振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

紀伊勝浦の映画館

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(写真)寿座跡地にあるコトブキビル。

2021年(令和3年)10月、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町紀伊勝浦を訪れました。

かつて紀伊勝浦には「勝浦映画劇場」と「寿座」の2館の映画館がありました。「紀伊勝浦を訪れる」「那智勝浦町立図書館を訪れる」からの続きです。

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1. 紀伊勝浦の映画館

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(写真)寿座が書かれた『全国映画館録 昭和11年度』キネマ旬報社、1935年。

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(写真)勝浦寿座と勝浦映画劇場が書かれた『映画便覧 1969』時事通信社、1969年。

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(写真)勝浦映画劇場が書かれた『映画館名簿 1982年』時事映画通信社、1981年。

 

1.1 寿座(1917年7月-1970年6月)

所在地 : 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町勝浦1181(1969年)
開館年 : 1917年7月、1927年、1947年3月
閉館年 : 1970年6月
『全国映画館総覧 1955』では1947年3月開館。1936年・1947年・1949年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「寿座」。1966年・1969年の映画館名簿では「勝浦寿座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「コトブキビル」。最寄駅はJR紀勢本線紀伊勝浦駅

初代の寿座が開館したのは1917年(大正6年)7月。火災焼失後の1927年(昭和2年)に建て直しており、この建物が1970年(昭和45年)まで存続したと思われます。『全国映画館総覧1955』によると「(設立は)1947年3月」、『那智勝浦町史 下巻』によると「(戦後の営業は)1957年2月から」とのことですが、1947年と1957年という年の違いが何を意味するのかは分かりません。

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(写真)1927年の建設中の寿座。『那智勝浦町史下巻』那智勝浦町、1980年。

 

寿座は定員727人の立派な劇場であり、戦前の勝浦を映したいくつもの写真に写りこんでいます。高田浩吉鶴田浩二なども来演しているそうです。

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(写真)時期不明の築地地区。中央左端の巨大な建物が寿座。『ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 新宮・熊野』国書刊行会、1980年。

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(写真)入船館にあった写真アルバム。(左)左上が寿座の写真。(右)上が寿座の写真。

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(写真)1971年の寿座。『新宮・熊野今昔写真帖』郷土出版社、2004年。※著作権は切れていません。

 

寿座は1970年代初頭に閉館した後、跡地には複数の飲食店が入るコトブキビルが建設されました。漁港側の上部には映画館時代と同じ「KOTOBUKI」というアルファベットがありましたが、2021年(令和3年)時点では「寿」という漢字に変わっていました。コトブキビルの2階はアパートとなっていますが、北側入口の扉はまるで映画館に使用されているような扉でした。

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(写真)2004年の寿座跡地にあるコトブキビル。『新宮・熊野今昔写真帖』郷土出版社、2004年。※著作権は切れていません。

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(写真)寿座跡地にあるコトブキビル。

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(写真)寿座跡地にあるコトブキビル。東側。

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(写真)寿座跡地にあるコトブキビル。(左・中)2階のアパート部分。(右)1階の飲食店部分。

 

1.2 勝浦映画劇場(1953年5月-1983年頃)

所在地 : 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町281(1983年)
開館年 : 1953年5月
閉館年 : 1983年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「勝浦映画劇場」。1973年・1976年の映画館名簿では「勝浦映劇」。1980年・1982年・1983年の映画館名簿では「勝浦映画劇場」。1984年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「お食事処 山賀」や「タイ風居酒屋BAIBOA」やその南側のガレージ「ことぶき駐車場」。最寄駅はJR紀勢本線紀伊勝浦駅

紀伊勝浦に2館の映画館が存在した1950年代後半から1960年代の映画館名簿を見ると、寿座が一貫して邦画専門館だったのに対して、勝浦映画劇場では洋画も上映されていたようです。1982年(昭和57年)の映画館名簿によると経営者は鈴木悌二、支配人は東猛。座席数300席の木造平屋建てであり、邦画と成人映画の上映館でした。

1980年代前半には勝浦映画劇場も閉館し、最寄りの映画館は新宮市の葵映画劇場と新宮東映劇場となります。1985年(昭和60年)頃にはいったん新宮市からも映画館がなくなりますが、その後はオークワグループのジストシネマ新宮(1988年-2008年)とジストシネマ南紀(2005年-営業中)が東牟婁地域に映画の灯をともし続けています。

 

和歌山県立図書館が所蔵する1979年の住宅地図には「勝映」として描かれています。跡地から駅前通りを挟んで向かいにある中西商店で男性(60代?)に聞いてみると、

中西商店のちょうど正面、どんぶり屋とタイ料理屋があった敷地に映画館があった。奥のガレージの半分くらいまで映画館があり、さらに奥は映写技師の家になっていた」とのことです。

 

裏のガレージの正面に回ると、うっすら書かれた"月極駐車場 ことぶき駐車場" の文字が。寿座と勝浦映画劇場の経営者が同じだったためですが、寿座じゃない方の映画館がことぶき駐車場とはややこしい。

寿座については「勝浦には港の近くにもう一軒映画館があった。映画館を取り壊してから現在の建物を建てたんじゃないか。現在の建物には何軒か店が入っている」とのこと。

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(写真)勝浦映画劇場跡地にあることぶき駐車場。

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(写真)勝浦映画劇場跡地にあることぶき駐車場。

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(写真)勝浦映画劇場跡地にある「お食事処 山賀」や「タイ風居酒屋BAIBOA」。ことぶき駐車場の背後。

 

紀伊勝浦の映画館について調べたことは「和歌山県の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(和歌山県版)」にマッピングしています。

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