(写真)展覧会の会場。
2023年(令和5年)12月、鳥取県鳥取市のGalleryそらで開催された展覧会「見る場所を見る3 アーティストによる鳥取の映画文化リサーチプロジェクト」を訪れました。
1. 鳥取市を訪れる
12月23日(土)の鳥取市は10cm程度の積雪がありました。トークイベントのゲストである佐藤洋一さん(早稲田大学教授)が無事に来鳥できてよかった。
(写真)鳥取シネマが入るまるもビル。
(写真)若桜街道商店街。中央奥は久松山。
(写真)かつて世界館があった川端通り。
2. 展覧会「見る場所を見る3」
鳥取大学地域学部の佐々木友輔さんが2021年(令和3年)から実施している展覧会「見る場所を見る」の第4弾。「見る場所」とは「(映画を)観る場所」という意味であり、具体的には映画館とレンタルビデオショップを指しています。
2021年(令和3年)の「見る場所を見る」では鳥取市、2022年(令和4年)の「見る場所を見る2」では米子市と境港市、今回は倉吉市と鳥取県郡部が対象であり、私は初めてこの展覧会を訪れました。
愛知県から見ると山陰は遠さを感じる地域なのですが、2020年(令和2年)9月には鳥取市を訪れ、鳥取県立図書館で県内自治体の古い住宅地図や日本海新聞データベースを漁りました。2022年(令和4年)8月には米子市を訪れて映画館跡地巡りをしています。境港市は図書館の移転前に訪れたことがあるほか、八頭郡智頭町の旧智頭宿を軽く散策したことがあります。倉吉市は訪れたことがなかったため、今回の展覧会の翌日に訪れて散策しました。
(写真)Galleryそら。
2.1 第1部:イラストで見る、倉吉市内・郡部の映画館&レンタルビデオショップ史
2023年(令和5年)11月から12月にかけて、香川県高松市の香川県立ミュージアムで展覧会「映画のレシピ」が、山口県山口市の山口情報芸術センターで展覧会「Afternote 山口市 映画館の歴史」が開催されました。中国・四国地方という狭い範囲で、近い期間に映画館を主題とする展覧会が3つも開催されたことになります。香川・山口・鳥取のいずれも、丹念な文献調査がベースにあるのは間違いないのですが、それぞれアプローチが異なるのが面白い。
・香川県を対象地域とする「映画のレシピ」は香川県立ミュージアム主任専門職員の高木理光さんが担当者。映写機などのモノの展示から地域の映画館を明らかにする、学芸員の企画らしい王道の展覧会。
・山口市を対象地域とする「Afternote 山口市 映画館の歴史」は現代美術作家の志村信裕さんが担当者。インタビューを通じた人の記憶から地域の映画館を明らかにすることを試みています。
・倉吉市や鳥取県郡部を対象地域とする「見る場所を見る3」は、Claraさんのイラストをメインに据えて、映像作家の佐々木友輔さんが文章や図表を、学生の杵島和泉さんが言葉などを添えています。このような展示によって鑑賞者の記憶を引き出すことで、さらなる情報収集を狙っているとのこと。そうやって集めた情報が次の展覧会につながります。
佐々木さん・杵島さんはこの手法をイラストレーション・ドキュメンタリーと定義しており、オープンアクセスの「イラストレーション・ドキュメンタリー 地方映画史を記述するための方法論」『地域学論集』(佐々木友輔、杵島和泉著、第20巻第1号、2023年8月)でより詳しく紹介されています。
(写真)第1部の展示。
例えば、かつて倉吉市には日本館という映画館があり、 『写真アルバム 倉吉・東伯の昭和』(樹林舎、2014年)には昭和初期の日本館として以下のような写真が残っています。活動写真の上映前には楽隊が街を練り歩いて宣伝していたようです。
(写真)昭和初期の東伯郡倉吉町にあった日本館。『写真アルバム 倉吉・東伯の昭和』樹林舎、2014年。
倉吉市の日本館についてClaraさんが描いたイラスト作品はこちら。『写真アルバム~』では斜めだった構図は正面からの構図に変わり、モノクロだった壁面はベージュに塗られ、日本館という館名が強調され、練り歩く楽隊が大きな位置を占めています。『写真アルバム~』の写真よりもClaraさんのイラストのほうが、遥かに鑑賞者の印象に残ると感じます。
(写真)第1部の展示。倉吉市にあった日本館のイラスト。
展覧会準備の過程では新聞を一枚ずつめくるような綿密な文献調査がなされているのがわかるのですが、展示に登場する文字数は驚くほど少ない。その代わりにグラフや地図が効果的に使われています。私が作成しているサイト「消えた映画館の記憶」も先行研究の例として挙げていただいていました。
(写真)第1部の展示。倉吉市や郡部の映画館の変遷、倉吉市の映画館マップ。
(写真)第1部の展示。倉吉市や郡部の映画館の変遷。
「見る場所を見る」シリーズでいつも新鮮なのが、各都市におけるレンタルビデオ店の変遷です。分野別の商工業者一覧が掲載されている電話帳でレンタルビデオ店を抽出し、各年版の電話帳や住宅地図で開店年/閉店年などを特定しているとのことです。
映画館と比べると軽視されがちな業種ですが、確かにある時期までは重要な「見る場所」だった。京都にいた頃に足しげく通っていたレンタルビデオ店が現在どうなっているのか気になったのですが、店舗Aは「アダルト作品のみレンタル継続、 その他は全て販売商品化」、店舗Bは「閉店」となっていました。
(写真)第1部の展示。倉吉市や郡部のレンタルビデオショップの変遷。
展示から映画館に関する記憶を引き出すためのアンケート用紙はこちら。私が訪れたのは展覧会3日目ですが、最初の2日間で集めた記憶が既に壁面に貼られていました。
(写真)記憶の情報提供の呼びかけ。
(写真)記憶の展示。
倉吉東映について書かれた方がいました。各年版の映画館名簿によると、倉吉東映は1963年(昭和38年)閉館の映画館。鳥取県立図書館にある最も古い住宅地図にも掲載されておらず、その他の郷土資料でも正確な場所を特定できていませんでした。
この方の記憶には「(倉吉東映が)スーパーに変わって」とあります。1969年(昭和44年)の住宅地図を見ると、倉吉東映があったとされる倉吉市堺町2に1軒のスーパーが描かれており、1962年(昭和37年)の航空写真でこの場所を見ると、映画館建築と思われる巨大な建物が写っています。翌日に倉吉市を訪れて調査したところ、倉吉東映は実際にこの場所にあったとのことです。文献情報と人の記憶をかけ合わせることで正確な情報が得られた良い例でした。
この方は保育園時代に倉吉東映に入ったことがあるということで、現在は60代後半から70代前半でしょうか。ただし、一般的には自分でお金を出して鑑賞する年代でないと記憶には残りにくいものです。
ある地域に1963年(昭和38年)に閉館した映画館があったとします。その地域の方が20歳の時に映画館に通うようになったとしても、その映画館について記憶しているのは2024年(令和6年)時点で70代後半以上の方に限られてしまう。60年も前のことで記憶は薄れているし、その地域を離れている方や、既に亡くなられた方も多い年代です。女性の場合は他地域から嫁いできていることが多い年代だし、この年代で若い頃から映画ファンだった女性はかなり少ないです。
いずれにしても、2020年代のいまやらなければ大事な記憶が失われてしまう、とても意義深い調査だと思いました。
(写真)記憶の展示。
2.2 第2部:夜は寝るもの? 映画ファンの「ハレの場」としてのフェイドイン・マンスリーレイトショー
第1部は倉吉市の映画館事情を俯瞰した展示でしたが、杵島和泉さんが担当した第2部は鳥取市にあった「シネマスポット・フェイドイン」という特定の映画館に焦点を絞って、毎月開催されていた会員制レイトショーに着目した展示です。今回の展覧会の開催場所は鳥取市内であり、2006年(平成18年)まで営業していた映画館ということもあって、第1部よりも鑑賞者の食いつきが多かったのでは。
(写真)第2部の展示。
「夜中は寝るもの オールナイトは絶対やらぬ」など、杵島さんが印象に残った言葉が壁面に書かれています。京都みなみ会館のオールナイト上映が好きだった者としては少し納得がいかない言葉かな。Claraさんによるユーモラスな人物が描かれたイラストも印象的でした。
(写真)第2部の展示。イラスト、チラシ、写真、文字による展示。
(写真)第2部の展示。フェイドインの館内のイラスト。
机の上にはこの会員制レイトショーのプログラムがファイル化され、自由に見ることができるようになっていました。
(写真)第2部の展示と机。
(写真)第2部の展示。フェイドインのレイトショーの会報。
(写真)第2部の展示。フェイドインのレイトショーの会報。
展示の最後には展覧会に関する映像も流されていました。長々とした文章ではなく映像で伝えるというのは時流に乗っています。イラスト、言葉、映像を使い分けることで鑑賞者の記憶に残る展示になっていると感じました。
(写真)第1部・第2部の展示。映像作品、文字の展示。