振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

山代温泉の映画館

(写真)山代映画劇場跡地の映劇アパート。

2023年(令和5年)8月、石川県加賀市山代温泉を訪れました。「山中温泉の映画館」からの続きです。

 

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1. 山代温泉を訪れる

1.1 山代温泉の温泉街

石川県加賀市にある複数の温泉街の総称、加賀温泉郷に含まれる山代温泉山中温泉片山津温泉なども含めて、加賀温泉郷の温泉街の中心部には象徴的な総湯(共同浴場)があります。山代温泉ではロータリー状の道路の中央に古総湯が鎮座しており、古総湯から放射状に道路が伸びています。

かつては同一地点に鉄筋コンクリート造の総湯がありましたが、2010年(平成22年)には明治時代の総湯を復元した古総湯が完成。隣接地には新たな総湯も完成しています。古総湯の周囲には柳が植えられて優雅な雰囲気であり、周囲の道路上はちょっとしたイベントスペースにもなるようです。これらの町並みの設計は内藤廣

(写真)山代温泉 古総湯。

(左)山代温泉の温泉街。(右)山代温泉 総湯。

 

1.2 山代OSミュージック劇場

かつて多くの温泉街にはストリップ劇場がありましたが、現在もストリップ劇場が営業している温泉街は、静岡県の熱海温泉、福井県芦原温泉愛媛県道後温泉の3か所のみです。

山代温泉には1969年(昭和44年)に開館した山代OSミュージック劇場がありました。2003年(平成15年)には営業を終了しますが、2008年(平成20年)に山代劇場として営業を再開。2010年(平成22年)3月2日に摘発されてそのまま閉館したようです。ストリップ劇場の建物は光楽寺の西にそのまま残っています。

(写真)劇場の建物。

(写真)劇場の入口。

(写真)劇場跡地に開店したバーのチラシ。

(写真)劇場が面していた通り。

 

2. 山代温泉の映画館

2.1 山代映画劇場(1950年6月-1971年頃)

所在地 : 石川県加賀市山代町(1971年)
開館年 : 1950年6月、1965年頃(建て替え)
閉館年 : 1971年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1950年6月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1956年・1957年・1958年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「山代映画劇場」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。1966年・1969年・1970年・1971年の映画館名簿では「山代映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。映画館の建物は「専光寺」北80mの「映劇アパート」として現存している可能性がある。最寄駅はJR北陸本線加賀温泉駅

加賀市は古い住宅地図がない自治体であり、山代映画劇場の跡地がわかる文献もみつけられていません。1950年代後半の映画館名簿には住所が加賀市山代町17-41と記載されており、現在の加賀市には山代温泉17-41という番地があり、この番地の場所には気になるアパートが建っています。このアパートは映劇アパートという名称のようであり、山代映画劇場はこの場所にあったと考えるのが妥当そうです。

(写真)映劇アパート。手前のパブリックマンション三喜も気になる。

(写真)山代映画劇場が掲載された『石川県商工便覧 1955年』。国立国会図書館デジタルコレクションの個人送信サービスで閲覧可能。

(写真)山代映画劇場が掲載された『全国映画館総覧 1955』。

 

『全国映画館総覧 1955』や『石川県商工便覧 1955年』に記載された山代映画劇場の開館年は1950年(昭和25年)6月。『北国年鑑 昭和40年版』には1964年(昭和39年)8月1日に山代映画劇場が焼失したとあります。経営者である宮西外男はやけどなどで重体、宮西の妻が死去するという大きな出来事だったようです。

1965年版の映画館名簿に山代映画劇場は掲載されていないものの、1966年版には掲載が復活しています。焼失以前は木造で定員320の映画館でしたが、1966年版以降は鉄筋造で定員200の映画館となっています。このことから、宮西外男は1965年(昭和40年)頃に山代映画劇場を再建して営業を再開したと思われます。映画館名簿で山代映画劇場が最後に確認できるのは1971年版です。

(写真)山代映画劇場の火災に言及している『北国年鑑 昭和40年版』。国立国会図書館デジタルコレクションの個人送信サービスで閲覧可能。

 

山代映画劇場の跡地に建っているアパートの竣工時期はいつ頃でしょうか。「1965年」(映画館の建物を改修してアパートに転用)、「1971年以降」(映画館の閉館後にアパートを新築)のどちらかが考えられます。なお、三重県熊野市の熊野東映劇場など、映画館の建物を区切ってアパートとする例は他にもあります。

1960年代から70年代時点では希少だった鉄筋造の建物を数年間で取り壊してしまうというのは考えにくい。建物の正面部分の壁のみ高くて看板建築風である点、建物正面2階部分に窓がある点なども映画館建築的です。

(写真)映劇アパート。

(写真)映劇アパート。

 

建物正面部分は奥行き数メートル程度の狭いコインランドリーになっています。この部分が映画館のロビーだった可能性は十分に考えられます。

(写真)映劇アパートのコインランドリー。

(写真)映劇アパートのコインランドリー。

(写真)映劇アパート外壁のモザイクタイル。

 

側面には建物を貫くように通路があり、この通路に1階部分の部屋の玄関があります。この通路を抜けて南側に出ると庇の付いたテラスがありますが、この部分は映画館建築的に見えます。

(写真)映劇アパート。北側側面。

(写真)映劇アパート。南側側面。

(写真)映劇アパート。中央部を突き抜ける通路。

(写真)映劇アパート。2階の廊下。

(写真)映劇アパート。階段や2階。

 

背後(東側)には映劇アパートに接続している附属屋があり、アパートの大家の自宅ではないかと思われます。

(写真)映劇アパート。附属屋。

 

山代温泉の映画館について調べたことは「石川県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(石川県版)」にマッピングしています。

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