振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

可児市兼山を訪れる

(写真)戦国山城ミュージアム

2024年(令和6年)2月、岐阜県可児市兼山(旧・可児郡兼山町)を訪れました。「御嵩町伏見の映画館」「可児市の映画館」に続きます。

 

ayc.hatenablog.com

ayc.hatenablog.com

1. 可児市兼山を訪れる

1.1 戦国山城ミュージアム

可児市兼山における観光施設として、2018年(平成30年)に開館した戦国山城ミュージアムがあります。1994年(平成6年)に兼山町歴史民俗資料館として開館、2005年(平成17年)に可児市に移行して兼山歴史民俗資料館に改称した施設です。

1885年(明治18年)に兼山学校の校舎として竣工した建物であり、正面から見ると2階建てなのに背後から見ると3階建て、高低差の大きな地形を活かした懸造(かけづくり)という構造だそうです。1932年(昭和7年)に兼山尋常小学校が現在地に移転した後も、1970年代まで兼山町役場として使用されました。

(写真)戦国山城ミュージアム

 

明治時代の学校建築というと、広々とした廊下や明るい教室、玄関の正面や玄関脇にある階段を思い浮かべますが、この建物はかなり印象が異なります。狭い敷地のためにワンフロアあたりの床面積が小さく、天井が低くて窓も小さく、地階に向かう階段はまるで存在感がありません。

(写真)美濃金山城ジオラマ

 

玄関の破風部分の鬼瓦には「文子」という文字が刻まれていますが、何かの経典に由来する言葉なんでしょうか。

(写真)玄関の破風部分の鬼瓦や軒丸瓦。

 

1.2 山本藤九郎家墓所(市指定)

兼山市街地にある多くの寺は、複数の可児市指定文化財を有しています。日蓮宗の専養寺には兼山有数の豪商だった山本藤九郎家(名跡墓所がありました。戦国時代には美濃金山城の城下にある港として兼山湊が発展し、江戸時代中期までは尾張藩の庇護を受けて山本藤九郎家も繁栄を極めていたようですが、その後木曽川中流域に相次いで川湊ができたことで没落していったようです。

(写真)山本藤九郎家(名跡墓所

 

1.3 藤掛鉄店の蔵

常盤町にある藤掛鉄店は明治初頭創業であり、荷車の車輪や農具などを販売していたとのこと。1935年(昭和10年)頃の兼山町を描いた「兼山町街並復元図」には「油店 藤掛義雄」とあります。現在の店舗の東隣には黒漆喰の土蔵があり、店舗と接する部分は煉瓦壁となっています。

(写真)藤掛鉄店の蔵。

(写真)藤掛鉄店の木製看板。戦国山城ミュージアムの常設展示。

 

2階開口部の庇には右書きで「佐々木エ●店●師中嶋」とあり、藤掛鉄店とは書かれていません。

(写真)藤掛鉄店の蔵。

 

戦国山城ミュージアムには藤掛鉄店と安藤呉服店付近を写した写真がありました。左の建物が藤掛鉄店の旧店舗、その奥の電柱に隠れた建物が現存する蔵、右側の建物が安藤呉服店だと思われます。安藤呉服店の手前には現在もある路地が見えます。

(写真)大正末期の常盤町。藤掛鉄店や安藤呉服店。『目で見る 可児・加茂の100年』郷土出版社、1990年。

 

上記の写真と反対の構図。安藤呉服店の跡地には東濃信用金庫兼山支店がありましたが、店舗としては2017年(平成29年)に廃止されています。

(写真)現在の藤掛鉄店周辺。

 

1.4 伊藤酒造

本町にある伊藤酒造は1902年(明治35年)創業の酒蔵。代表銘柄は烏峯泉(うほうせん)、蘭丸(らんまる)。街道沿いからは和風建築の主屋しか見えませんが、航空写真を見ると背後には多数の建物があります。

(写真)伊藤酒造の主屋。

 

主屋のガラス戸には「酒造店」と書かれており、ショーウィンドウには「伊藤酒店」や「兼山町」と書かれた徳利が並べられていました。主屋の竣工はいつ頃だろう。

(写真)伊藤酒造の主屋。

(写真)伊藤酒造の主屋。

 

1.5 旧兼山郵便局

宮町には1903年明治36年)竣工の旧兼山郵便局があります。ただの木造ではなく土蔵造であり、ファサードの漆喰は半分以上はがれて土壁が露出しています。

 

1.6 三階倉(市指定)

常盤町西念寺のすぐ西側、東濃信用金庫兼山支店の廃屋と同一敷地には、三階倉と呼ばれる可児市指定文化財があります。明治中期に竣工した土蔵造3階建の蔵。もとは安藤呉服店の蔵でしょうか。側面がトタンなのが味気ないものの、屋根は立派な本瓦葺です。

(写真)三階倉。

 

西念寺の鐘楼は1961年(昭和36年)鋳造であり、鋳匠は滋賀県の長村鋳物師の黄地佐平でした。

 


1.7 名鉄八百津線

1930年(昭和5年)から2001年(平成13年)まで、兼山町を通る鉄道路線として名鉄八百津線がありました。戦国山城ミュージアムの敷地内には八百津線の線路の一部が移設されており、その奥には1923年(大正12年)竣工の3代目兼山橋のプレートも展示されています。

 

1.8 可児市兼山の街並み

(写真)兼山の街並み。盛住町。

(写真)兼山の街並み。常盤町

(写真)兼山の街並み。本町の六角堂付近。この場所から兼山駅の駅前通りが分岐していた。

 

2. 可児市兼山の劇場

2.1 常盤座

各年版の映画館名簿を見ると、兼山町には映画館は存在しなかったようです。『御嵩町史 通史編 下』には兼山町に末広座という劇場があったと記されていますが、『兼山町史』などにこの名称の劇場は登場しません。

戦国山城ミュージアムには、2003年(平成15年)頃に兼山町歴史研究同好会が作成した「兼山町街並復元図」が展示されていました。1935年(昭和10年)頃の兼山町の街並みを復元した力作であり、劇場らしき施設としては常盤町に「常盤座」が描かれています。

(地図)「兼山町街並復元図」兼山町歴史研究同好会。

 

戦国山城ミュージアム可児市観光交流館の東すぐ、常盤町公民館やJAめぐみの兼山営業所の敷地やその駐車場の場所が常盤座の跡地のようです。

(写真)常盤座跡地の駐車場。