振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

三角町の映画館

(写真)三映館の建物。

2023年(令和5年)2月、熊本県宇城市三角町(旧・宇土郡三角町)を訪れました。かつて三角市街地には映画館「三映館」と「中島東映」があり、三映館の建物は現存しています。

 

1. 三角町を訪れる

1.1 三角市街地

宇城市三角町は宇土半島の先端にある町。熊本駅からJR鹿児島本線三角線を通って三角駅に至る列車が運行されています。天草諸島への起点になる町でもあり、天草五橋第1号橋の天門橋で大矢野島と結ばれています。

(写真)JR三角線三角駅

 

1.2 宇城市立図書館三角分館

三角町には宇城市立図書館三角分館があります。1995年(平成7年)に三角町立図書館が開館し、2005年(平成17年)の合併により宇城市立三角図書館に改称。2009年(平成21年)に現行館が開館し、2018年(平成30年)には分館に格下げされたようです。歴史ある町としては図書館の開館が遅め。

(写真)宇城市立図書館三角分館。

 

新聞・雑誌コーナーには三角西港に関する常設のポスター展示がありました。その裏側が郷土資料コーナーであり、地域の歴史講座などで使われたと思われる学習資料もありました。

(左)書架。(右)閲覧席。

(左・右)郷土資料。

(写真)フロアマップ。

1.3 三角西港

JR三角駅宇城市三角支所などがある三角市街地から北西に約2kmには三角西港があります。1887年(明治20年)の開港後には宇土郡役所、裁判所、遊廓なども置かれ、しばらくの間繁栄してから急速に衰退したようです。重要な建物や土木構造物が残存していることから、「三角浦の文化的景観」として重要文化的景観にも選定されているほか、世界遺産明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産にもなっています。

(写真)三角西港

(写真)旧高田回漕店。宇城市指定文化財

(写真)旧高田回漕店。宇城市指定文化財

 

(写真)旧宇土郡役所庁舎(九州海技学院本館)。登録有形文化財

(写真)旧宇土郡役所庁舎(九州海技学院本館)。登録有形文化財

 

(写真)旧三角簡易裁判所登録有形文化財

(写真)旧三角簡易裁判所登録有形文化財

(写真)旧三角簡易裁判所登録有形文化財

 

(写真)旧三角海運倉庫。登録有形文化財

(左)龍驤館。登録有形文化財。(右)浦島屋。復元。

 

(写真)三角西港 後方水路。重要文化財

(写真)一之橋。重要文化財

 

2. 三角町の映画館

『映画館名簿』によると、かつて三角市街地には三映館と中島東映の2館の映画館があり、三角町域では郡浦にも映画館がありました。

(写真)『映画便覧 1960』時事通信社、1960年。

(写真)『映画館名簿 1973』時事映画通信社、1972年。

 

宇土市立図書館三角分館にある学習資料のファイルには、熊本高専の時松雅史教授が作成された「昭和30年代三角町商業地区の様子」という地図がありました。「三角東港周辺の街並み形成について」『不知火海球磨川流域圏学会誌』2007年、11巻1号の一部分でしょうか。栄町には三映館、中島東映という2館の映画館も描かれていますが、旭通りに描かれている太陽劇場という施設が気になります。

(写真)時松雅史「昭和30年代三角町商業地区の様子」。宇城市立図書館三角分館所蔵。

(写真)航空写真における三映館と中島東映の場所。地図・空中写真閲覧サービス

 

2.0 太陽劇場(劇場)

「昭和30年代三角町商業地区の様子」によると、役場通りと直行する通りとして旭通り-土手町があり、旭通りの北側には太陽劇場という施設が描かれています。映画館名簿には掲載されていない施設であり、演劇場だったのかもしれません。跡地と思われる場所には大きな空き地があります。

(写真)時松雅史「昭和30年代三角町商業地区の様子」。宇城市立図書館三角分館所蔵。

(写真)太陽劇場跡地と思われる空き地。

 

「昭和30年代三角町商業地区の様子」によると、役場通りと土手町の交差点北東側には赤線があったようであり、現在は空き地となっています。交差点北西側にも古びたバラック建築があり、これらは道路面より数メートル低い河川敷に建設されていることから、赤線も似たような建築だったのかもしれません。

(写真)土手町。中央奥の空き地に赤線があったと思われる。左はバラック建築。

(左・右)旭通り。

 

2.1 中島東映(1947年6月-1964年頃)

所在地 : 熊本県宇土郡三角町(1964年)
開館年 : 1947年6月
閉館年 : 1964年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1947年6月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「中島劇場」。1955年の映画館名簿では「中島映劇」。1958年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「中島東映」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ワーフ1」など。最寄駅はJR三角線三角駅

後述する井芹葬祭の方には中島東映の話も聞きました。

三角町には2館の映画館があった。すし錦から線路と国道を渡り、吟将製菓の北側に中島東映があった。吟将製菓は古くから営業している和菓子屋なので、何か話を聞けるかもしれない

1967年(昭和42年)の航空写真にはこの場所に巨大な建物が写っています。跡地にはマンションなどが建っています。なお、時間が早かったせいか吟将製菓のシャッターは閉じていました。

(写真)中島東映跡地のマンション。

(写真)中島東映跡地近くを走るJR三角線の列車。

 

「昭和30年代三角町商業地区の様子」には、中島東映があった場所に中島百貨店が描かれています。中島百貨店の内部に映画館があったのでしょうか。なお、中島は地名ではなく経営者の姓です。映画館名簿によると中島東映の経営者は中島藤助、支配人は中島健吉。経営者の姓を名称に用いる映画館はそれほど多くないのですが、経営者の姓を名称に用いる百貨店は珍しくないため、中島東映がある施設は当初から百貨店形態だったのかもしれません。

(写真)時松雅史「昭和30年代三角町商業地区の様子」。宇城市立図書館三角分館所蔵。

 

2.2 三映館(1947年4月-1972年11月)

所在地 : 熊本県宇土郡三角町波多(1973年)
開館年 : 1947年4月
閉館年 : 1972年11月
『全国映画館総覧 1955』によると1947年4月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1964年・1965年の映画館名簿では「三映館」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「三角三映館」。1974年の映画館名簿には掲載されていない。「肥後銀行三角支店」南東200mに建物が現存。最寄駅はJR三角線三角駅

私は各地に現存する映画館建築を一つでも多く "発見" して記録しようと試みています。

1969年の映画館名簿によると、三映館の所在地は宇土郡三角町波多239。この番地をGoogleマップに打ち込むと、すぐ南側に巨大な建物があるのが気になり、Googleストリートビューで見ると映画館のように見えました。三映館についてGoogle検索しましたが情報はゼロ。リニューアルされた国立国会図書館デジタルコレクションに打ち込んでも何も出てきません。唯一、豊田市中央図書館が所蔵する『三角町史』は三映館に言及していますが、正確な所在地や跡地には触れていません。

(写真)三映館の建物。

 

現地を訪れて建物を眺め、入口から内部を見て映画館だと確信。建物所有者の井芹葬祭の方(40代?)にも話を聞くことができました。はす向かいにある井芹葬祭の倉庫として使用されています。

この建物は三映館だった建物である。内部の仕切りの奥に舞台があった。映画館に2階席はなく、2階に上る階段は後付けである。切符売場の背後には螺旋階段があり、この階段で映写室に上れるようになっていた

建物前の通りを歩いていた女性にも話を聞くと、小学生の時に入ったことがあるとのことでした。

(写真)三映館の建物。

 

三映館の経営者は三角政次郎→三角円治(三角商事株式会社)。三角町には三角さんが多いのかな。もともと三映館のはす向かいに井芹葬祭があり、閉館後に取得して倉庫としているようです。なお、上益城郡甲佐町や御船町で複数の映画館を経営していた井芹正己という人物がいますが、井芹葬祭と関係があるのか、同じ姓なだけなのかは不明です。

(写真)三映館の建物。

(写真)三映館の建物。

(写真)時松雅史「昭和30年代三角町商業地区の様子」。宇城市立図書館三角分館所蔵。

 

三映館が面している通りを便宜的に三映館通りと呼びます。三映館通りは車がすれ違えない道幅しかないのですが、民家は密集しています。三映館の南側にある栄町は道幅こそ広いのですが、取り壊された建物も多い。「昭和30年代三角町商業地区の様子」によると栄町にははっきりした商店街が形成されていますが、往時の面影はありません。

(写真)三映館通り。

(左)三映館通り。(右)栄町。

 

三角町にあった映画館について調べたことは「熊本県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(熊本県版)」にマッピングしています。

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