(写真)荒尾市立図書館。
2023年(令和5年)2月、熊本県荒尾市の荒尾市立図書館で開催された「ウィキペディアタウン@荒尾」に参加しました。
1. 荒尾市を訪れる
荒尾市は熊本県北部にある人口約5万人の自治体。近代から戦後にかけて、福岡県大牟田市とともに三池炭鉱で栄えた地域であり、2015年(平成27年)には荒尾市の万田坑が世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産となっています。鉱業の衰退後も大牟田市との交流が活発だそうで、熊本-福岡県境をまたぐ5自治体で定住自立圏が形成されています。
(地図)荒尾市の位置。©OpenStreetMap contributor
2. 荒尾市立図書館
2.1 図書館の移転
荒尾市立図書館は1973年(昭和48年)に開館。延床面積は789m2、蔵書数は約10万冊(うち開架約7.5万冊)であり、約40年が経過して手狭になっていたようです。2022年(令和4年)4月にはゆめタウンシティモールに現行館が開館。延床面積は3326m2、蔵書数は約10.5万冊(うち開架約8.5万冊)です。
(写真)書店と図書館が隣接するフロア。
ゆめタウンシティモールは1997年(平成9年)に開業した商業施設ですが、2011年(平成23年)にはイオンモール大牟田が開業したこともあって寂れてしまいます。荒尾市がシティモール内への図書館の移転を計画し、2022年(令和4年)に図書館・書店・カフェからなる荒尾市立図書館が開館したことで、施設全体が中高生や親子連れでにぎわうように。フロアマップを見ると、カルチャー教室や整骨院が残ってる点に寂れていた時代の名残を感じます。
(写真)カルチャー教室や整骨院と若者向けアパレル店が混在するフロア。
なお、荒尾市立図書館は紀伊國屋書店が指定管理者となっており、図書館・書店・カフェなどを総称して荒尾市立図書館と呼んでいます。図書館の蔵書検索機と書店の書誌検索機が並べて置かれており、書店部分には普通の書店にはない『荒尾市史』が販売用で並んでいるのが印象的でした。
近年の首都圏や関西圏では、郊外にあった図書館が既存の大型商業施設内に移転する例が多い。荒尾市も大型商業施設内への移転ではありますが、駅から遠い商業施設への移転というのに目新しさを感じます。全国の地方都市でこれから増えていくタイプと思われ、成功例として紹介されそうな荒尾市立図書館には今後も注目します。
(左)図書館と書店の蔵書検索機が並ぶ検索コーナー。(右)『荒尾市史』も並ぶ書店。
2.2 図書館の館内
延床面積は旧館の約4倍に増えましたが、開架冊数はそれほど増やしていません。館内を広く見渡せる低い書架を並べたこともあり、面積以上にゆったりした雰囲気を感じます。
書架が曲線を描いて配置されていることで、初めて訪れた利用者には書架の配置がわかりにくいと感じますが、「なみ」(青色)、「ゆうひ」(橙色)などエリア名と色で大まかにまとめられています。
(写真)一般書の書架。
学習用閲覧席の近くには図書館スタッフによる一箱本棚「海風アパートメント」という書架がありました。構想段階からの売りとして、郷土に関する電子書籍や漫画を閲覧できる "デジタルライブラリー" があります。
(写真)「海風アパートメント」。
図書館デザインのコンセプトは荒尾干潟であり、特に児童書エリアは床面も天井も水色で統一されています。オリジナルデザインの書架、ヨギボーのクッション、洞窟のようなおはなしの部屋など、楽しげな児童書エリアには目を見張ります。
来館者数は旧館時代の2019年度が約4万人、新館開館後の10か月が約25万人。貸出冊数は旧館時代の2019年度が約10万冊、新館開館後の10か月が約19万冊。新館効果でどの年代の貸出冊数も劇的に増えていますが、未就学児・小学生とその親世代、中学生・高校生・大学生の増え方が顕著です。
(写真)児童書の書架。
2.3 図書館の郷土資料
荒尾市には郷土資料館がないため、図書館の郷土資料コーナーに遺跡の出土品などが展示されています。郷土資料コーナーの別置資料としては「宮崎兄弟・宮崎家」「荒尾干潟」「海達公子」などがあり、ヒロシの本もありました。
(写真)郷土資料コーナー。
(写真)宮崎兄弟に関する別置資料。
旧館時代には書庫にしまい込まれていただろう資料もありました。初めて訪れる図書館ではよく昭和20~40年代の市勢要覧を閲覧しますが、『荒尾年鑑 昭和29年版』は開架にありました。この文献には1954年(昭和29年)当時の荒尾市にあった多数の映画館の広告が掲載されています。
(左)「荒尾の劇場回顧」が掲載された『歴史玉名』第17号。(右)『荒尾年鑑 昭和29年版』荒尾市、1954年。
(写真)『荒尾年鑑 昭和29年版』荒尾市、1954年に掲載された映画館の広告。(左)荒尾名画座。(中)有明映画劇場。(右)一丸館。
(地図)荒尾セントラルや荒尾名画座が描かれたゼンリン住宅地図。
3. ウィキペディアタウン
3.1 ウィキペディアタウンとは
ウィキペディアタウン - Wikipediaは2013年(平成25年)に横浜市で始まったイベントであり、その地域にある文化財や観光名所などの情報をウィキペディアに掲載しようという取り組みです。
行政や公共図書館による比較的規模の大きなイベント、民間団体による草の根活動的イベントなど、運営方法は様々ですが、一般的にはまちあるき、文献調査、ウィキペディア編集を順に行って何らかの目的の達成を目指します。関東から中国地方までのエリアでは一定の認知度がありますが、九州ではまだまだなじみがないイベントだと思われます。
荒尾市立図書館では荒尾の歴史漫画をデジタルライブラリーで閲覧することができます。市民の郷土に対する愛着を深めるために様々な企画を行っており、郷土の偉人である宮崎兄弟について広く情報を公開することを目的として今回のイベントが企画されました。目的(宮崎兄弟を知らしめること)と手段(ウィキペディアタウン)が明確なイベントは好きです。
(写真)ウィキペディアタウンの例。専門家に説明を聞く参加者。2019年に京都府京丹後市で開催された「3Qタウン Wikipedia town in 琴引浜」。
3.2 編集記事・参加者
宮崎兄弟の生家 - Wikipedia(新規) - 立項時の荒尾市宮崎兄弟資料館からイベント中に改名。2023年2月15日にメインページに掲載された。
宮崎八郎 - Wikipedia(加筆)
宮崎民蔵 - Wikipedia(加筆)
宮崎弥蔵 - Wikipedia(加筆)
会場は多目的室「みんなのへや」であり、BDSの外側ですが広義の荒尾市立図書館に含まれます。「みんなのへや」はガラス張りであり、施設内を歩く客からイベントの様子を眺めることができます。参加者は約20人であり、荒尾史談会の方、大学図書館司書、図書館関連企業の方、荒尾市内の小学校教員、シビックテック関係者、YouTuber、荒尾市応援隊長の西村赤音さんなど、様々な職業・属性の方がいました。
(左)事前に準備された文献。(右)ガラス張りの会場。
(写真)編集中の参加者。
3.3 文献調査・ウィキペディア編集
ウィキペディアタウンは9時頃から17時頃までかかることが多いのですが、今回は13時から16時までのイベントです。一般的なウィキペディアタウンからまちあるきの要素を省き、文献調査とウィキペディア編集のみを行いました。私は「宮崎兄弟の生家」グループに入り、議論の進行役や編集サポート役を務めています。
宮崎兄弟の研究者である野田真衣さんから宮崎兄弟の説明を聞き、ウィキペディアンの漱石の猫さんからウィキペディアの特徴やウィキペディアタウンの意義の説明を聞いた後、グループごとに1記事の編集を行いました。
(写真)ウィキペディアの内容に関する三大方針。
4グループの中で新規作成を行う唯一のグループということで、事前に「荒尾市宮崎兄弟資料館」という記事の骨格を準備してイベントに臨みました。資料館の歴史、資料館の展示などを分担して執筆してもらえばいい、と考えていたのですが、地元では資料館というよりも宮崎兄弟の生家として認識されているとのことで、早々に荒尾市宮崎兄弟資料館から「宮崎兄弟の生家」に改名しています。
また、建築物としての生家、建築物としての資料館、組織としての資料館といったように用語の使い方が難しく、宮崎兄弟の生家という記事の中に資料館に関する文章を含めてよいのかどうかも議論になりました。
(写真)「宮崎兄弟の生家」ではなく「荒尾市宮崎兄弟資料館」として投稿した初版。
宮崎兄弟を主題とする書籍は多数ありますが、宮崎兄弟の生家/荒尾市宮崎兄弟資料館に言及している書籍は少なく、数少ない書籍は内容が難しい。どちらかと言えば書籍よりも論文、新聞記事、雑誌などに言及される題材です。また、宮崎兄弟の生家/荒尾市宮崎兄弟資料館の公式サイトは、どのような展示があるのか分かりにくい構成となっています。
我々のグループは文献調査でかなり苦戦してしまったのですが、この施設に関する情報をウェブに増やすことには確かに意義があるとも感じました。
(写真)編集中の参加者。
(写真)編集中の参加者。
2.2 成果発表
加筆されたのは宮崎八郎、宮崎民蔵、宮崎弥蔵の3記事。イベント前には既に記事がありましたが、今回のイベントで不正確な記述が修正されたり、写真や基礎情報ボックスが追加されるなどしています。
(写真)加筆記事「宮崎民蔵」。左がイベント前、右がイベント後。写真や基礎情報テンプレートが追加されている。
(写真)加筆記事「宮崎八郎」の差分。左がイベント前、右がイベント後。不正確な記述が修正され、出典が追加されている。
今回の加筆記事では文章量よりも質の向上が意識されたみたい。「ウィキペディアの編集スキル」と「題材に対する知識」の両方がないとできない編集であり、両者が揃うウィキペディアタウンの開催意義を感じます。イベントの様子は県紙『熊本日日新聞』と地方紙『有明新報』によって取材されています。
(写真)成果発表。新規記事「宮崎兄弟の生家」。
(写真)「宮崎兄弟の記述、より詳しく 荒尾市で市民ら「ウィキペディア」編集」『熊本日日新聞』2023年2月15日