(写真)田曽浦の街並み。手前の青屋根が映画館「善屋座」だった建物。
2020年(令和2年)2月、三重県度会郡南伊勢町の宿田曽地区を訪れました。かつて田曽浦にあった映画館「善屋座」や宿浦にあった映画館「佐八屋劇場」の跡地などをめぐっています。「五ヶ所地区の映画館」の続きです。
1. 南伊勢町宿田曽地区を訪れる
宿田曽(しゅくたそ)地区は旧南勢町の南東部にあり、宿浦(しゅくうら)と田曽浦(たそうら)の2集落からなる地区です。旧南勢町の中心地である五ヶ所地区から6km南に位置しており、五ヶ所地区までは5往復/日の南伊勢町営バスが運行されています。一方で、志摩市の鵜方駅には13.5往復/日の三重交通バスが運行されており、うち9.5往復/日は伊勢市の伊勢市駅前に向かうため、旧南勢町中心部よりも志摩市/伊勢市中心部のほうが交通アクセスが良いといえます。
(地図)愛知県から見た南伊勢町の位置。©OpenStreetMap contributors
(地図)旧南勢町の地勢図。国土地理院 地理院地図
2. 田曽浦
2.1 田曽浦を歩く
田曽浦はかつてカツオなどの遠洋漁業で栄えた集落であり、1975年(昭和50年)前後には全国で約300隻あった遠洋漁船のうち田曽船籍の船は95隻にも上ったようです。現在は最盛期と比べて著しく衰退し、またカツオ船は田曽浦漁港ではなく静岡県の焼津港を母港としているようで、田曽浦漁港はのどかな小漁港という印象でした。漁港の入口には「日本一かつお村」の看板があり、集落のはずれには宿田曽八柱神社の祭礼で用いられる鰹神輿や「遠洋漁業の里」の石碑がありました。
(写真)宿田曽漁港。左奥の大型船はどういう船だろ。
(左)看板「日本一かつお村」。(中)宿田曽八柱神社の鰹神輿。(右)「遠洋漁業の里」の石碑。
田曽浦は海に向かって三角形に開けた平地に民家が密集している集落です。宿田曽漁港から集落中央部を旧国道260号が通っており、このメインストリートの両側に商店や施設が集まっています。集落の正面には無人島の葛島(かつらじま)がありますが、五ヶ所湾は湾口部にこの島があることで、波が穏やかな水域になっているように思われます。宿田曽漁港は名の知れた釣り場のようであり、twitterで"宿田曽"や"田曽浦"と検索すると釣り人のツイートを多数見つけられます。
(写真)山際から見た田曽浦の街並み。海に向かってメインストリートが通る。
メインストリートの田曽浦バス停周辺には、山金商店や中村屋商店などの食料雑貨店、天然ものたい焼きを売る和菓子舗の山新和洋菓子処などがありますが、入るのをためらってしまう規模の個人商店ばかりです。Google ストリートビューカーはメインストリートしか走らなかったようで、路地奥にある善屋座跡地や田曽浦コミュニティセンターなどは写っていません。
(左)田曽浦バス停。(右)田曽口バス停。
(写真)田曽浦のメインストリートと商店が集まる中心部。
南伊勢町の東側に隣接する志摩市域と比べると重厚な建物の数は少ないものの、壁面が桃色・緑色・黄色・茶色などのペンキで塗られた民家が目立ちます。「漁村の家主は夜間に仕事に向かうため、暗闇でも自宅を識別しやすくするためではないか」と聞きました。
(写真)壁が色とりどりのペンキで塗られた田曽浦の民家。(右)奥の青屋根は善屋座跡地。
(左)田曽浦にある慈眼寺。(中・右)慈眼寺境内から見た田曽浦の街並み。
(写真)田曽浦の施設。国土地理院 地理院地図
2.2 善屋座(-1960年代後半)
所在地 : 三重県度会郡南勢町田曽浦(1960年・1963年)、三重県度会郡南勢町田曽(1966年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「善屋座」。1966年の映画館名簿では「田曽善屋座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1974年のゼンリン住宅地図では「善屋座劇場」。2020年時点で建物が現存。
(参考)閉館後も建物が残っている三重県の映画館
1. 「津東宝劇場/津大門シネマ」(1972年建物竣工、2009年映画館閉館、津市)
2. 「志摩国際劇場」(昭和40-50年代建物竣工?、2000年代後半映画館閉館、志摩市)
3. 「津スカラ座」(昭和40年代建物竣工?、2001年映画館閉館、津市)
4. 「上野映画劇場」(1978年建物竣工、1990年映画館閉館、伊賀市)
5. 「尾鷲ロマン座」(昭和30-40年代建物竣工?、1986年映画館閉館、尾鷲市)
6. 「善屋座」(昭和30年代建物竣工?、1960年代後半映画館閉館、南伊勢町)
三重県で閉館後も建物が現存している映画館建築は上記の通りであり、私の調査では6館しか確認できていません。この中で建物の竣工時期がもっとも早いと思われるのが善屋座であり、さらに映画館としての閉館時期がもっとも早いのも善屋座です。善屋座は映画館としての営業を終了してから約50年が経過していると思われます。
(写真)善屋座跡地。
(写真)善屋座跡地。
(写真)善屋座跡地。
建物の壁面にはうっすらと「大衆食堂 善屋」という文字を読み取ることができます。戦後にまず食堂「善屋」が開店し、映画ブームのさなかに映画館「善屋座」に発展したのでしょうか。
2020年現在の善屋座の建物は「まめ研クラブ」の作業場(≒商店)として使用されています。看板には "EM総合ネット取次販売所" や "自然力が健康生活をしっかりサポート" と書かれており、入口脇にはEM活性液と思われるペットボトルが並べられていました。建物の中にはいすや机が見えました。
地理院地図やGoogle マップの航空写真に見える善屋座の建物は茶褐色です。屋根を青く塗り直したのはここ数年のうちと思われ、しばらくは建物を取り壊さずに作業場として使用し続けるのではないかと思われます。
(左)善屋座跡地に見える大衆食堂善屋の文字。(右)善屋座跡地の入口。
3. 宿浦
3.1 宿浦を歩く
田曽浦の北側にある集落が宿浦です。集落が "海を向いている" 田曽浦とは異なり、宿浦の集落は "カマの池を向いている" のが特徴です。カマの池は長辺が約300m、短辺が約130m、面積は約10,000m2の海跡湖であり、五ヶ所湾とは水道で結ばれている汽水湖です。宿浦には五ヶ所湾で漁をする漁船の船溜まりもありますが、カマの池にも小型の漁船が何艘も停泊していました。
(写真)宿浦浅間山から見た宿浦の遠景。手前はカマの池、中央奥は葛島。
(写真)カマの池に停泊する漁船。中央奥が宿浅間山と田曽浅間山。
(写真)カマの池。
(左)五ヶ所湾とカマの池をつなぐ水道。(右)五ヶ所湾に面した宿浦の船溜まり。
宿浦は田曽浦とは異なり、商店や施設が並ぶメインストリートが存在しません。カマの池と五ヶ所湾に挟まれたエリアに路地が縦横に走っており、車の入れない路地に商店や旅館がありました。このエリアはカマの池の沿岸がもっとも低く、五ヶ所湾に向かって登る地形となっています。
(写真)宿浦の路地。
(地図)宿浦集落の色別標高図。国土地理院 地理院地図
宿田曽地区の寺院は田曽浦と宿浦の集落に1軒ずつありますが、神社は田曽浦と宿浦の中間に1軒あるのみでした。両集落の中間には南伊勢町立宿田曽小中学校の建物やグラウンドも残っていましたが、宿田曽中学校は2005年3月に、宿田曽小学校は2014年3月に廃校となっています。まだ跡地の活用方法は定まっていないように思われました。
(写真)南伊勢町立宿田曽小中学校。2014年3月廃校。
(左)宿田曽地区唯一の神社である宿田曽八柱神社。(右)宿浦にある海禅寺。
(写真)宿浦の施設。国土地理院 地理院地図
3.2 佐八屋劇場(-1960年代中頃)
所在地 : 三重県度会郡南勢町宿田曽(1960年・1963年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年・1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「佐八屋劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
1960年代の映画館名簿によると、かつて宿浦には映画館「佐八屋劇場」がありました。現地調査ではどの場所にあったのか判明せず、1960年代の航空写真を見ても判然としません。
3.3 宿浅間山と田曽浅間山
宿浦集落やカマの池を俯瞰する写真を撮るために、標高182mの宿浅間山(しゅくせんげんさん)と標高163mの田曽浅間山(たそせんげんさん)に登りました。カマの池の奥にある登山口から標高90m付近までは登山道が下草に覆われていますが、尾根道は快適に歩くことができます。両山ともに山頂付近には避難所を兼ねた浅間神社が建っています。
(写真)登山道。(左)宿浅間山への登山道。下草に覆われた標高50m付近。(右)宿浅間山と田曽浦浅間山をつなぐ尾根道。
(写真)宿浅間山の山頂付近から見た英虞湾と志摩半島。中央左は伊勢エビで知られる志摩市浜島町の集落。
南勢町の映画館について調べたことは「三重県の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(全国版)」にマッピングしています。