振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

柳井市の映画館

(写真)柳井松竹の建物。

2023年(令和5年)12月、山口県柳井市を訪れました。かつて柳井市には多数の映画館がありました。「柳井市立柳井図書館を訪れる」からの続きです。

 

ayc.hatenablog.com

3. 柳井市の映画館

3.1 柳井座(1913年2月-1957年頃)

所在地 : 山口県玖珂郡柳井町(1941年)
開館年 : 1913年2月、1928年2月
閉館年 : 1957年頃
1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年の映画館名簿では「柳井座」。1943年の映画館名簿には掲載されていない。1965年の住宅地図では跡地に「道路予定」。1969年の住宅地図では跡地に道路か空地は判然としない空白。跡地は「林木材有限会社」と「増本クリニック」。最寄駅はJR山陽本線柳井駅

明治初期の柳井には常設劇場として柳井津座が建てられ、その後には白水座、宝来座、開柳座、改柳座などがあったようです。1913年(大正2年)2月に建てられた初代柳井座は「中国5県では第一の威容」を誇り、訪れた役者としては中村右團次、松井須磨子などがいるようです。

(写真)1925年9月10日の柳井座焼失。『ふるさとの想い出写真集 明治大正昭和 柳井』国書刊行会、1981年。

 

1925年(大正14年)9月10日に全焼しましたが、佐村清一らが奔走して1928年(昭和3年)2月に2代目の建物が再建されました。2代目柳井座も「山陽筋では最も規模の大きな劇場」と評されています。

(写真)柳井座を再建して社長にも就任した佐村清一。『大柳井』ひらい印刷所、1932年。

 

柳井座は歌舞伎などの興行を行う芝居小屋であり、基本的には映画館名簿に掲載されていませんが、1941年(昭和16年)の映画館名簿には柳井座の名前を見ることができます。

(写真)玖珂郡柳井町の映画館として松陽館、新天座、柳井座の3館が掲載されている『日本映画年鑑 昭和16年度版』大同社、1941年。

(写真)撮影年不明の柳井座。『柳井市史 各論編』柳井市、1964年。

(写真)1962年5月の柳井座。『ふるさとの想い出写真集 明治大正昭和 柳井』国書刊行会、1981年。

(写真)昭和中期の柳井座。『写真アルバム 岩国・柳井・大島・熊毛・玖珂の昭和』樹林舎、2022年。

 

映画黄金期には経営不振に陥り、1957年(昭和32年)には柳井市が5年契約で建物を貸借して営業しますが、結局は1964年(昭和39年)に取り壊されました。1965年(昭和40年)のゼンリン住宅地図には跡地に「道路予定」と記載されており、柳井市が土地も取得していたのかもしれません。

(写真)1962年の柳井座周辺の航空写真。地図・空中写真閲覧サービス

(写真)1965年のゼンリン住宅地図における柳井座跡地(中央下の道路予定地)。柳井市立柳井図書館所蔵。

 

柳井市郷談会が発行する『柳井市郷談会誌』にも柳井座の沿革に言及している号がありました。跡地には林材木店や増本クリニックがありますが、「柳井座B」の文字がある電柱以外に劇場の痕跡はありません。

(写真)谷林博「ある劇場の末路 柳井座の解体にあたって」『柳井市郷談会誌』1983年、第6・7合併号。

(写真)柳井座跡地の材木店とクリニック。

(写真)柳井座の文字がある電柱。

 

3.2 柳井映劇(1955年11月23日-1962年頃)

所在地 : 山口県柳井市新天地(1962年)
開館年 : 1955年11月23日
閉館年 : 1962年頃
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年の映画館名簿では「柳井新天地」。1958年・1960年・1962年の映画館名簿では「柳井映劇」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「山口地方法務局柳井出張所」西100mにあるガレージ。

(写真)1965年のゼンリン住宅地図における柳井東映跡地(中央上の空白)、柳井松竹劇場(中央)、新天地劇場(中央右)。柳井市立柳井図書館所蔵。

(写真)柳井映劇跡地のガレージ。

 

3.3 新天地倶楽部/柳井東映(1927年7月-1965年頃)

所在地 : 山口県柳井市新天地(1965年)
開館年 : 1927年7月
閉館年 : 1965年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1930年の映画館名簿では「新天地倶楽部」。1934年の映画館名簿には掲載されていない。1936年の映画館名簿では「新天座」。1941年の映画館名簿では「新天地」。1943年・1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「柳井映画劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「柳井映劇」。1958年・1960年・1963年・1964年・1965年の映画館名簿では「柳井東映」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「普慶寺」東南東160mにある敷地など。

新天地の歴史は1924年大正13年)3月に活動常設館の松陽館が建てられたことに始まりますが、3年後の1927年(昭和2年)7月には劇場兼映画館の新天地倶楽部も立てられました。いずれも経営者は松井吾作ですが、松陽館は松竹作品、新天地倶楽部は日活作品の上映館だったようです。

(写真)時期不明の柳井東映。『ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 柳井』国書刊行会、1981年。

(写真)昭和中期の柳井東映。『写真アルバム 岩国・柳井・大島・熊毛・玖珂の昭和』樹林舎、2022年。

 

戦後には新天地倶楽部が柳井映画劇場に改称し、さらに1950年代後半には柳井東映に改称。松陽館は柳井松竹に改称しています。1962年(昭和37年)の航空写真を見ると、柳井東映(新天地倶楽部)の建物は柳井松竹(松陽館)よりも大きかったようです。

(写真)1965年のゼンリン住宅地図における柳井東映跡地(中央上の空白)、柳井松竹劇場(中央)、新天地劇場(中央右)。柳井市立柳井図書館所蔵。

(写真)新天地倶楽部/柳井東映跡地のガレージ。

 

3.4 柳井文化映劇(1956年頃-1970年代初頭)

所在地 : 山口県柳井市柳町(1970年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1970年以後1973年以前
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年の映画館名簿では「柳井文映」。1958年の映画館名簿では「柳井文化映画劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「文化映劇」。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「柳井文化映劇」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「柳井三和交通本社」。

柳井市街地にあった6館中5館は毎日興業または小林興業が経営していましたが、柳井駅前の柳井文化映劇のみは三和興業が経営していました。現在の跡地には柳井三和交通本社がありますが、映画館経営からタクシー会社に転業したのでしょうか。

ビル内には小古柳井座(ここやないざ)という貸ホールがありますが、往時の柳井座と関連はないようです。

(写真)柳井文化映劇跡地の柳井三和交通本社。

(写真)柳井文化映劇跡地の柳井三和交通本社に入る小古柳井座。

 

3.5 松陽館/柳井松竹(1924年3月-1970年代初頭)

所在地 : 山口県柳井市新天地2806-4(1970年)
開館年 : 1924年3月
閉館年 : 1970年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1930年・1934年・1936年・1941年・1943年の映画館名簿では「松陽館」。1947年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「柳井松竹」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。映画館の建物は菅原神社北東100mに雑居ビルとして現存。最寄駅はJR山陽本線柳井駅

柳井にあった劇場・映画館を調べていると、柳井座と並んで言及量が多いのが松陽館であり、玖珂郡柳井町初の活動常設館でした。1938年(昭和13年)の『柳井大観』によると「県下稀れに見る高級活動館として知られている」とのことです。

(写真)松陽館など柳井市の娯楽機関に言及している『柳井大観』毒鼓社、1938年。

 

松陽館の開館は1924年大正13年)3月であり、上棟式の写真を見るとトラス構造の三角屋根が見えます。

(写真)1924年の松陽館の上棟式。『柳井大観』毒鼓社、1938年。

(写真)1924年の松陽館の上棟式。『ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 柳井』国書刊行会、1981年。

 

ファサードは上部の形状が凝っており、壁面はドイツ壁のような仕上げです。1949年(昭和24年)の写真を見るとファサードには「松陽館」と「柳井松竹」の文字が共存しており、柳井松竹に改称してからも松陽館の文字を残していたことが分かります。

戦後に新天地の3映画館を経営していたのは毎日興業。日本の映画観客数がピークを迎えた1958年(昭和33年)時点では山口県内で15館を経営していた、県内最大の興行会社です。1970年代初頭には柳井市の映画館経営から撤退しますが、その後も徳山市(現・周南市)を拠点として2010年代まで映画館経営を続けています。

(写真)1925年7月19日の松陽館開館1周年記念写真。『ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 柳井』国書刊行会、1981年。

(写真)1949年の柳井松竹。『目で見る 岩国・柳井の100年』郷土出版社、1998年。

(写真)1965年のゼンリン住宅地図における柳井東映跡地(中央上の空白)、柳井松竹劇場(中央)、新天地劇場(中央右)。柳井市立柳井図書館所蔵。

 

2022年(令和4年)に刊行された『写真アルバム 岩国・柳井・大島・熊毛・玖珂の昭和』には "昭和中期" という柳井松竹の写真が掲載されていますが、1949年(昭和24年)の柳井松竹とはファサードが大きく変わっています。

(写真)昭和中期の柳井松竹。『写真アルバム 岩国・柳井・大島・熊毛・玖珂の昭和』樹林舎、2022年。

 

この "昭和中期" の写真は柳井松竹跡地にある建物とそっくりであり、映画館として営業していた柳井松竹の建物が現存していると言えます。1960年代頃と現在の航空写真を比較しても建物は同一だと思われ、推測が正しければ現存する建物は1924年大正13年)竣工の建物ということになります。

(写真)柳井松竹の建物を転用した雑居ビル。西面(正面)。

(写真)柳井松竹の建物を転用した雑居ビル。西面(正面)。

(写真)柳井松竹の建物を転用した雑居ビル。西面(正面)。

 

中央通路を挟んだ両側にスナックが入る構造の雑居ビルとなっています。中央通路の奥は行き止まり。建物裏側の道路に回ると、建物最奥部にあるスナックへの入口が設けられています。

(写真)柳井松竹の建物を転用した雑居ビル。中央通路。

(写真)柳井松竹の建物を転用した雑居ビル。北面。

(写真)柳井松竹の建物を転用した雑居ビル。東面(裏面)。

(写真)新天地の飲み屋街。

 

3.6 初代柳井セントラル(1952年12月-1970年代初頭)

所在地 : 山口県柳井市古開作118-1(1970年)
開館年 : 1952年12月
閉館年 : 1970年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1952年12月開館。1955年の映画館名簿では「柳井セントラル劇場」。1956年の映画館名簿では「柳井セントラル」。1957年の映画館名簿では「柳井セントラル映画劇場」。1958年の映画館名簿では「柳井セントラル」。1960年の映画館名簿では「セントラル映劇」。1963年の映画館名簿では「柳井セントラル」。1966年の映画館名簿では「柳井日活セントラル」。1969年の映画館名簿では「柳井セントラル」。1970年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「柳井郵便局」北東40mにある駐車場。

1965年のゼンリン住宅地図によると、柳井駅から北東に延びる通りはセントラル通りとあり、柳井電報電話局(現・柳井郵便局)の北側にセントラル映画劇場と中央劇場が描かれています。両者の経営者はいずれも小林興業。1990年代の住宅地図ではかつて中央劇場だった場所にセントラル劇場とあり、より新しい中央劇場の建物がセントラル劇場に改称して存続したと思われます。

(写真)1965年のゼンリン住宅地図におけるセントラル映画劇場と中央劇場。柳井市立柳井図書館所蔵。

(写真)旧柳井セントラル跡地の駐車場。

 

3.7 柳井サンピア劇場(1988年頃-1992年頃)

所在地 : 山口県柳井市古開作883-1(1992年)
開館年 : 1988年頃
閉館年 : 1992年頃
1988年の映画館名簿には掲載されていない。1989年・1990年・1992年の映画館名簿では「柳井サンピア劇場」。1993年の映画館名簿には掲載されていない。ショッピングセンターのサンピア2階。映画館の建物は「ゆめタウン柳井」として現存。

1989年版から1992年版までの短期間、映画館名簿には柳井市古開作の映画館として柳井サンピア劇場が掲載されています。映画館名簿によると72席の小規模な映画館であり、同時代に全国の大型ショッピングセンターに普及していたビデオシアターだったと思われます。

(写真)サンピアを転用したゆめタウン柳井。

(写真)ゆめタウン柳井2階のゲームセンター。

 

3.8 柳井中央劇場/柳井セントラル(1956年頃-1994年頃)

所在地 : 山口県柳井市古開作116-5(1996年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1994年頃
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年・1958年の映画館名簿では「柳井中央劇場」。1960年の映画館名簿では「柳井中央」。1963年の映画館名簿では「柳井東宝」。1966年・1969年の映画館名簿では「柳井東宝劇場」。1970年の映画館名簿では「柳井東宝セントラル」。1973年・1976年の映画館名簿では「柳井セントラル」。1980年・1985年・1988年・1990年・1994年の映画館名簿では「柳井セントラル劇場」。1995年・1996年の映画館名簿では「柳井セントラル劇場(休館中)」。1997年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「柳井郵便局」北東20mにある駐車場。

なお、旧柳井セントラルと柳井中央劇場/柳井セントラルを経営していたのは小林銀一郎→小林幹生の小林興業。1970年代初頭以降は柳井市唯一の既存興行館として営業を続け、1994年(平成6年)頃に休館しました。

その後も、小林興業は岩国市で岩国ニューセントラルの営業を続けますが、2012年(平成24年)9月にはついに定期営業を終了し、岩柳地区から映画館がなくなりました。岩国ニューセントラルが入っていたビルは岩国駅前に現存し、カラオケ店が営業しています。2023年(令和5年)現在は映画館が存在しない岩柳地区ですが、岩国米軍基地(在日米海兵隊岩国航空基地)内にはSakura Theaterという映画館があるようです。

(写真)1965年のゼンリン住宅地図におけるセントラル映画劇場と中央劇場。柳井市立柳井図書館所蔵。

(写真)昭和40年代の柳井セントラルと蓮根田。『写真アルバム 岩国・柳井・大島・熊毛・玖珂の昭和』樹林舎、2022年。

(写真)柳井中央劇場/柳井セントラル跡地の駐車場。

 

柳井市の映画館について調べたことは「山口県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(山口県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

www.google.com