(写真)喜楽座の建物。
2021年(令和3年)11月、奈良県宇陀市の宇陀松山を訪れました。かつて宇陀松山には映画館「喜楽座」がありました。「榛原町の映画館」に続きます。
1. 宇陀松山を訪れる
宇陀松山は宇陀市大宇陀地域にある地区名。宇陀松山城の城下町(商家町)として栄えた町であり、近代には宇陀郡役所が置かれています。鉄道が通じなかったこともあってか古い商家が多数残っており、2006年(平成18年)には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
(写真)上町通り。
(写真)酒造通り。
(写真)松山西口関門。
(左)山邊家住宅。(右)郡司家「更紗屋」。
(写真)奈良漬店「いせ弥」。
(左)森野旧薬園。(右)宇陀市歴史文化館「薬の館」。
道の駅 宇陀路大宇陀の南側、宇陀市文化会館には宇陀市立大宇陀図書館があります。宇陀市は製薬企業の創業者を多数輩出していることもあって、大宇陀図書館には薬草に関するミニ書架がありました。
2. 宇陀松山の映画館
2.1 喜楽座(大正初期-1962年頃)
所在地 : 奈良県宇陀郡大宇陀町(1962年)
開館年 : 大正初期、1934年2月
閉館年 : 1962年頃
『全国映画館総覧 1954』によると1934年2月開館。『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1952年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1954年・1955年・1958年・1960年・1962年の映画館名簿では「喜楽館」(※喜楽座ではない)。1963年の映画館名簿には掲載されていない。映画館の建物は「今阪屋旅館」の南南西70mに現存。最寄駅は近鉄大阪線榛原駅。
映画館名簿には大宇陀町の映画館として「喜楽館」(※喜楽座ではない)が掲載されており、定員220の劇場だったようです。現代の新聞記事やウェブサイトには一貫して「喜楽座」と表記されていますが、なぜ表記が異なるのかはわかりません。
2001年(平成13年)に刊行された『大宇陀・松山 松山・神戸地区伝統的建造物群保存対策調査報告書』(大宇陀町教育委員会、2001年)には喜楽座の平面図・断面図・建築概要などが掲載されており、これによると大正初期に開館したとのことです。なお、『全国映画館総覧 1954』によると1934年(昭和9年)2月開館とのことで、映画館名簿における"開館"は"建物の竣工"を指すことが多いのですが、喜楽座の場合は1934年(昭和9年)に映画館化したのかもしれません。
2017年(平成29年)と2019年(令和元年)には芸術イベント「奈良・町家の芸術祭 はならぁと」が開催されており、2020年(令和2年)には喜楽座の活用を模索する「宇陀キラ倶楽部」が設立されています。
(写真)現在の航空写真における喜楽座。Googleマップ。
(写真)喜楽座の平面図。『大宇陀・松山 松山・神戸地区伝統的建造物群保存対策調査報告書』大宇陀町教育委員会、2001年。
1954年の映画館名簿
(写真)1934年2月開館だという喜楽館が掲載されている『全国映画館総覧 1954』時事通信社、1954年。
1962年の映画館名簿
(写真)喜楽館が掲載されている『映画便覧 1962年版』時事通信社、1962年。
(写真)南側の路地から見た喜楽座の側面。
(写真)上町通りから見た喜楽座。中央左奥にわずかに見えている屋根。中央の路地は喜楽座へのアクセス路ではない。
(写真)裏通りから見た喜楽座。
宇陀松山の映画館について調べたことは「奈良県の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(奈良県版)」にマッピングしています。