振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

津島市を訪れる

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(写真)名鉄津島駅。2021年6月。

2021年(令和3年)11月、愛知県津島市を訪れました。「津島市の映画館」に続きます。

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1. 津島市の通り

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(写真)現在の航空写真における津島市の通りと映画館跡地。地理院地図

 

1.1 天王通り

天王通りは名鉄津島駅津島神社を結ぶ通りであり、1930年(昭和5年)の開通から長らく津島市のメインストリートとして繁栄していた通りです。それまでのメインストリートである本町通りとは西側で交差しています。

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(写真)天王通り。2021年6月。

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(写真)天王通りの繁栄について書かれた文章。『津島の横顔』津島市役所、1955年。津島市立図書館所蔵。

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(写真)半世紀前の天王通り。『伸びゆく津島 1970 津島市勢要覧』津島市役所、1970年。津島市立図書館所蔵。※著作権は切れていません。

 

津島市立図書館「天王通りの今昔写真展」

2021年(令和3年)11月24日から、津島市立図書館では「天王通りの今昔写真展」が開催されています。1957年(昭和32年)の天王通り周辺の住宅地図を展示したうえで、1996年(平成8年、25年前)の写真と2021年(令和3年)現在の写真の比較などを行っています。

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(写真)津島市立図書館における「天王通りの今昔写真展」。2021年11月。

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(写真)津島市立図書館における「天王通りの今昔写真展」。2021年11月。

 

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(写真)津島市立図書館。2021年11月。

 

1.2 本町通り

天王通りが開通するまでのメインストリートだったのは本町通りです。本町通りは天王川東側の自然堤防上にあり、かつての流れに沿って湾曲しています。貞享2年(1685年)建築の平山学園三養荘などの興味深い建物もありますが、2017年(平成29年)頃には野口米次郎生家が取り壊されるなどしています。

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(写真)本町通りの銀座商店街。『津島商工名鑑 1966』津島商工会議所、1966年。津島市立図書館所蔵。

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(写真)本町通り。天王通りの南側。2021年6月。

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(写真)本町通り。天王通りの南側。2021年6月。

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(写真)本町通り。天王通りの北側。2021年6月。

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(写真)本町通り。天王通りの北側。2021年6月。

 

天王通りの開通直前、1929年(昭和4年)には天王通りとの交差点北側に旧津島信用金庫本店(旧名古屋銀行津島支店)が建てられ、和風建築が多い本町通りでは唯一の近代建築となっています。2006年(平成18年)には登録有形文化財に登録され、2009年(平成21年)4月に津島市観光交流センターがオープンしています。

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(写真)津島市観光交流センター。2021年11月。

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(写真)津島市観光交流センター。2021年6月。

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(写真)1965年の住宅地図における本町通り。天王通りの北側。愛知県図書館所蔵。

 

1.3 橋詰町

本町通りから天王川公園方面に分岐する通りとして橋詰町があり、かつては橋詰町商店街としてにぎやかな通りだったようです。

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(写真)橋詰町商店街。『津島商工名鑑 1966』津島商工会議所、1966年。津島市立図書館所蔵。

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(写真)橋詰町の繁栄について書かれた文章。『津島の横顔』津島市役所、1955年。津島市立図書館所蔵。

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(左)橋詰町にある加藤薬局。(右)橋詰商店街の街路灯。いずれも2021年6月。

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(写真)1965年の住宅地図における橋詰町。愛知県図書館所蔵。

 

2. 津島市の地図・絵図

2.1 「大日本職業別明細図」1933年

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(地図)1933年の津島市街地。『大日本職業別明細図 第324号』東京交通社、1933年。愛知県図書館所蔵。

 

2.3 「産業と観光の尾西地方」1937年

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(絵図)吉田初三郎「産業と観光の尾西地方」『毛織の津島』一宮市役所・一宮商工会議所、1937年。津島市立図書館所蔵。

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(絵図)吉田初三郎「産業と観光の尾西地方」『毛織の津島』一宮市役所・一宮商工会議所、1937年。津島市立図書館所蔵。

 

2.2 「津島町鳥観図」戦前

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(絵図)「津島町鳥瞰図」『躍進の津島』戦前。津島市立図書館にて閲覧(※OPAC未登録)。

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(絵図)津島神社周辺。「津島町鳥瞰図」『躍進の津島』戦前。津島市立図書館にて閲覧(※OPAC未登録)。

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(絵図)津島駅・天王川公園周辺。「津島町鳥瞰図」『躍進の津島』戦前。津島市立図書館にて閲覧(※OPAC未登録)。

 

2.4 「津島市産業観光案内図」1963年

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(地図)津島神社津島駅などがある津島市街地の北側。『津島市産業観光案内図』日本観光商工宣伝協会、1963年。津島市立図書館所蔵。

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(地図)天王川公園などがある津島市街地の南側。『津島市産業観光案内図』日本観光商工宣伝協会、1963年。津島市立図書館所蔵。

羽島市歴史民俗資料館・羽島市映画資料館を訪れる(2)

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(写真)羽島市歴史民俗資料館・羽島市映画資料館。竹鼻朝日館をモチーフとする南面。2019年12月。

2021年(令和3年)11月、岐阜県羽島市羽島市歴史民俗資料館・羽島市映画資料館を訪れました。「羽島市歴史民俗資料館・羽島市映画資料館を訪れる(1)」からの続きです。

 

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1. 羽島市映画資料館

2階の映画資料室には、6台(8台)の映写機を核とする多数のノンフィルム資料や、かつてこの地にあった映画館「竹鼻朝日館」に関するコーナーがあります。

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(写真)映画館の座席。

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(写真)各地の映画館から寄贈された映写機。

 

1.1 知立第一劇場(愛知県知立市

愛知県知立市にあった映画館「知立第一劇場」(1955年開館-1994年閉館)からは、劇場用映写機2台、映写機用レンズ、放送用スピーカー・映写用スピーカー、フィルム巻取機、シリコン整流器などが寄贈されています。

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(写真)知立第一劇場で使用されていた劇場用映写機。1955年ニチオン製。

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(写真)竹鼻朝日館と知立第一劇場で使用されていた映写機用レンズ。興和プロミナー製。

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(写真)知立第一劇場で使用されていた放送用スピーカーと映写用スピーカー。

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(写真)知立第一劇場で使用されていたフィルム巻取機。

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(写真)知立第一劇場で使用されていたシリコン整流器。1971年製。

 

1.2 弥富館(愛知県弥富市

愛知県弥富市にあった映画館「弥富館」(1950年代初頭開館-1970年代初頭閉館)からは、劇場用映写機2台などが寄贈されています。弥富館の閉館は羽島市映画資料館の開館よりかなり早いのですが、跡地には屋根付駐輪場「マルヨシ自転車置場」として映画館の建物が残っています。(参考 : 弥富市の映画館 - 振り返ればロバがいる

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(写真)弥富館で使用されていた劇場用映写機。1953年スターレックス製。

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(写真)弥富館の館内。

 

1.3 森盛会館(長野県根羽村

長野県下伊那郡根羽村にあった映画館「森盛会館」(しんもりかいかん、1953年開館-1965年閉館)からは、劇場用映写機2台などが寄贈されています。1947年(昭和22年)に製造された映写機は知立第一劇場や弥富館のものより古く、産業遺産データベースにも掲載されているそうです。

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(写真)森盛会館で使用されていた劇場用映写機。1947年ローヤル製。

 

森盛会館には根羽村の住民以外にも、平谷村、愛知県北設楽郡稲武町岐阜県恵那郡上矢作町からも観客が訪れたそうです。1965年(昭和40年)の市川崑監督作『東京オリンピック』を最後に閉館し、その後は建設資材倉庫として使用されていました。

森盛会館の取り壊しと羽島市映画資料館の開館が同時期だったこともあり、映写機・整流器・資料などが寄贈されています。取り壊し前には『南信州新聞』に記事も掲載されており、比較的恵まれた境遇の映画館だったといえるのでは。

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(写真)森盛会館の外観。取り壊し間際の1995年8月20日撮影。※著作権は切れていません。

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(写真)「日本映画のよき時代支えた さよなら『森盛会館』映写機など公共施設へ 近く取り壊し 根羽」『南信州新聞』1996年7月5日

 

1.4 その他の展示資料

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(写真)岐阜土地興業で使用されていた移動用映写機。シンキョー製。

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(写真)移動用16mm映写機。1956年エルモ製。

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(写真)ロイヤル劇場で使用されていたロングリール。

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(写真)開館時の記録。俳優の丹波哲郎が一日名誉館長。

 

1.5 竹鼻朝日館コーナー

映画資料室の中にはかつてこの地にあった映画館「竹鼻朝日館」コーナーがあり、竹鼻朝日館で使用されていた座席などが展示されています。このほど羽島市映画資料館を訪れたのを機に、2021年11月28日には「竹鼻朝日館 - Wikipedia」のウィキペディア記事を作成しました。

ja.wikipedia.org

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(写真)竹鼻朝日館コーナー。

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(写真)竹鼻朝日館の模型。

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(写真)取り壊し前の竹鼻朝日館。

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(写真)戦前の竹鼻朝日館で使用されていた大太鼓と貸傘。

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(写真)戦前の竹鼻朝日館で使用されていた貸火鉢。

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(写真)竹鼻朝日館の座席。

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(写真)竹鼻朝日館で使用されていた料金表。時期不明。

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(写真)竹鼻朝日館の資料。

 

羽島市歴史民俗資料館・羽島市映画資料館を訪れる(1)

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(写真)羽島市歴史民俗資料館・羽島市映画資料館。竹ヶ鼻城をモチーフとする西面。2019年12月。

2021年(令和3年)11月、岐阜県羽島市羽島市歴史民俗資料館・羽島市映画資料館を訪れました。「羽島市歴史民俗資料館・羽島市映画資料館を訪れる(2)」に続きます。

 

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1. 羽島市歴史民俗資料館

羽島市歴史民俗資料館・羽島市映画資料館は1996年(平成8年)に開館した公立の博物館です。もともと羽島市には1984年(昭和59年)開館の羽島市歴史民俗資料館がありましたが、竹鼻朝日館 - Wikipediaの建物内で発見された映画関係資料を加えて、竹鼻朝日館跡地に新たに建設されたのが羽島市歴史民俗資料館・羽島市映画資料館です。

年4回の企画展が開催されますが、上半期(4月~9月)の2回は映画に関する企画展が多く、下半期(10月~3月)は羽島市に関する企画展が多い。令和3年度の第3回企画展は羽島市を通る名鉄竹鼻線の開業100周年を記念した「竹鼻線開通100周年」です。

 

1.1 企画展「竹鼻線開通100周年」

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(写真)羽島市歴史民俗資料館・羽島市映画資料館の入口。

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(写真)企画展「竹鼻線開通100周年」の案内。

 

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(写真)企画展「竹鼻線開通100周年」の入口。

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(写真)企画展「竹鼻線開通100周年」の展示。

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(写真)企画展「竹鼻線開通100周年」の展示。

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(写真)企画展「竹鼻線開通100周年」の展示。

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(写真)企画展「竹鼻線開通100周年」の展示。

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(写真)企画展「竹鼻線開通100周年」の展示。

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(写真)企画展「竹鼻線開通100周年」の展示。

 

2. 羽島市映画資料館

2.1 常設展示「消えていった名古屋の映画館」

2階の映画資料室では毎月第2土曜日に旧作の映画上映会が開催されます。この日は「テツドウモケイ運転会」が行われていました。常設展示として安達史郎氏が作成した地図「消えていった名古屋の映画館」が展示されています。

安達氏は自身の記憶を元に作成したと思われ、『映画館名簿』などの文献は用いていないと思われます。抜けている映画館は多数あるものの、このような題材に関する関心が高くない時代に作成した地図として意義があると思われます。

 

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(地図)「消えていった名古屋の映画館」。全体。

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(地図)「消えていった名古屋の映画館」。名古屋市中央部。

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(地図)「消えていった名古屋の映画館」。名古屋駅前。

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(地図)「消えていった名古屋の映画館」。伏見周辺。

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(地図)「消えていった名古屋の映画館」。栄周辺。

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(地図)「消えていった名古屋の映画館」。大須周辺。

坂手島を訪れる

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(写真)坂手島の階段路地。

2021年(令和3年)11月、三重県鳥羽市の坂手島を訪れました。かつて坂手島に映画館はありませんでした。

 

1. 坂手島を訪れる

1.1 坂手港

伊勢湾に浮かぶ坂手島は鳥羽市街地から約600mの距離にあり、鳥羽市有人島4島の中では最も本土に近い島です。鳥羽マリンターミナルから鳥羽市営定期船に乗船し、わずか10分で坂手港に到着します。面積は0.51km2、住民基本台帳に基づく2021年(令和3年)3月の人口は289人。

往路は1985年(昭和60年)建造の「第二十五鳥羽丸」、復路は2009年(平成21年)建造の「かがやき」でした。第二十五鳥羽丸には初乗船ですが、現役の伊勢市営定期船の中では最も建造年が古い船です。

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(写真)鳥羽市営定期船の「かがやき」。復路で乗船。

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(左)「かがやき」の船内。(右)鳥羽市営定期船の「第二十五鳥羽丸」。往路で乗船。

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(写真)坂手島の島内マップ。

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(写真)坂手港。

 

1.2 坂手島の街並み

島内マップを見ると坂手島の道路は複雑に入り組んでいるように見えますが、集落中心部は "海岸通り" と "山通り" の2本が、集落西部、集落東部、集落東端部は "海岸通り" が軸となり、それ以外は基本的にバイクの通れない狭い路地です。

集落中央部の高台には若宮神社があり、その脇から坂手港に流れている水路が集落を二分しています。集落中央部にはちょっとした広場となっている空間があり、広場の北側には江戸川乱歩の妻である村山隆子の生家(村万商店)がありました。

ペンキでピンク色に塗られた外観が印象的ですが、見学施設ではないので写真だけ。村万商店の周囲にはペンキで水色や白色に塗られた民家もあります。先志摩半島では民家の外壁を色とりどりのペンキで塗る慣習が顕著であり、志摩市志摩町御座などの集落が印象的だった記憶があります。

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(写真)村万商店。江戸川乱歩の妻である村山隆子の生家。

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(写真)階段路地。

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(写真)階段路地。

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(写真)坂の上から見た集落。右上は林昌寺。

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(写真)坂手島の街並み。集落東部(JF鳥羽磯部坂手支所より東)。

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(写真)坂手島の街並み。集落東端部の新開地。

 

坂手島に観光スポットと言える施設はありませんが、地名が書かれたとっくり、タイルの流し台、煉瓦の井戸、手押し車、廃棄された漁具など、離島・漁村らしい光景がありました。

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(写真)坂手島の景観。(左)鳥羽港と坂手村のとっくり。(右)よくわからない陶器。

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(写真)坂手島の景観。(左)モザイクタイルの流し台。(右)煉瓦の井戸。

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(写真)坂手島の景観。(左)モザイクタイルの流し台。(右)手押し車。

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(写真)坂手島の景観。(左)浮きとロープ。(右)タコつぼ。

 

1.3 坂手島の産業

坂手島では答志島や菅島ほどが漁業が盛んではないようで、本土に通勤する住民が多いようです。かつては浅間山全体に段々畑が築かれていたようで、1960年代の航空写真を見ると斜面にびっしりと畑が写っており、天保の大飢饉で島民の半数近くが餓死した悲惨な出来事を踏まえて築かれた畑だそうです。

より面積の大きな答志島や菅島には段々畑はほとんど見られませんが、面積が坂手島に似通った神島もかつては段々畑の島でした。神島は島を一周する山道があり、かつての畑の痕跡を探しやすいです。

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(写真)1960年代と現在の航空写真。地理院地図

 

1980年代の航空写真にも段々畑が写っており、また1983年(昭和58年)刊行の『角川日本地名大辞典』にも段々畑に関する記述があります。現在の坂手島では家庭菜園より大きな規模の畑は見られず、航空写真を見ると畑の跡は山林と同化していますが、地形図では現在でも(針葉樹林や広葉樹林ではなく)荒地の記号が見られ、かつて浅間山の斜面が畑地だった痕跡がうかがえます。

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(写真)1980年代の航空写真。まだ段々畑が見られる。地理院地図

 

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(地図)現在の地形図。地図記号「荒地」が見られる。地理院地図

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(写真)かつて斜面に段々畑が築かれていた浅間山

 

1.4 坂手島の神社・小学校

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(写真)坂手島の鎮守である若宮神社

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(写真)若宮神社の拝殿。

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(写真)鳥羽市立坂手小学校。2009年休校、2012年閉校。

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(写真)坂手小学校の二宮尊徳像。