振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

大矢野島の映画館

(写真)上天草市立大矢野森記念図書館。

2023年(令和5年)2月、熊本県上天草市大矢野島を訪れました。かつて大矢野島には映画館「大矢野映劇」と「寿館」がありました。

 

1. 大矢野島を訪れる

九州本土の三角町から天草五橋1号橋を渡ってすぐ、天草諸島の玄関口にある大矢野島。1966年(昭和41年)には天草諸島と九州本土が天草五橋で結ばれ、天草諸島の観光地化が進みました。

架橋計画は1936年(昭和11年)に開始し、太平洋戦争を挟んで30年にも及んでいますが、計画を主導したのが熊本県会議員・大矢野町長を務めた森慈秀 - Wikipedia(もりじしゅう)です。

(地図)熊本県における大矢野島の位置。©OpenStreetMap contributor

 

1.1 上天草市立大矢野森記念図書館

大矢野島には上天草市立大矢野森記念図書館があります。2021年(令和3年)に各地の「〇〇記念図書館」を調べていた際、ウェブ検索では「森記念」という名前の由来が判明しませんでした。そこで熊本県立図書館にメールレファレンスしたところ、文献では名前の由来が確定しなかったようですが、大矢野森記念図書館にヒアリングして森慈秀に因んでいることを明らかにしてくださいました。(事例詳細

(写真)レファレンス協同データベースの事例詳細。

 

図書館内には森慈秀の写真が飾られています。図書館職員に尋ねると、大矢野町長として天草五橋の架橋を実現させたことが理由ではなく、図書館の建設費を寄付したことが理由で森記念図書館という名称になったそうです。森慈秀は3期12年務めた大矢野町長を退く際、12年間の給料全額を大矢野町に寄付し、その資金で図書館が建設されたとのこと。

(写真)上天草市立大矢野森記念図書館。

 

大矢野町立森記念図書館(現・上天草市立大矢野森記念図書館)の開館は1977年(昭和52年)。離島の町立図書館としては早い時期に建てられた図書館であり、天草諸島の中心都市である本渡市(現・天草市)の本渡市立図書館と同じ年です。現在は別の地区に上天草市立中央図書館があるため、森記念図書館の利用は少なそうですが、古い図書館にはちゃんと古い理由があります。

(写真)上天草市立大矢野森記念図書館。

 

1.2 登立商店街

大矢野島の中心集落は登立(のぼりたて)であり、1.3kmにも及ぶ商店街が形成されています。すぐそばにバス通りが並行しているため、商店街自体の交通量は少ないですが、多くの商店が営業を続けています。

(写真)登立商店街。ジパング直江本郷店などがある南部。

(写真)登立商店街。ジパング直江本郷店などがある南部。

(写真)登立商店街。中央部。

(写真)登立商店街。中央部。

 

2. 大矢野島の映画館

毎年発行されている映画館名簿によると、大矢野島(旧・天草郡大矢野町)には「大矢野映劇」と「寿館」の2館の映画館がありました。大矢野映劇は島中央部の大矢野町登立に、寿館は島南部の大矢野町中にあったようです。

(写真)大矢野町に2館が掲載されている『映画便覧 1965』時事通信社、1965年。

 

2.1 寿館(1958年頃-1965年頃)

所在地 : 熊本県天草郡大矢野町柳(1965年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1965年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年・1963年・1964年・1965年の映画館名簿では「寿館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

 

2.2 大矢野映劇(1943年-1965年頃)

所在地 : 熊本県天草郡大矢野町(1965年)
開館年 : 1943年
閉館年 : 1965年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1943年開館。1954年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年・1959年・1960年・1963年・1964年・1965年の映画館名簿では「大矢野映劇」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はスーパーマーケット「ジパング直江本郷店」。最寄駅はJR三角線三角駅

2021年(令和3年)に刊行された『天草の昭和』(樹林舎)は大矢野島にあった映画館に言及しています。この写真の場所について大矢野森記念図書館の職員について尋ねると、登立商店街にあるスーパーマーケット ジパング直江本郷店の場所ではないかとのことでした。1962年(昭和37年)の航空写真を見ると、現在のジパングの場所には巨大な建物が写っています。

(写真)1962年の航空写真における大矢野映劇。地図・空中写真閲覧サービス

 

航空写真では大矢野島の土地利用の変化も気になりました。1962年(昭和37年)の航空写真には登立商店街北西側の丘陵地に棚田が広がっているのが見え、この土地が島であることを忘れてしまいそうです。

2016年(平成28年)の航空写真を見ると、棚田は耕作放棄されて森林に変わっています。天草五橋開通によって物流には劇的な変化が生じたとされますが、1966年(昭和41年)の天草五橋開通によって自給すべきコメの量が落ちたのか、その後の過疎化による耕作放棄に過ぎないのか、気になります。

(写真)2016年の航空写真における大矢野映劇跡地。地図・空中写真閲覧サービス

 

(写真)大矢野映劇跡地にあるジパング直江本郷店。バス通り側。

(写真)大矢野映劇跡地にあるジパング直江本郷店。登立商店街側。かつての大矢野映劇はこちら側に入口があったと思われる。

(写真)九州産、天草産、不知火海産などの商品が並ぶ店内。

大矢野島にあった映画館について調べたことは「熊本県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(熊本県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

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