振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

安城市の映画館(1)

f:id:AyC:20210601015405j:plain

(写真)安城コロナシネマワールド。座席数最大のスクリーン1。

2021年(令和3年)5月、愛知県安城市を訪れました。現在の安城市には10スクリーンのシネコン安城コロナシネマワールド」があります。かつて安城市には「安城東映劇場」、「弥生館」、「安城東宝劇場」、「南映会館」、「桜井映画劇場」の5館の映画館がありました。「安城市の映画館(2)」に続きます。

ayc.hatenablog.com

 

1. 安城市を訪れる

1.1 安城市の絵図

1953年に刊行された『安城の姿』は、後の安城市勢要覧に相当する文献です。映画館は描かれていませんが、当時の安城市の産業や主要施設がわかります。赤く塗られた11施設の内、用水水源、農業試験場、名大農学部、種鶏場、明治川神社(明治用水の立役者を祀る神社)、弥厚翁銅像明治用水の発案者である都築弥厚)の6施設が農業関連です。

東海道本線には煙を出しながら走る列車が描かれていますが、当時もまだ蒸気機関車が主流だったのでしょうか。安城市は岡崎平野の中央にある自治体ですが、描かれている山が猿投山、伊吹山御嶽山日本アルプスというのは印象通りです。

f:id:AyC:20210601013121j:plain

(地図)安城市の産業や名所旧跡が掲載された「安城市案内図」。『安城の姿』安城市、1953年。安城市図書情報館所蔵。

 

1955年(昭和30年)に刊行された『安城市工業名鑑 1955年版』には、記録的価値が高い上にビジュアル面でも優れた絵図が掲載されています。

農業試験場(現・安城農業技術センター)、安城農林(現・愛知県立安城農林高校)、名古屋大農学部(1966年名古屋市移転)など、農業関係の施設が多数あります。倉敷紡績、愛三製糸、伏原毛糸紡織、三和繊維など、繊維業の施設も目立ちます。何本かの水路(明治用水)や池(安城大池)はやや誇張されていますが、これは農業先進地を印象付けるためでしょうか。

安城市役所の位置は現在と異なっています。1966年(昭和41年)には図に見える巨大なグラウンドの跡地に市役所が建ち、1967年(昭和42年)には図に見える安城市立図書館が西側に移転しています。市役所北側の安城高校の場所は新見南吉の時代から変わっていませんが、安城高校が郊外に移転して跡地に桜町小学校が開校するのは1980年(昭和55年)のことです。

国鉄安城駅から南下する通りは途中で曲がっているように描かれていますが、実際には錦町小学校までまっすぐ伸びており、デフォルメというよりも不正確に思えます。この通りの両側には映画館の安城映劇(後の安城東映劇場)と弥生館が描かれています。

f:id:AyC:20210601013341j:plain

(地図)『安城市工業名鑑 1955年版』安城市役所、1955年。中央下に安城東映劇場(安城映劇)と弥生館安城市図書情報館所蔵。

f:id:AyC:20210601013137j:plain

(地図)『安城市工業名鑑 1955年版』安城市役所、1955年。中央下に南映会館(南映劇場)。安城市図書情報館所蔵。

 

1.2 映画館のレファレンス

安城市には2017年(平成29年)に開館した安城市図書情報館 - Wikipedia(施設名はアンフォーレ)があり、2020年(令和2年)のLibrary of the Yearで優秀賞を受賞するなど、その取り組みが図書館界で高い評価を受けています。

2019年(令和元年)には安城市図書情報館に対して、安城市にあった映画館の閉館年月日に関するレファレンスを行いました。新聞記事によると "一週間かけて資料を探し当てた" とのことで、中日新聞に掲載された映画情報欄を何年分も閲覧して回答をしてくださいました。実際には閉館日の特定には至っておらず、記者が書いた"探し当てた" という表現は不正確なのですが、いずれにしても手間のかかる調査をしてくださいました。このレファレンスの回答はレファレンス協同データベースに登録されています。

f:id:AyC:20210601063622j:plain

(写真)「自由研究 困ったら図書館 安城 調べ物やテーマ探し お手伝い」『中日新聞』2019年7月10日

f:id:AyC:20210601073748p:plain

(写真)レファレンス協同データベースにおけるレファレンス回答

 

1.3 映画館の文献調査

1984年(昭和59年)に安城市から既存興行館がなくなってから、2021年(令和3年)現在で40年近くが経過しています。結局のところ安城市の映画館に関する文献は少なく、特に新しい写真が少ない。弥生館や安城東映劇場について、1970年代以降の写真をお持ちの方はいないでしょうか。

本記事「安城市の映画館(1)」と「安城市の映画館(2)」には、安城市図書情報館、岡崎市立中央図書館、碧南市民図書館、愛知県図書館などで集めた文献を掲載しています。また、安城市で最も古い住宅地図は『安城市居住者明細図帳』ですが、安城市図書情報館のサイト内の安城デジタルアーカイブに収録されており、原則として原本を閲覧することはできません。

f:id:AyC:20210601075015p:plain

(写真)安城デジタルアーカイブ

映画館のレファレンスで参照してくださった『民声新聞』は1952年(昭和27年)から2001年(平成13年)まで安城市で発行されていた地域紙であり、「地域資料デジタルアーカイブ」資料リストによると879号3330枚がデジタル化済みのようですが、まだ安城デジタルアーカイブでは公開されていません。原本は貴重資料扱いなので気軽に閲覧することはできず、安城デジタルアーカイブでの公開が待たれます。

f:id:AyC:20210607185032j:plain

(写真)『民声新聞』1984年4月15日号。

 

1.4 映画館の歴史

戦前の碧海郡安城町には劇場として「安城座」(戦後の安城東映劇場)と「弥生館」がありました。昭和初期に刊行された『大日本職業別明細図』に描かれる施設は都市によってまちまちですが、安城町を描いた図には安城座と弥生館も描かれています。図中の碧海銀行は現在の三菱UFJ銀行の前身のひとつであり、現在も同一地点で営業している数少ない施設です。

f:id:AyC:20210601013422j:plain

(写真)戦前の地図における安城座と弥生館。中央下。『大日本職業別明細図 愛知県』東京交通社、1932年。岡崎市立中央図書館所蔵。

 

日本の映画館数がピークを迎えた1960年(昭和35年)、安城市には「弥生館」「南映会館」「安城東映」の3館があり、現在の安城市域である碧海郡桜井町には「桜映画劇場」(桜井映画劇場)がありました。当時の安城市豊田市刈谷市碧南市の人口はいずれも4万人-5万5000人ですが、4市の中で最も人口が多かったのが刈谷市、最も人口が少なかったのが豊田市というのが驚きです。

f:id:AyC:20210601061348j:plainf:id:AyC:20210601061354j:plain

(左)1960年の映画館名簿における安城市の映画館。(右)1960年の映画館名簿における碧海郡の映画館。桜井町に「桜映画劇場」がある。いずれも『映画年鑑 1960年版 別冊 映画便覧 1960』時事通信社、1960年。愛知県図書館や名古屋市鶴舞中央図書館所蔵。なお個人的にも所蔵している。

 

1960年代には「安城東宝劇場」が開館する一方で、桜井映画劇場と南映会館が閉館します。1960年代末から1980年代初頭には3館の時代が続き、1980年代前半に3館が相次いで閉館しました。隣接する刈谷市の映画館が3館とも2000年(平成12年)まで営業を続けたことを考えると、安城市の3館が立て続けに閉館したのは奇妙であり、土地区画整理事業に関係しているなどの理由があるのかもしれません。

f:id:AyC:20210601013432j:plain

(写真)安城市に3館あった時代の商工名鑑。『安城商工名鑑 1978』安城商工会議所、1978年。 安城市図書情報館所蔵。

 

安城市の映画館について調べたことは「西三河の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(愛知県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

www.google.com