振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

倉吉市の映画館

(写真)『西日本住宅詳細図』。

2023年(令和5年)12月、鳥取県倉吉市を訪れました。「倉吉市を訪れる」からの続きです。

かつて倉吉市街地には映画館「倉吉富士館」「倉吉有楽座」「倉吉日本館」「倉吉東映」「旭座」「寿座」があり、市街地から離れた上井駅(現・倉吉駅)前に「倉吉上井館」がありました。現在の倉吉市には3スクリーンの複合映画館「倉吉パープルタウンシネマエポック」があります。

 

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1. 映画館名簿・航空写真

1.1 1960年の映画館名簿

日本の映画館数が最も多かったのは1960年(昭和35年)であり、倉吉市には日本館、有楽座、富士館、倉吉東映、旭座、えいらく館の6館がありました。

当時の鳥取県には39館の映画館があり、自治体別では鳥取市に9館、米子市に7館、倉吉市に6館、境港市に4館と続いていました。なお、当時の日本の人口は約9300万人ですが、うち鳥取県の人口は約62万人であり、2024年(令和6年)現在の約54万人を上回っていました。

 

1.2 1962年の航空写真

現在の倉吉市街地には鉄道駅がありませんが、1985年(昭和60年)までは国鉄山陰本線から分岐する盲腸線の倉吉線がありました。倉吉市における中心駅として打吹駅(旧・倉吉駅)があり、打吹駅の南西方向に2館、南東方向に3館の映画館がありました。

(写真)1962年の倉吉市街地の航空写真。枠外に倉吉東映あり。上井駅前に倉吉上井館あり。地図・空中写真閲覧サービス

 

1.3 1976年の映画館名簿

1960年代前半に旭座、倉吉東映、倉吉上井館が閉館し、その後は市街地に3館ある状態が約15年続きます。鳥取市米子市には大手映画会社の直営館がありましたが、倉吉市にあった映画館は全て地場の興行会社が経営していたようです。

 

1.4 1986年の映画館名簿

1976年(昭和51年)頃に倉吉日本館が閉館し、倉吉市の映画館は打吹駅の南東にある2館のみとなります。1986年(昭和61年)頃に宇崎穆夫が経営する倉吉有楽座が、1993年(平成5年)9月に竹の家興行が経営する倉吉富士館が閉館し、鳥取県中部から映画館がなくなりました。

 

1.5 1998年の映画館名簿

1996年(平成8年)7月、倉吉駅前の大型SCであるパープルタウンにシネマエポックが開館します。シネマエポックは3スクリーンを有する複合映画館であり、当時の鳥取県に4施設のみあった映画館はいずれも2または3スクリーンを有していました。

 

2. 倉吉市の映画館

2.1 寿座(1953年12月-1959年頃)

所在地 : 鳥取県倉吉市瀬崎町2751(1959年)
開館年 : 1897年頃、1953年12月
閉館年 : 1959年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1953年12月開館。1950年の映画館名簿では「寿座」。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年・1959年の映画館名簿では「寿座」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。

1897年(明治30年)頃、東伯郡倉吉町鍛治町に芝居小屋として寿座が開館し、倉吉電気が倉吉町に電燈を灯したのは1911年(明治44年)のことであり、寿座の開館当初はランプの灯りで営業を行っていたようです。

戦後にはセントラル映画社の洋画上映館となり、1953年(昭和28年)には映画専門館化して大映上映館となりました。このように寿座は歴史ある劇場・映画館ですが、正確な跡地を特定できていません。

 

2.2 旭座(1902年頃-1962年)

所在地 : 鳥取県倉吉市瀬崎町2753(1962年)
開館年 : 1902年頃
閉館年 : 1962年
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1961年・1962年の映画館名簿では「旭座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「セブンイレブン倉吉新町店」。

寿座と同様に明治時代から存在した芝居小屋として旭座があります。1902年(明治35年)頃に大正町に開館し、戦前には日活の上映館として営業していました。1912年(明治45年)に国鉄倉吉線が開業し、東西の記念道路(現在の鳥取県道205号、銀座商店街通り)が開通した際に新町に移転しています。

映画観客数が減少しはじめた1962年(昭和37年)に閉館。旭座の経営者だった宇崎穆夫は旭座跡地にスーパーマーケットの東宝ストアを開店させます。東宝企業株式会社を設立し、倉吉市周辺に東宝ストアチェーンを展開しました。東宝ストアは現役のスーパーマーケットチェーンです。

(写真)中央左に旭座が描かれている住宅地図。『西日本住宅詳細図』三公商会、1960年代前半。倉吉市立図書館所蔵。

(写真)左上に旭座跡地の東宝ストアーが描かれている年不明の住宅地図。

(写真)東宝企業の東宝ストアチェーン。

 

旭座跡地に開店した東宝ストア新町店は2020年(令和2年)に閉店し、2021年(令和3年)には跡地にセブンイレブンが開店しています。

(写真)2019年10月の東宝ストア新町店。Googleストリートビュー

(写真)旭座や東宝ストア新町店跡地のセブンイレブン

 

2.3 倉吉東映(1958年頃-1963年6月12日)

所在地 : 鳥取県倉吉市堺町2(1963年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1963年6月12日
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年・1963年の映画館名簿では「倉吉東映」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「倉吉市役所第2庁舎」北70mの建物と駐車場。

1958年(昭和33年)頃から1963年(昭和38年)6月まで短期間存在した映画館が倉吉東映です。経営者は1953年(昭和28年)に倉吉富士館を開館させている竹の家啓三郎(竹内年蔵)。東映は同時期に多数の直営館を建設していましたが、倉吉東映東映の直営館ではありませんでした。

(写真)左上に倉吉東映が描かれている住宅地図。『西日本住宅詳細図』三公商会、1960年代前半。倉吉市立図書館所蔵。

(写真)右上に倉吉東映跡地のジュニアデパートタイヨーが描かれている1979年の住宅地図。

 

倉吉市街地の映画館としてはもっとも東側にあったのが倉吉東映です。現在は倉吉市役所第2庁舎がある場所には、かつて日ノ丸自動車のバスターミナルがありましたが、バスターミナルから北側に延びる路地の正面に倉吉東映がありました。

(写真)倉吉東映跡地の建物と駐車場。

(左)倉吉東映跡地の建物と駐車場。(右)倉吉東映の背後を走っていた国鉄倉吉線跡地。

 

倉吉東映を中心として「T」字型に商店街・飲食店街が形成されていました。現在も映画館があった頃の面影が感じられます。

(写真)倉吉東映跡地の南東にある商店街。

 

2.4 倉吉上井館(1955年頃-1966年頃)

所在地 : 鳥取県倉吉市上井町336(1966年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1966年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年の映画館名簿では「栄楽館」。1958年・1960年の映画館名簿では「えいらく館」。1963年の映画館名簿では「上井館」。1966年の映画館名簿では「倉吉上井館」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ビジネスホテルこんにち館」西60mの駐車場。

1953年(昭和28年)に2町7村の合併で倉吉市が発足する前、現在のJR山陰本線倉吉駅前は東伯郡上井町(あげいちょう)であり、東伯郡倉吉町とは別の自治体でした。旧・上井町域にあった唯一の映画館が倉吉上井館(えいらく館)であり、倉吉駅の西約300mの場所にありました。

(写真)中央上に上井館が描かれている住宅地図。『西日本住宅詳細図』三公商会、1960年代前半。倉吉市立図書館所蔵。

 

倉吉駅が現行名称になったのは1972年(昭和47年)のことであり、それまでは上井駅という名称でした。1985年(昭和60年)には倉吉線が廃止され、倉吉駅山陰本線の単独駅となっています。

(写真)1967年の倉吉上井館周辺の航空写真。地図・空中写真閲覧サービス

 

2.5 倉吉日本館(1925年1月-1976年頃)

所在地 : 鳥取県倉吉市大正町1075-12(1976年)
開館年 : 1925年1月、1939年1月
閉館年 : 1976年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1939年1月開館。1930年・1934年・1936年・1941年・1943年・1947年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「日本館」。1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「倉吉日本館」。1977年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「倉吉信用金庫うつぶき支店」西60mにあり「ダスキンオグラ」などが入るビル「くらよし館」と東隣の駐車場。

2023年(令和5年)12月に鳥取市のGalleryそらで開催された企画展「見る場所を見る3」では、イラストレーターのClaraさんが描いた印象的な日本館のイラストが展示されていました。その原案となったのは昭和初期の日本館の写真であり、上部が半円状で下見板張のように見える特徴的な看板建築だったようです。

(写真)昭和初期の日本館。『写真アルバム 倉吉・東伯の昭和』樹林舎、2014年。

(写真)中央左に日本館が描かれている年不明の住宅地図。

 

昭和40年代の写真を見ると、昭和初期の写真とはファサードが様変わりしています。

(写真)昭和40年代の日本館。『目で見る 倉吉・東伯の100年』郷土出版社、2000年。

(写真)中央左に日本館ビルが描かれている1979年の住宅地図。日本館ビルとその左側の建設現場が日本館跡地。

(写真)宇崎興行社が入る日本館ビルが描かれている1979年の住宅地図。

 

日本館があったのは記念通りの西側でした。跡地には巨大なビル「くらよし館」が建っています。

(写真)倉吉日本館跡地のビル。

(写真)倉吉日本館跡地の駐車場。

(写真)倉吉日本館跡地のビルと記念通り。

 

1979年(昭和54年)の住宅地図を見ると、日本館の奥の路地沿いには一の恵旅館とはやし旅館(林旅館)という複数の旅館の名前が見えます。はやし旅館の建物は現存しており、「旅館 はや志」という看板が掲げられていますが、現役の旅館でしょうか。

(写真)はやし旅館の建物。

 

2.6 倉吉有楽座(1950年10月-1986年頃)

所在地 : 鳥取県倉吉市明治町1017(1986年)
開館年 : 1950年10月
閉館年 : 1986年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1950年10月開館。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「有楽座」。1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1986年の映画館名簿では「倉吉有楽座」。1987年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「倉吉線鉄道記念館」南東80mにある「サンホーム管理月極有料駐車場」。

映画黄金期の日本海新聞の映画上映案内を見ると、倉吉地区の映画館として富士館、旭座、有楽座、日本館、えいらく館、寿座の6館が掲載されています。宇崎穆夫が旭座閉館後も経営していた映画館が倉吉有楽座です。

(写真)映画黄金期の映画上映案内。「今日の映画案内」『日本海新聞』1957年10月1日。

 

登録有形文化財の豊田家住宅には、1969年(昭和44年)の倉吉駅前の商店が描かれた地図が展示されていました。倉吉銀座通りには多数の商店が並んでおり、鳥取銀行倉吉支店から北に延びる路地の先に倉吉有楽座がありました。倉吉有楽座の西側のブロックは飲み屋街であり、スワン、真珠、女王蜂、銀蝶、すずらんなどスナックと思われる名前が並んでいます。

(写真)有楽座と富士館が描かれた1969年の倉吉駅前の地図。豊田家住宅の展示。下が北。

(写真)左上に有楽座が描かれている1985年の住宅地図。

(写真)倉吉有楽座跡地の駐車場。

(写真)倉吉有楽座跡地の西にある飲み屋街。

 

2.7 倉吉富士館(1953年10月2日-1993年9月)

所在地 : 鳥取県倉吉市明治町1016-13(1993年)
開館年 : 1953年10月2日
閉館年 : 1993年9月
『全国映画館総覧 1955』によると1953年10月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「富士館」。1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「倉吉富士館」。1995年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「倉吉線鉄道記念館」西南西20mにあるビジネスホテル「ビジネスインたけのや」。

1953年(昭和28年)10月2日には倉吉市街地5番目の映画館として富士館が開館しました。なお、東伯郡倉吉町など2町7村が合併して倉吉市が発足したのは前日の10月1日のことであり、当時の新聞は市制施行を祝賀する記事であふれています。

(写真)富士館の開館記念広告。『日本海新聞』1953年9月26日。

(写真)富士館の開館記念広告。『日本海新聞』1953年9月26日。

(写真)右上に富士館が描かれている1985年の住宅地図。

 

倉吉富士館は倉吉市において後発と言える映画館ですが、倉吉市では最も遅く1993年(平成5年)9月まで営業していました。跡地はビジネスホテルを核とするたけのやビルであり、1階は複数のスナックが入る飲食店街となっています。倉吉富士館の経営者は有限会社竹の家興行であり、映画館閉館後も土地を所有しながらビル経営に転業した例だと思われます。

(写真)倉吉富士館跡地のビル。

(写真)倉吉富士館跡地のビル。

(写真)倉吉富士館跡地のビル。

 

倉吉富士館の東側には小規模な社があり、ねこに見えるかわいらしい狛狐が建っています。この稲荷神社は1960年代前半の住宅地図にも描かれています。

(写真)倉吉富士館跡地の東側にある稲荷神社。

(写真)倉吉富士館跡地の東側にある稲荷神社。

 

2.8 倉吉パープルタウンシネマエポック(1996年-営業中)

所在地 : 鳥取県倉吉市山根557-1(2020年)
開館年 : 1996年
閉館年 : 営業中
1995年の映画館名簿には掲載されていない。1998年・2000年・2005年・2010年・2015年・2020年の映画館名簿では「倉吉パープルタウンシネマエポック1・2・3」(3館)。

(写真)倉吉パープルタウン。Googleストリートビュー

 

倉吉市の映画館について調べたことは「鳥取県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(鳥取県版)」にマッピングしています。

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