(写真)現存する尾鷲ロマン座の建物。
2020年(令和2年)1月、三重県南部の東紀州地域にある尾鷲市を訪れました。
昭和30年代の尾鷲市街地には「尾鷲ロマン座」、「大鷲館」、「大盛座」の3館の映画館がありました。2020年(令和2年)現在でも尾鷲ロマン座の建物は現存しています。現在の東紀州地域に映画館は存在せず、最寄りの映画館は約40km離れた和歌山県新宮市にある複合映画館「ジストシネマ南紀」です。
1. 尾鷲市を歩く
名古屋からの往路は紀勢本線の特急南紀を、復路は三重交通の高速バスを使いました。乗車した尾鷲市病院前バス停では乗車券を購入できず、海山バスセンターに停車した際に購入しないといけないのがややこしかった。
(地図)三重県における尾鷲市の位置。©OpenStreetMap contributors
JR紀勢本線尾鷲市駅から駅前通りを東に歩くと、「OWASE」のアーチがある尾鷲一番街商店街があります。「昭和40年頃までは黒山のようなひとだかりだった」とのことですが、車で入るのが難しい商店街ということもあって活気がない。千歳旅館跡などの和風建築もあるのですが、高度成長期後半以降の建築物がほとんどだと思われます。
(写真)尾鷲一番街商店街のアーチ。
(左)尾鷲一番街商店街。(右)一番街商店街から分岐する路地。
尾鷲一番街商店街の突き当りから東に進むと営業中の新生湯が、北に進むと廃業した松の湯がありました。尾鷲駅前にはパチンコ店の駅前ホールの廃墟が、尾鷲一番街商店街沿いにはパチンコ共栄の廃墟があります。尾鷲市の前に訪れた熊野市街地は近代の建築物が目立っていたのですが、尾鷲市街地は昭和(昭和戦後)の街だと強く感じます。
(左)銭湯の新生湯。営業中。(右)銭湯の松の湯。2011年廃業。
(左)パチンコ店の駅前ホール。廃業。(右)パチンコ共栄。廃業。
2. 尾鷲市立図書館
2.1 図書館の歴史
尾鷲市立図書館 - Wikipediaは尾鷲市立中央公民館内にあります。熊野市立図書館も複合施設内にありますが、尾鷲市立図書館と熊野市立図書館の規模にはかなり差があり、尾鷲市立図書館は中央公民館図書室と言ってもいい規模です。それもそのはず、2001年(平成13年)に図書館条例を制定するまでは尾鷲市立中央公民館図書室を名乗っていたようです。
(左)図書館が入る尾鷲市立中央公民館。(右)尾鷲市立図書館の入口。
(左)一般書の書架。(右)熊野古道関連図書。
2.2 寿文庫
図書館に入って正面にある「寿文庫協力箱」という物が気になりました。Wikipedia記事にも書かれていますが、尾鷲市には市民から集めた募金で本を購入して図書館に寄贈する風習があり、厄年や祝い年(喜寿や米寿)の市民から募金を集めているようです。寿文庫の資金で購入された図書には特別な蔵書印が押されているとのことですが、確認し忘れてしまいました。
(写真)寿文庫コーナーと季節の本コーナー。
(左)入口の入館用紙。(右)郷土資料のガラス戸付書架。
(写真)寿文庫の協力箱。
(写真)寿文庫の案内。
3. 尾鷲市の映画館
1960年(昭和35年)時点の尾鷲市街地には「尾鷲ロマン座」、「大鷲館」、「大盛座」の3館の映画館がありました。2020年(令和2年)1月時点でも尾鷲ロマン座の建物は現存しています。この10月から11月に三重県立熊野古道センターで開催された企画展「写真で懐古・故郷の暮らしと風景~尾鷲市~」では、1973年(昭和48年)の尾鷲ロマン座の写真なども展示されたらしい。
(地図)かつて尾鷲市にあった映画館の位置。Google My Maps
(写真)1947年の尾鷲市街地における映画館。地図・空中写真閲覧サービス
3.1 大盛座(1893年-1964年)
所在地 : 三重県尾鷲市中井町223(1963年)
開館年 : 1893年
閉館年 : 1964年7月
1930年の映画館名簿では「大盛座」。1936年・1950年・1953年・1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「大盛座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は定食屋「はまや」の2軒西の駐車場。
1893年(明治26年)には北牟婁郡尾鷲町の今町(現在の栄町)に、舞台だけの建築として演劇場「大盛座」が開館。1901年(明治34年)には座席部分も含めた本格的な劇場に建て替えられ、この地域では最も大きな建築物だったようです。
大正末期には活動写真も上映するようになり、戦後には「大鷲館」と合わせて土井正通の経営に。尾鷲市街地にあった3館の中では最も早く、1964年(昭和39年)に閉館しています。跡地は一番街通りに面した駐車場。
(左・右)大盛座跡地に近い定食屋 はまや。
(地図)大盛座跡地付近の住宅地図。右下にある赤玉パチンコが大盛座跡地。左上には尾鷲ロマン座。
3.2 大鷲館(1925年-1970年)
所在地 : 三重県尾鷲市中井町1-13(1969年)
開館年 : 1925年
閉館年 : 1970年5月10日
『全国映画館総覧1955』によると1926年5月開館。1930年・1936年・1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「大鷲館」。1960年・1963年の映画館名簿では「大鷲座」。1966年・1969年の映画館名簿では「尾鷲大鷲座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ドラッグセイムス尾鷲栄店」。
1925年(大正14年)、尾鷲町初の活動写真常設館として「大鷲館」(たいしゅうかん)が開館。峠を越えて奈良県から訪れた観客がいるという話が残っています。戦後の1953年(昭和28年)には映画館が面する大鷲館通りが舗装され、1955年(昭和30年)にはネオンアーチが設置されています。
大鷲館は松竹・大映・東映の封切館。経営者の土井正通は東京帝国大学を卒業して日清紡績に勤務していたものの、父親が経営していた大鷲館の館主になるために帰郷。後に「大盛座」と「ロマン座」も取得しますが、1970年(昭和45年)には大鷲館を閉館させています。建物はおもちゃ店として使われた後、現在は隣接地と合わせた敷地にドラッグストアが建っています。
(左)大鷲館跡地にあるドラッグセイムス尾鷲栄店。(右)大鷲館跡地と紀望通り。
(地図)大鷲館付近の住宅地図。
3.3 尾鷲ロマン座(1955年-1986年)
所在地 : 三重県尾鷲市栄町6-17(1985年)
開館年 : 1955年4月1日
閉館年 : 1986年6月1日
1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「ロマン座」。1966年・1969年の映画館名簿では「尾鷲ロマン座」。1976年・1980年の映画館名簿では「ロマン座」。1985年の映画館名簿では「尾鷲ロマン座」。映画館の建物は現存。
映画人気が高まった1955年(昭和30年)には尾鷲市街地3番目の映画館として「尾鷲ロマン座」が開館。北牟婁郡海山町や北牟婁郡紀伊長島町からも観客を集めます。東紀州地域では最も遅くまで営業していた映画館であり、経営者の土井正通は「ロマン座だけは死ぬまで閉鎖しない」として存続にこだわりましたが、土井の死去の1年前、1986年(昭和61年)に家族の手でひっそりと閉館したようです。
2004年(平成16年)から2007年(平成19年)にはロマン座シネマ倶楽部が映画館の復活を模索し、上映会などを開催していたものの、結局は復活を断念したようです。
(写真)尾鷲ロマン座の入口。
(写真)尾鷲ロマン座の入口。
(地図)尾鷲ロマン座付近の住宅地図。
三重県において建物が現存する映画館建築は、尾鷲ロマン座も含めて以下の8館を確認済。
津市「津東宝劇場/津大門シネマ」(1957年開館、1974年改築、2009年閉館)
津市「津スカラ座」(2001年閉館)
伊賀市「上野映画劇場」(1990年閉館)
尾鷲市「尾鷲ロマン座」(1955年開館、1986年閉館)
熊野市「熊野東映劇場」(1899年開館、1950年改築、1972年閉館)
南伊勢町「田曽善屋座」(1960年代後半閉館)
(左)ポスター貼り場。(右)裏口の階段。
(写真)建物裏側。
(左)建物と南側の路地。(右)建物と東側の路地。
尾鷲市にあった映画館について調べたことは「三重県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(三重県版)」にマッピングしています。