振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

豊岡市但東町の映画館

(写真)日本・モンゴル民族博物館。原寸大のゲル。

2023年(令和5年)12月、兵庫県豊岡市但東町を訪れました。かつて但東町中山には映画館「中山商工会館」がありました。

 

1. 豊岡市但東町中山を訪れる

1.1 日本・モンゴル民族博物館

但東町中山には1996年(平成8年)に開館した日本・モンゴル民族博物館 - Wikipediaがあります。もともと但東町は但馬ちりめんと呼ばれる絹織物の産地であり、京都・西陣と但馬地方を結ぶ街道を「但東シルクロード」と名付けたまちおこしを行っていました。それとは別件で、同時期には大阪外国語大学(現・大阪大学モンゴル語学科のゼミが但東町でフィールドワークを行い、「但東シルクロード」という名称に興味を抱いたモンゴル語学科と但東町との交流が始まったようです。

1994年(平成6年)に開催されたシンポジウムでは、在モンゴル日本国大使館の職員である金津匡伸が但東町を訪れて講演を行い、数千点にも及ぶモンゴル国の民俗資料を但東町に寄贈しました。これによって博物館の建設計画が浮上し、金津匡伸は外務省を退職して但東町に移住、1996年(平成8年)の開館時には初代館長となっています。

(写真)日本・モンゴル民族博物館。左はチンギス・ハーン騎馬像。

(写真)モンゴルの刺繍。

(写真)モンゴルの民族衣装。

 

2000年(平成12年)には奥部に伝承文化体験交流館が増築され、但東町の民俗資料館としての機能が追加されたようです。民具の展示を主とした一般的な民俗資料館であり、地域外の観光客が興味を持つ展示ではない。2005年(平成17年)には(旧)豊岡市但東町など1市5町が合併して(新)豊岡市が発足し、日本・モンゴル民族博物館は豊岡市の施設となりました。

(写真)但東町の暮らし。

 

 

1.2 加藤百貨店

出石郡役所があったのは城下町でもある出石町ですが、郡内で出石町に次ぐ規模の商業集積があったのが但東町中山だそうです。現存する建物では看板建築の加藤百貨店が目を見張ります。『兵庫県の近代化遺産』では竣工年不明とされていますが、昭和初期のいつ頃でしょうか。

(写真)加藤百貨店。

(写真)加藤百貨店。

(写真)加藤百貨店。

 

加藤百貨店の正面にも立派な元旅館の建物があります。主屋は赤茶色の石州瓦で葺かれた大きな建物。その北側にはやや低い建物が主屋に接続しており、持ち送りや漆喰壁の窓の意匠が洒落ています。

(写真)元旅館の建物。

(左)持ち送り。(右)窓の意匠。

(写真)元旅館と加藤百貨店。

 

2. 豊岡市立図書館但東分館

2.1 図書館の歴史

1956年(昭和31年)に出石郡合橋村・資母村・高橋村が合併して但東町が発足した後、但東町役場は暫定的に旧資母村の中山に置かれましたが、その後旧合橋村の出合に町役場が建設され、1994年(平成6年)に現行施設に建て替えられました。

豊岡市役所但東総合支所には豊岡市立図書館但東分館が併設されており、但東分館の奥には但東町出身の教育者を顕彰する東井義雄記念館があります。2005年(平成17年)の閉町時点で約5000人だった人口を考えると町役場は巨大すぎるし、2館の博物館を抱えているのは身の丈以上に思えます。

(写真)図書館の建物。

 

2.2 図書館の館内

豊岡市立図書館但東分館の施設は立地も規模も適度であり、館内の展示や飾りつけなどには職員の手が加わっている印象を受けました。12月のテーマ展示は「映画の日」(毎年12月1日)に合わせた「映画になった本」。ここ数年に映画化された書籍がブックスタンドで面展示されており、表紙の下部に映画化タイトルが添えられているのも気が利いていました。

(写真)図書館の館内。

(写真)テーマ展示「映画になった本」。

(写真)郷土資料の書架。

 

3. 但東町の映画館

3.1 中山商工会館(1956年頃-1965年頃)

所在地 : 兵庫県出石郡但東町中山(1965年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1965年頃
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年・1958年・1960年・1961年の映画館名簿では「山陰映画館」。1962年・1963年・1964年・1965年の映画館名簿では「中山商工会館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「但東中山郵便局」北西50mの畑など。

1950年代後半から1960年代初頭の映画館名簿には豊岡市に山陰映画館が、1960年代初頭から1960年代中頃の映画館名簿には出石郡但東町に中山商工会館が掲載されています。いずれも経営者は杉田芳雄であり、豊岡局3312番という電話番号も一致します。両館とも構造・定員・上映系統などは掲載されていません。両館が揃って掲載されている年度はありません。

これらのことから、山陰映画館と中山商工会館は同一の施設であり、山陰映画館の所在地が豊岡市というのは文献の誤りだと推測しています。今日の映画館名簿では所在する自治体が誤っていることなど考えられませんが、この時代の映画館名簿には一定数の誤りがありました。もともと映画館だった建物を商工会館に転用したのか、もともと商工会館だった建物で映画も上映していたのかは定かではありません。

(写真)豊岡市に山陰映画館が掲載されている映画館名簿。『映画便覧 1957』時事通信社、1957年。

(写真)但東町に中山商工会館が掲載されている映画館名簿。『映画便覧 1965』時事通信社、1965年。

 

1956年(昭和31年)に出石郡資母村・高橋村・合橋村が合併して但東町が発足した後、1959年(昭和34年)には但東町役場が『但東町の産業振興 但東町産業振興調査報告書』を刊行しています。この文献には1958年(昭和33年)9月30日時点の「但東町中山の商店分布略図」が掲載されており、映画館名簿に掲載された施設と同名の中山商工会館も描かれています。但東中山郵便局や加藤百貨店の裏手にある畑の場所に中山商工会館があったようです。

(地図)中山商工会館が描かれている「但東町中山の商店分布略図」『但東町の産業振興 但東町産業振興調査報告書』但東町、1959年。豊岡市立図書館但東分館所蔵。

(写真)1964年の但東町中山の航空写真。地図・空中写真閲覧サービス

 

豊岡市但東町の映画館について調べたことは「豊岡市の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(兵庫県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

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