井劇場があったようです。
(地図)右下に古井劇場が描かれている『美濃加茂市全商工住宅案内図帳』住宅協会、1962年。愛知県図書館所蔵。
(地図)右下に古井劇場が描かれている『美濃加茂市全商工住宅案内図帳』住宅協会、1962年。愛知県図書館所蔵。
2.2 太田日活シネマ(1945年-1966年頃)
所在地 : 岐阜県美濃加茂市太田町3768(1966年)
開館年 : 明治末期(福助座)、1945年(映画館化)、1950年10月
閉館年 : 1966年頃
『全国映画館総覧1955』によると1950年10月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1956年・1957年・1958年・1960年の映画館名簿では「前進座」。1961年・1963年・1964年の映画館名簿では「日活キネマ」。1966年の映画館名簿では「太田日活シネマ」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「太田宿中山道会館」西にある「太田宿中山道会館駐車場」。最寄駅はJR・長良川鉄道美濃加茂駅。
明治末期には太田町の中新町に芝居小屋の福助座が開館。大正末期には経営者が交代して若嶋座に改称し、1945年(昭和20年)には前進座に改称して映画館化しています。1962年(昭和37年)の住宅地図には前進座として描かれていますが、1960年代の映画館名簿にはすでに太田日活シネマという名称で掲載されており、洋画の上映館だったようです。
(地図)左下に前進座が描かれている『美濃加茂市全商工住宅案内図帳』住宅協会、1962年。愛知県図書館所蔵。
(写真)時期不明の前進座。『美濃加茂市史 民俗編』(美濃加茂市、1978年)。
(写真)1985年の太田日活シネマ跡地。撮影者不明。みのかも市民ミュージアムデジタルデータベース。※著作権は切れていないと思われます
(写真)太田日活シネマ跡地にある太田宿中山道会館駐車場。奥が太田宿中山道会館。
(写真)太田宿中山道会館。
2.3 太田ニューOS劇場(1956年-1989年頃)
所在地 : 岐阜県美濃加茂市太田町3563(1989年)
開館年 : 1956年
閉館年 : 1989年頃
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年の映画館名簿では「OS映画劇場」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「OS劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「太田ニューOS劇場」。1973年・1976年・1980年・1985年・1988年・1989年の映画館名簿では「太田ニューOS」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は2015年以前閉店のパチンコ店「ニューOS美濃加茂店」廃墟。最寄駅はJR・長良川鉄道美濃加茂駅。
戦後の1956年(昭和31年)、美濃太田市街地で3番目の映画館としてOS劇場が開館。映画館名簿によると鉄筋造の映画館であり、経営者は岩木重雄です。1960年代中頃からの映画館名簿にはニューOS劇場として掲載されていますが、建物や経営者が代わったわけではなさそうで、改称の理由は不明です。1980年代には東映・にっかつ・洋画の上映館でした。
(地図)中央上に太田東映が、右にOS映画劇場が描かれている『美濃加茂市全商工住宅案内図帳』住宅協会、1962年。愛知県図書館所蔵。
(写真)ニューOS美濃加茂店の廃墟。
2.4 太田会館(1932年頃-2002年頃)
所在地 : 岐阜県美濃加茂市太田町4296(2002年)
開館年 : 1932年頃、1941年1月
閉館年 : 2002年頃
『全国映画館総覧1955』によると1941年1月開館。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1936年・1943年・1947年・1950年の映画館名簿では「太田館」。1953年・1955年の映画館名簿では「太田座」。1956年・1957年の映画館名簿では「太田館」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「太田東映」。1966年の映画館名簿では「太田東映劇場」。1969年・1973年・1976年・1980年・1990年・2000年・2002年の映画館名簿では「太田会館」。1980年の映画館名簿では木造1階、240席、経営者・支配人ともに亘泰弘、東宝と松竹と洋画を上映。2003年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「シンコー薬局美濃太田店」。最寄駅はJR・長良川鉄道美濃加茂駅。
1931年(昭和6年)から1932年(昭和7年)頃には太田館が開館。映画黄金期の1955年(昭和30年)の映画館名簿によると、経営者は亘竜三であり、定員700の劇場でした。1960年代の映画館名簿では太田東映という名称であり、定員は300人台で東宝や東映の上映館だったようです。
その後太田会館に改称していますが、太田会館の2階にはクリーニング店やスナックが入っていた時期もあるようです。どこかの時期で建物を建て替えていると思われますが、映画館名簿からを毎年分見ても建て替え時期が判然としません。
(地図)中央上に太田東映が、右にOS映画劇場が描かれている『美濃加茂市全商工住宅案内図帳』住宅協会、1962年。愛知県図書館所蔵。
(写真)太田会館の跡地にある駐車場とシンコー薬局美濃太田店。
(写真)太田会館が面していた通り。
美濃加茂市の映画館について調べたことは「岐阜県の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(岐阜県版)」にマッピングしています。