振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

南知多町豊浜を訪れる

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(写真)豊浜魚ひろば。

2020年(令和2年)10月、愛知県知多郡南知多町豊浜を訪れました。かつて豊浜には映画館「豊浜劇場」がありました。「南知多町大井を訪れる」と「南知多町師崎を訪れる」からの続きです。

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1. 南知多町豊浜を訪れる

1.1 豊浜漁港

南知多町は愛知県の海面漁業・養殖業生産量の約半分を占める自治体であり、南知多町で最も組合員数の多い漁港が豊浜漁港です。蒲郡市の形原漁港・三谷漁港とともに、愛知県に3港しかない第3種漁港(利用範囲が全国的な漁港)でもあります。

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(写真)豊浜漁港。

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(写真)豊浜漁港。

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(写真)豊浜魚ひろば。

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(写真)豊浜魚ひろば。

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(左)キンメダイなど。(右)キス。

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(左)ワタリガニ。(右)サバの干物。

 

1.2 豊浜の街並み

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(写真)豊浜の街並み。

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(写真)豊浜の街並み。

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(写真)豊浜の街並み。

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(写真)豊浜の街並み。

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(写真)南知多町立豊浜小学校。

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2. 中洲集落

中洲集落は豊浜市街地の西側にある集落です。入り江に形成された豊浜市街地や小佐とは異なり、海側には波を遮るものがありません。国道247号より海側には水産加工会社が多数立地しており、鄙びた漁村のイメージとはほど遠い。

 

2.1 中洲集落の社寺

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(写真)中洲神社。

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(写真)曹洞宗影向寺。知多四国霊場40番札所。(左)本堂。(右)子安観世音菩薩と十二支守護本尊が祀られている地下室。

 

3. 小佐集落

小佐(おざ)集落は豊浜市街地の東側の入江沿いに形成された集落です。蒲郡市に本場がある愛知県水産試験場の漁業生産研究所が立地しており、ここでは海洋資源調査や栽培漁業研究が行われています。1963年(昭和38年)からこの地にあるようですが、1980年代初頭の航空写真と現在の航空写真を比べると、かなり漁港が埋め立てられて研究所の用地になっています。

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(写真)1980年代初頭の小佐集落。(右)現在の小佐集落。

 

3.1 小佐集落の街並み

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(写真)小佐集落の街並み。

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(写真)小佐集落の街並み。

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(写真)愛知県水産試験場漁業生産研究所。

 

3.2 小佐集落の社寺

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(写真)神明社

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(写真)浄土寺。知多新四国八十八ヶ所番外札所、南知多三十三観音第16番札所、知多百観音第48番札所。

 

 

4. 豊浜の映画館

4.1 豊浜劇場(1947年以前-1969年頃)

所在地 : 愛知県知多郡南知多町豊浜(1966年・1969年)
開館年 : 1947年以前
閉館年 : 1969年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年・1949年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「豊浜座」。1970年・1973年の映画館名簿には掲載されていない。

豊浜座の経営者は蟹本新一氏(後には山一興行社)です。蟹本氏は知多半島で多数の映画館を経営していた興行主であり、豊浜座の他には半田ロマン(半田市)、知多東宝半田市)、常滑映画劇場(常滑市)、八幡劇場(知多町)、高砂会館(美浜町)、京映会館(内海町)、豊浜座(豊浜町)なども経営していました。

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(写真)『全国映画館総覧 1955』時事通信社、1955年。

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(写真)『映画便覧 1969』時事通信社、1969年。

 

愛知県図書館が所蔵する『観光と産業の知多半島住宅地図』(中京図書出版社、1965年)を閲覧すると、中洲集落の東部に豊浜劇場が描かれていました。この辺りは南知多町豊浜田名畑という小字であり、『全国映画館総覧 1955』(時事通信社、1955年)にある豊浜町田名畑という所在地とも一致します。

豊浜市街地から訪れる場合には中洲集落の入口にあり、豊浜市街地から徒歩約10分の距離です。時代を考えてもやや奇妙な場所にあります。国道沿いなので交通量は多く、周囲には水産加工会社が並んでいます。

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(地図)『観光と産業の知多半島住宅地図』中京図書出版社、1965年。右端に豊浜劇場。愛知県図書館所蔵。

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(写真)豊浜劇場跡地周辺の航空写真。地理院地図

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(写真)豊浜劇場跡地と思われる場所。中央の建物。Google ストリートビュー