振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

尾頭橋の映画館

(写真)尾頭橋商店街にある和菓子屋 不朽園。

2023年(令和5年)1月、愛知県名古屋市中川区尾頭橋を訪れました。かつて尾頭橋には映画館「尾頭パレス劇場」と「尾頭映劇」がありました。また、周辺の八熊には「八熊文化劇場」が、石場町には「八幡映劇」がありました。「尾頭橋を訪れる」からの続きです。

 

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1. 尾頭橋の映画館

1.1 尾頭パレス劇場(1954年12月31日-1965年頃)

所在地 : 愛知県名古屋市中川区尾頭橋通2-35(1965年)
開館年 : 1954年12月31日
閉館年 : 1965年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「尾頭第一劇場」。1965年の映画館名簿では「尾頭ミュージック」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「バンベールNAGOYAフォレスタS」建物中央西側。最寄駅はJR東海道本線尾頭橋駅

1954年(昭和29年)12月31日、尾頭橋で2番目の映画館として尾頭第一劇場が開館。木造2階建てで300人を収容する劇場でした。当時の尾頭橋商店街には名古屋市電下之一色線の終点があり、赤線の八幡園でも賑わいを見せていました。

やがて尾頭第一劇場は尾頭パレス劇場に改称し、最晩年の映画館名簿には尾頭ミュージックとして掲載されています。1960年代前半には急激に映画観客数が減少し、1965年(昭和40年)頃に閉館。1967年(昭和42年)3月1日には尾頭パレス劇場と同一地点に、大須演芸場の経営者によって尾頭演芸場が開館していますが、尾頭演芸場は短期間で閉館したようです。

(地図)尾頭ミュージックが描かれた1965年の住宅地図。『全商工住宅案内図帳』愛知県図書館所蔵。

(写真)尾頭パレス劇場跡地のマンション。

 

1.2 尾頭映劇(1946年4月21日-1968年頃)

所在地 : 愛知県名古屋市中川区尾頭橋通2-215(1970年)
開館年 : 1946年4月21日
閉館年 : 1968年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1946年4月開館。1947年・1949年の映画館名簿では「尾頭劇場」。1950年の映画館名簿では「尾頭松竹映画劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「尾頭映画劇場」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「尾頭劇場」。1966年の映画館名簿では「尾頭映画劇場」。1968年の映画館名簿には掲載されていない。1969年・1970年の映画館名簿では「尾頭ロマンス劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ツルハドラッグ尾頭橋店」。最寄駅はJR東海道本線尾頭橋駅

映画館名簿によると、戦前の尾頭橋付近に映画館は存在しなかったようです。戦後の1946年(昭和21年)4月21日、佐屋街道尾頭橋通り沿い、尾頭市場の西隣に尾頭橋発の映画館として尾頭劇場が開館しました。木造2階建て、定員は約400人であり、後発の尾頭パレス劇場よりやや大きかったようです。尾頭橋映劇、尾頭映画劇場などの表記ゆれがあり、尾頭松竹映画劇場という名称だった時期もあります。

(地図)尾頭映劇が描かれた1965年の住宅地図。『全商工住宅案内図帳』愛知県図書館所蔵。

 

1968年(昭和43年)には尾頭映劇や尾頭市場の跡地に清水屋尾頭橋店が開店。清水屋尾頭橋店は5階建ての総合スーパーであり、長らく尾頭橋のシンボル的存在だったようです。清水屋尾頭橋店は2016年(平成28年)11月20日に閉店し、跡地にはツルハドラッグ尾頭橋店が開店しました。

(写真)尾頭映劇跡地にあった清水屋尾頭橋店。作者 : 円周率3パーセント

(写真)尾頭映劇跡地のツルハドラッグ

 

2. 尾頭橋周辺地域の映画館

2.1 八幡映劇(1955年12月-1972年頃)

所在地 : 愛知県名古屋市中川区石場町4-45(1970年)
開館年 : 1955年12月
閉館年 : 1972年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「八幡映画劇場」。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「名古屋八幡劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は五女子交差点北110mにある民家。最寄駅はJR東海道本線尾頭橋駅

(写真)八幡映劇。『名古屋タイムズ』1957年12月4日。

(地図)八幡映劇が描かれた1965年の住宅地図。『全商工住宅案内図帳』愛知県図書館所蔵。

(写真)八幡映劇跡地の民家数軒。

 

2.2 八熊文化劇場(1960年頃-1993年)

所在地 : 愛知県名古屋市中川区八熊2-19-13(1993年)
開館年 : 1960年頃
閉館年 : 1993年
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1961年・1963年の映画館名簿では「八熊東映」。1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1993年の映画館名簿では「八熊文化劇場」。1994年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ラ・ポート八熊苑」。最寄駅はJR東海道本線尾頭橋駅

(地図)八熊文化劇場が描かれた1965年の住宅地図。『全商工住宅案内図帳』愛知県図書館所蔵。

(写真)八熊文化劇場跡地のマンション。

 

 

尾頭橋にあった映画館について調べたことは「名古屋市西部の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(愛知県版)」にマッピングしています。

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