振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

琴平町の映画館

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(写真)JR土讃線琴平駅

2021年(令和3年)8月、香川県仲多度郡琴平町を訪れました。

かつて琴平町には「琴平松竹」、「琴平希望館」、「日本館」、「寿座」、「金丸座」の5館の映画館がありました。金丸座は琴平町のシンボルである旧金毘羅大芝居 - Wikipediaの別名であり、建物は移築されて現存しています。

 

1. 琴平町を訪れる

琴平町金刀比羅宮 - Wikipediaこんぴらさん)の門前町として栄えた町であり、鉄道は高松方面からことでん琴平線が、丸亀方面からJR土讃線が通じています。金刀比羅宮の東側には土産物店や旅館が並ぶ表参道があり、表参道は金倉川を渡るとアーケードの新町商店街に、郊外に出ると金毘羅街道に名を変えます。

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(写真)金刀比羅宮の表参道。

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(写真)琴平町公会堂。登録有形文化財

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(写真)琴平町中心部の通り。

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(写真)新町商店街の西端。

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(左)新町商店街の垂れ幕。(右)新町商店街の内部。

 

 

2. 琴平町の映画館

かつて琴平町には「琴平松竹」、「琴平希望館」、「日本館」、「寿座」、「金丸座」の5館の映画館がありました。日本の映画館数が最も多かった1960年(昭和35年)の映画館名簿には5館すべてが掲載されています。

琴平町は人口の割に映画館が多かった自治体であり、4路線もあった鉄道などで周辺町村からも観客を集めていたのでしょう。前島裕美『香川県仲多度郡琴平町新地遊廓周辺の復原』『お茶の水地理』42号、2001年には「映画館が地元琴平の人々のための娯楽であったのに対し、先述の芸者、そして新地の特殊飲食店は、門前町ゆえの参詣客を相手とした施設であった。」とあり、金刀比羅宮への参詣者の存在が映画館数の多さにつながっていたわけではないようです。

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(写真)琴平町の5館が掲載されている1960年の映画館名簿。『映画便覧 1960』時事通信社、1960年。

 

しかし、1954年(昭和29年)には琴平急行電鉄線が廃線となり、1963年(昭和38年)には琴平参宮電鉄線が廃線となっています。1960年代中頃には映画館が琴平松竹と琴平希望館の2館となり、1970年代初頭には琴平松竹が閉館して琴平町から映画館がなくなります。

全盛期の映画館数の割には映画館の消滅が早い。1970年代初頭以後、琴平町から最も近い映画館は善通寺市の「善通寺キリン劇場」と「善通寺世界館」となり、善通寺世界館は1988年(昭和63年)まで、善通寺キリン劇場は1994年(平成6年)まで営業しています。

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(写真)1962年の琴平市街地にあった映画館。地図・空中写真閲覧サービス

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(地図)琴平町の映画館。Google My Maps

 

2.1 金丸座(1835年10月9日-1962年頃)

所在地 : 香川県仲多度郡琴平町(1962年)
開館年 : 1835年10月9日
閉館年 : 1962年頃
Wikipedia旧金毘羅大芝居
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1930年・1934年・1936年・1941年・1943年・1947年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「金丸座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1970年重要文化財指定。1976年現在地移築。

琴平町のシンボルとして芝居小屋の旧金毘羅大芝居があり、金丸座という別名でも知られています。天保6年(1835年)に建てられた旧金毘羅大芝居は、日本に現存する最古の芝居小屋。1970年(昭和45年)に重要文化財に指定されると、1976年(昭和51年)に現在地に移築されています。

現在は歌舞伎の興行が行われる芝居小屋として知られていますが、昭和20年代・30年代はもっぱら映画館だったようで、『映画館名簿』には1930年から1960年代初頭まで金丸座が掲載され続けています。1960年版の『映画館名簿』によると定員は950であり、東映作品を上映していました。現在の座席定員は約740人だそうです。

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(写真)金丸座が掲載されている1930年の映画館名簿。『日本映画事業総覧 昭和5年版』 国際映画通信社、1930年。

 

旧金毘羅大芝居では2020年(令和2年)10月から2022年(令和4年)3月まで「令和の大改修」が行われています。

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(写真)2021年8月の旧金毘羅大芝居(金丸座)。長期休館中。

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(写真)2010年の旧金毘羅大芝居(金丸座)。663highland - Wikimedia Commons

 

1976年(昭和51年)に旧金毘羅大芝居が現在地に移転した後、跡地には琴平町立歴史民俗資料館が建設されました。敷地内には「旧金毘羅大芝居跡地」の石碑が建っています。

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(左)琴平町立歴史民俗資料館。旧金毘羅大芝居(金丸座)の移築前の所在地。(右)跡地を示す石碑。

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(写真)1976年の琴平市街地。移築後の旧金毘羅大芝居(金丸座)。地図・空中写真閲覧サービス

 

2.2 寿座(1950年代初頭-1964年頃)

所在地 : 香川県仲多度郡琴平町(1964年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1964年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「寿座」。1958年・1960年の映画館名簿では「寿劇場」。1963年・1964年の映画館名簿では「寿座」。1965年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。

琴平町の中心部から金毘羅街道を1.2km北東に向かうと、中国銀行琴平支店がある交差点の南東側に寿座があったようです。寿座が掲載されている最後の『映画館名簿』は1964年版であり、経営者が西本信子、支配人が横関美智子、定員360、上映作品は邦画となっています。

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(写真)1962年の寿座。地図・空中写真閲覧サービス

 

2.3 日本館(1957年頃-1964年頃)

所在地 : 香川県仲多度郡琴平町(1964年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1964年頃
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「日本館」。1964年の映画館名簿では経営者が西本勝太郎、支配人が豊島綾信、木造2階、定員400、邦画を上映。1965年の映画館名簿には掲載されていない。

日本館が掲載されている最後の『映画館名簿』は1964年版であり、経営者が西本勝太郎、支配人が豊島綾信、定員400、上映作品は邦画となっています。日本館は琴平希望館の北西にあったようです。

 

2.4 琴平希望館(1913年-1970年9月)

所在地 : 香川県仲多度郡琴平町266(1970年)
開館年 : 1913年
閉館年 : 1970年9月
『全国映画館総覧 1955』によると1913年8月開館。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1934年・1936年・1941年・1943年・1947年の映画館名簿では「金陵座」。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「希望館」。1963年・1964年の映画館名簿では「琴平東映」。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「琴平希望館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ことでん琴平線琴平駅」南南東140mにある駐車場。

1913年(大正2年)に映画館として開館した際の名称は「金陵座」。1938年(昭和13年)に田中絹代主演の『愛染かつら』が上映されたのは金陵座だそうです。

1955年(昭和30年)に公募によって「希望館」に改称。希望館が掲載されている最後の『映画館名簿』は1970年版であり、経営者が詫間勝市、支配人が山路正雄、定員320、上映作品は大映・日活・松竹となっています。

希望館と琴平松竹の間のエリアはかつて琴平栄遊郭だった場所であり、前島裕美『香川県仲多度郡琴平町新地遊廓周辺の復原』『お茶の水地理』42号、2001年には映画館と遊郭(赤線)の位置関係がわかる図が掲載されていました。松竹座と日本館の位置は1軒分程度ずれているように思われますが、遊郭を囲むように3館の映画館があったことがわかります。

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(写真)戦後の赤線時代の希望館・松竹座・日本館周辺。前島裕美『香川県仲多度郡琴平町新地遊廓周辺の復原』『お茶の水地理』42号、2001年。

 

希望館は1970年(昭和35年)9月に閉館し、現在の跡地は月極駐車場となっています。金陵座/希望館時代から西隣にあった栄稲荷は現在も残っています。琴平栄遊郭の名残を示すものとして現役のソープランドがあります。

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(写真)琴平希望館跡地の駐車場。

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(左)琴平希望館跡地の駐車場と面する富士見町通り。(右)逆方向から見た富士見町通り。左はカラオケスナック白夜、右はソープランド ジャックと豆の木

 

2.5 琴平松竹(1956年-1970年頃)

所在地 : 香川県仲多度郡琴平町(1970年)
開館年 : 1956年
閉館年 : 1970年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「琴平松竹」。1971年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は金倉川沿いの「琴平リバーサイドホテル」。

1970年(昭和45年)版の『映画館名簿』によると、経営者・支配人ともに詫間勝市、定員300、上映作品は東宝東映・成人映画となっています。

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(写真)琴平松竹跡地にある琴平リバーサイドホテル。手前は金倉川に架かる栄橋。

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(写真)金倉川。右は琴平松竹跡地にある琴平リバーサイドホテル。

 

琴平町の映画館について調べたことは「香川県の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(香川県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

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