(写真)福住会館の建物を転用したマグナムコーヒー。
2021年(令和3年)10月、兵庫県丹波篠山市福住(ふくすみ)を訪れました。かつて福住にあった映画館「福住会館」の建物はカフェ「マグナムコーヒー」として現存しています。
1. 福住を訪れる
1.1 福住伝建地区
京都府南丹市の園部市街地と兵庫県丹波篠山市の丹波篠山市街地を結ぶ街道として篠山街道があり、県境部の兵庫県側にあるのが福住(ふくすみ)です。
トタンで茅葺きが覆われた入母屋造の民家、つし2階建てで瓦葺きの入母屋造の民家が混在しています。トタンで覆われた入母屋造の民家は山村集落にあることが多く、街道沿いの宿場町にこのような民家が集まっているのは珍しいのではないかと思われます。東西約3kmの街並みが丹波篠山市福住伝統的建造物群保存地区となっており、2012年(平成24年)には国の重伝建地区に選定されています。
(写真)トタンで茅葺きが覆われた入母屋造の民家(左奥)、つし2階建てで瓦葺きの入母屋造の民家(右手前)。
山村集落と比べると民家の数自体が多いこともありますが、それぞれの建物の規模に大きな差がないことも特徴ではないかと感じました。際立って大きな/歴史の古い民家がないことは、重伝建地区でありながら重要文化財・県指定文化財・市指定文化財・登録有形文化財の民家がないことからもうかがえます。同じく重伝建地区である篠山伝統的建造物群保存地区には市指定文化財となっている民家が複数あります。
(左・右)トタンで茅葺きが覆われた入母屋造の民家。
(左・右)トタンで茅葺きが覆われた入母屋造の民家。
(左)トタンで茅葺きが覆われた入母屋造の民家。(右)つし2階建てで瓦葺きの入母屋造の民家。
トタンで茅葺きが覆われた入母屋造の民家は、屋根の最上部に千木・鰹木らしきものを有するため、航空写真でも瓦葺きの入母屋造の民家との違いを判読できます。
(左・右)入母屋造の民家の最上部。千木・鰹木らしきものが見える。
(写真)福住。Googleマップ。
2. 福住の映画館
2.1 福住会館(1954年頃-1955年頃)
所在地 : 兵庫県多紀郡福住町(1955年)
開館年 : 1954年頃
閉館年 : 1955年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1952年・1953年・1954年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「福住会館」。1956年・1957年・1958年の映画館名簿には掲載されていない。映画館の建物は喫茶店「マグナムコーヒー」として現存。最寄駅はJR福知山線篠山口駅。
映画館名簿で福住会館を確認できるのは1955年版のみであり、1954年版以前や1956年版以降には掲載されていません。わずか1年で閉館したということではなく、映画館名簿に掲載されるほど活発に営業していた(≒毎日のように営業していた)のが1955年頃のみだったのだと思われます。1955年版の映画館名簿では佐野寿市という人物が経営者兼支配人を務めていますが、建物構造、定員、上映系統は記載されていません。
(写真)福住会館が掲載されている『全国映画館総覧 1955年版』時事通信社、1955年。
外観からは映画館には見えませんが、内部には広い空間がありました。古い梁も残っていますが、カフェの開業時には多数の柱が追加されており、屋根も新しくしてあると思われます。当時のものだという舞台も残っていますが、スクリーンは舞台と逆側に設置されていたらしい。普通に考えれば不自然ですが、何か理由があったのかな。
(写真)マグナムコーヒーの店内。(左)カウンター部分。(右)舞台。
(写真)マグナムコーヒーの店内。(左)奥が舞台。(右)左側が舞台。
(写真)映画館時代のものと思われる梁など。
2019年(令和元年)5月19日には「福住シネマの会」によって第1回の映画上映会が開催され、嵐寛寿郎主演の『鞍馬天狗 江戸日記』(1939年)などが上映されました。2020年(令和2年)1月23日にも『男はつらいよ』(第1作、1969年)の上映会が開催されたようです。
(写真)「かつての映画館復活 福住会館で営業コーヒー店19日に」『神戸新聞』2019年5月18日
(写真)コーヒーとホットドッグ。
福住の映画館について調べたことは「兵庫県の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(兵庫県版)」にマッピングしています。