(写真)海津市歴史民俗資料館。
2022年(令和4年)4月、岐阜県海津市海津町高須を訪れました。かつて高須には映画館「高須劇場」と「マルイ劇場」がありました。「海津市石津地区の映画館」「海津市平田町野寺の映画館」からの続きです。
1. 高須の街並み
海津市は岐阜県西濃地域にある人口約3万人の自治体。2005年(平成17年)に海津郡海津町、平田町、南濃町が合併して発足し、海津町高須に海津市役所が置かれました。高須から西濃地域の中心都市である大垣市までの距離は約15kmあることから、約10kmしか離れていない愛知県津島市との交流も深いようです。木曽川と長良川を越える東海大橋が海津市と津島市を結んでいます。
小学生の頃には木曽三川が合流する地域にある輪中について学びました。海津市域の輪中の中で特に大きいのが高須輪中であり、江戸時代初期には今日につながる輪中が完成したようです。後に映画館があった集落としては高須のほかに今尾と野寺があります。近世の高須は高須陣屋の城下町として発展したようで、城郭風の海津市歴史民俗資料館は高須陣屋を "再現" したとのこと。
(図)『高須輪中絵図』1850年以後。赤丸は後に映画館が開館する主要集落。
1.1 高須街道
高須には高須街道に沿って集落が形成されています。高須街道は数か所で折れ曲がっていますが、城下町の防御を意図したものというよりは自然堤防を活用したのでしょう。
(写真)高須の街並み。
(写真)高須の街並み。
(写真)高須の街並み。
(写真)高須の街並み。
(写真)高須の街並み。
(写真)高須の街並み。
(写真)高須の街並み。
(写真)高須の街並み。
(左)高須街道の西側に並行する通り。殿町通り。(右)高須街道の東側に並行する通り。
1.2 高須の石垣
高須集落の周囲にある農地の標高は-1mから0m程度。高須街道沿いの集落は標高1mから3m程度の自然堤防上に形成されていますが、それでも歴史的には常に水害と隣り合わせだった地区であり、集落内には多数の石垣が見られます。高須別院や圓心寺などの寺院は地盤から約2mかさ上げされた上に本堂が建っていました。
(左)高須別院。(右)圓心寺。
『保存情報 3 東海四県ふるさとの歴史環境を訪ねて』(日本建築家協会東海支部愛知地域会保存研究会、2015年)には高須集落内の民家が掲載されています。集落南端部にあるこの民家は "高屋敷" と通称されているようで、立派な石垣と塀に囲まれています。
(写真)「高屋敷」。
(写真)高須の街並みと石垣。
(左・右)高須の街並みと石垣。
(左・右)高須の街並みと石垣。
(左・右)高須の街並みと石垣。
2. 海津市海津図書館
高須には海津市海津図書館があります。かつて海津市の図書館(海津市図書館 - Wikipedia)は合併前の3町から引き継いだ3館からなりましたが、2020年(令和2年)3月末には海津市南濃図書館が閉館し、2022年(令和4年)3月末には海津市平田図書館も閉館したため、2022年(令和4年)4月以後は海津市海津図書館のみとなっています。
海津市海津図書館には日本現代紙碑文学館が併設されており、その開館は海津図書館より早い1976年(昭和51年)4月とのこと。海津町出身の作家である長谷川敬の収集書、文芸評論家である小松伸六の蔵書など、約3万5千冊があるようですが、図書館カウンターで申し出ないと立ち入りができない運用になっています。
(写真)海津市海津図書館。
(左)日本現代紙碑文学館。(右)フロアマップ。
3. 高須の映画館
映画館名簿によると、かつて高須には映画館「高須劇場」と「マルイ劇場」がありました。どちらも映画館名簿以外の文献では確認できておらず、文献調査は今後も継続します。
3.1 高須劇場(1950年頃-1963年頃)
所在地 : 岐阜県海津郡海津町高須(1963年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1963年頃
『全国映画館名簿1955』には開館年が記載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1951年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「高須劇場」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。
高須劇場の跡地について海津市海津図書館で尋ねると、たまたま本の返却に来ていた女性(60-70代?)が場所を教えてくださりました。その場でGoogleマップを開いて大垣共立銀行海津支店南東80mにある駐車場付近だと判明しました。
この女性は高須劇場に芝居を観に行ったことがあり、映画館ではなく芝居小屋と認識していました。海津市立高須小学校の前で出会った男性(80代?)によると、歌舞伎芝居も演劇も行っていたようです。
(写真)高須劇場跡地にある空き地。殿町通り。
(写真)高須劇場跡地の背後にある用水路。
(左)高須街道から高須劇場跡地に向かう路地の入口。(右)高須劇場跡地に向かう路地。奥が高須街道。
ただし1961年(昭和36年)の航空写真を見ても、女性が言われた場所に高須劇場らしき建物は写っていません。映画館名簿には1963年(昭和38年)まで掲載されていますが、1960年(昭和35年)頃にはもう閉館して取り壊されていたのかもしれません。
(写真)1961年の航空写真における映画館。地図・空中写真閲覧サービス
(地図)中央の空白の四角が高須劇場跡地。『南濃地区海津町』善隣出版社、1969年。岐阜県図書館所蔵。
(地図)1969年の高須市街地。『南濃地区海津町』善隣出版社、1969年。岐阜県図書館所蔵。
3.2 マルイ劇場(1960年頃-1964年頃)
所在地 : 岐阜県海津郡海津町高須(1964年)
開館年 : 1960年頃
閉館年 : 1964年頃
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1961年の映画館名簿では「マルイ劇場」。1962年・1963年の映画館名簿には掲載されていない。1964年の映画館名簿では「マルイ劇場」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。1975年のゼンリン住宅地図では跡地に「丸井石油」。跡地は「出光興産ユートピア高須SS」(マルイ石油店)」。
海津市立高須小学校の前で出会った男性(80代?)に高須劇場について聞いていたら、「映画館は高須劇場のほかにもう1館あった」「海津明誠高校の東にあるガソリンスタンドの場所にあった。近くには喫茶店の蓬邑亭があるので、そこでも聞いてみたらいい」とのことです。
改めて映画館名簿を確認してみると、1961年版と1964年版のみに掲載されている映画館としてマルイ劇場があります。跡地を訪れてみると出光興産ユートピア高須SS(マルイ石油店)というガソリンスタンドがあり、マルイという名称が引き継がれているようです。マルイ劇場の経営者の名前は伊藤三二であり、この名称は地名でもないようですが、何に由来するのでしょうか。
(写真)マルイ劇場跡地にあるガソリンスタンド。
(左)マルイ石油とある店名。(右)ガソリンスタンドが面する通り。
(地図)右上の大江橋南東詰がマルイ劇場跡地。『南濃地区海津町』善隣出版社、1969年。岐阜県図書館所蔵。
海津市海津町高須にあった映画館について調べたことは「岐阜県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(岐阜県版)」にマッピングしています。