振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

足利市立図書館を訪れる

(写真)足利市立図書館。

2024年(令和6年)3月、栃木県足利市足利市立図書館を訪れました。

 

1. 図書館の歴史

1.1 足利学校遺蹟図書館

1903年明治36年)には足利郡足利町(現・足利市)によって足利学校敷地内に足利学校遺蹟図書館が開館しました。足利学校遺蹟図書館は栃木県初の近代的公共図書館とされています。1915年(大正4年)には足利学校遺蹟図書館の建物が現在の近代和風建築に建て替えられました。

(写真)足利学校遺蹟図書館。

 

1.2 栃木県立足利図書館→足利市立図書館

1980年(昭和55年)4月には栃木県立足利図書館が開館し、足利学校遺蹟図書館が担ってきた足利市公共図書館の役割を引き継いでいます。この際には足利学校遺蹟図書館にあった蔵書の多くが栃木県立足利図書館に移管されました。栃木県立足利図書館の利用者の9割は足利市民であり、足利市は運営費の4割を支出していたようです。

(写真)図書館1階。

 

2階に上る階段の踊り場には、益子町の藤原陶房(藤原郁三陶房)が製作した巨大な陶板画が設置されています。

(写真)階段の陶板画。


日本の人口10万人以上の都市のうち、足利市は市立図書館を有していない唯一の自治体でした。2016年(平成28年)4月1日、栃木県立足利図書館の建物が足利市に移管され、建物はそのままに足利市立図書館が開館しました。この2024年(令和6年)4月には足利市立図書館 - Wikipedia足利学校遺蹟図書館 - Wikipediaを加筆しました。

一般的に公共図書館は「XX City Library」という英語表記を用いていますが、足利市の場合は「Ashikaga Municipal Library」であり、(県立から移行した)市立図書館であることを強調する意味があるかもしれません。

(写真)Ashikaga Municipal Libraryの英語表記がある足利市立図書館。

 

2. 斎藤翁記功碑

足利市立図書館の建物前には巨大な石碑「都市計画記念碑」と碑「斎藤翁紀功碑」がありますが、Google検索では全く情報が見つかりません。

斎藤翁紀功碑について足利市立図書館にレファレンスしたところ、足利市耕地整理組合長・足利町会議員・足利市会議員・栃木県会議員を務めた斎藤与左衛門(斎藤與左衛門)の碑であるとの回答がありました。Twitterでは『足利市史 上巻』(足利市、1928年)や『足利大観』(足利大観社、1933年)にもこの碑の情報があると教えてもらいました。

(写真)斎藤翁紀功碑。

 

2.1 碑文

斎藤翁記功碑

翁幼名左一郎上都賀落合村小代加藤弁造二男也明治二十年十二月入当市斎藤家與女登美子婚襲名與左衛門明治三十三年以来盡瘁公共事業二十有八季干玆矣市制施行記念之義起也與有志相計画市街地之拡張以古希之身至誠一貫当事排萬難而完成之可謂其功偉大也有志為醵金建碑以伝後昆云爾

昭和二年四月 足利市同北部耕地整理組合地主一同

出典:足利市足利市史 上巻』永倉活版所、1928年

出典:安野青花『足利大観』足利大観社、1933年

(写真)「都市計画記念碑」と「斎藤翁紀功碑」。両者の位置は現在も変わっていないと思われる。

 

2.2 斎藤与左衛門の経歴

1903年明治36年)に東武鉄道(現・東武伊勢崎線)が川俣駅まで延伸されると、斎藤は足利町までの延伸を目指した委員に就任して開通促進運動に加わった。東武鉄道足利市駅まで延伸されたのは1907年(明治40年)8月のことであり、斎藤は「東武鉄道足利停車場設置及同鉄道延長に関する功労者調」のひとりに挙げられている。

明治末期には足利瓦斯会社の発起人に名を連ねている。1911年(明治44年)9月には第5回栃木県会議員選挙で栃木県会議員に初当選した。1914年(大正3年)3月には足利織物会社が設立され、後に石川宗吉の後を継いで足利織物会社の社長に就任した。

出典:足利市史編さん委員会『近代足利市史 第1巻』足利市、1977年