振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

智頭町の映画館

(写真)智頭劇場の建物。

2022年(令和4年)8月、鳥取県八頭郡智頭町を訪れました。

 

1. 智頭町を訪れる

八頭郡智頭町は鳥取県の南東端部にある自治体。智頭急行線の起点になる駅であり、京阪神から鉄道で鳥取市を訪れる際に通過する町です。

(写真)JR因美線智頭急行智頭駅

 

2020年(令和2年)1月29日には公共図書館のちえの森ちづ図書館が開館しました。智頭町立図書館の設置及び管理に関する条例によると正式名称が "ちえの森ちづ図書館" のようで、"智頭町立" を冠しないみたい。

(写真)ちえの森ちづ図書館。

(写真)河原町商店街。衣料品店 カジカワや鳥取信用金庫智頭支店付近。

(写真)河原町商店街。智頭町消防団河原町分団の火の見櫓附近。

 

 

2. 智頭町の映画館

2.1 智頭劇場(1922年3月25日-1968年)

所在地 : 鳥取県八頭郡智頭町1653(1968年)
開館年 : 1922年3月25日
閉館年 : 1968年
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1968年の映画館名簿では「若桜劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。映画館の建物は「智頭サービス商工会」として現存。

映画館名簿には智頭町の映画館として智頭劇場が登場します。経営者の岡本照虎は智頭劇場を旗艦館とし、八頭郡用瀬町の富士映劇、東伯郡東伯町の金市座(1960年代後半に買収)、気高郡青谷町の寿座(1960年代後半に買収)なども経営していました。映画館名簿によると智頭劇場の構造は木造2階建て、定員は300となっています。

(左)『全国映画館総覧 1955』時事通信社、1955年。(右)『映画便覧 1968』時事通信社、1968年。

 

河原町商店街では智頭町商工会によって、不定期におかげ地蔵市というイベントが開催されています。おかげ地蔵とは河原町商店街の中ほどにある地蔵堂のことであり、おかげ地蔵の奥に智頭劇場の建物が現存しています。

入口の脇には智頭サービス商工会という表札が掲げられています。おかげ地蔵の脇にある愛宕堂跡地の看板によると、1923年(大正12年)の智頭駅開業の際に劇場が建設され、1968年(昭和43年)に閉鎖されたとのことです。

愛宕堂跡地

古くは宝永年間(1704~10)のころ、河原町の金屋嘉平と藤屋次郎が、京都の愛宕山の分霊を移し祀りました。これより、この町は備前街道の中心街として賑わいました。

天保14年(1843)の智頭宿絵図には、職人の町として45軒が店を連ね、南の端には「愛宕堂」があって、榎の巨木が茂り、鎮守の森と呼ばれました。大正12年7月、「因美線」が開通するにあたって、この所に智頭劇場が建設されることになり、愛宕堂は背後の山の山崎神社の跡地に移されました。昭和43年に至って智頭劇場は閉鎖され、今は地蔵菩薩弘法大師座像が往時を知るのみです。

(写真)智頭劇場の建物と河原町商店街。

(写真)愛宕堂跡地の説明板。

 

智頭劇場が開館した1922年(大正11年)前半の新聞記事を漁ると、1922年(大正11年)2月23日の『鳥取新報』に記事が見つかりました。「陽春4月頃落成する予定」と書かれていますが、3月から5月の新聞記事を片っ端から閲覧しても、竣工やこけら落としの記事は見つかりませんでした。

(写真)「智頭町駅前に劇場建築 杮葺落は四日頃」『鳥取新報』1922年2月23日。鳥取県立図書館所蔵。

 

地蔵堂の中には智頭劇場の棟札が置いてありました。智頭駅の開業の前年、1922年(大正11年)3月25日に新築落成式を挙行したことがわかりました。

 

表面「奉鎮祭 智頭劇場新築屋舎」

屋船久久能廼遅神(やふねくくのちのかみ、家屋の守護神)

屋船豊受姫神(やふねとようけひめのかみ、家屋の守護神)

手置帆負神(たおきほおいのかみ、工匠の守護神)

彦狭知神(ひこさしりのかみ、工匠の守護神)

裏面「大正十一年三月二十五日 新築落成式祭」

執行:諏訪神社社掌 小林一俊

発起人:梶川伝次、伊藤光蔵、藤縄賢蔵

棟梁:谷口政次(鳥取市外行徳)

左官:広田伝三郎

世話人:藤縄義次、有田猪蔵、野村杢一郎、下田政勝、草刈久蔵、佃勝蔵、南子一、下山繁次、吉崎光蔵(鳥取市藪庁原)

(左)おかげ地蔵の地蔵堂。(右)おかげ地蔵。

(写真)智頭劇場の棟札。(左)表面。(右)裏面。

 

おかげ地蔵の地蔵堂と対になるように、智頭劇場の前には光明真言百万遍塔という石碑も建っています。1905年(明治38年)6月12日建立とのことで、智頭劇場よりも古くからこの場所にあるようです。

(写真)光明真言百万遍塔の石碑。

 

智頭劇場の建物から400m北に向かうと、1928年(昭和3年)に主屋が建てられた石谷家住宅(重要文化財)があり、近くには1930年(昭和5年)頃に建てられた洋館を用いた西河克己映画記念館(登録有形文化財)があります。

ちえの森ちづ図書館と石谷家住宅をつなぐ道路はちづみちと名付けられ、エリア全体の賑わいを創出するちづみちエリアリノベーション事業が行われているようです。石谷家住宅や西河克己映画記念館と同じように、近代の智頭の発展を物語る建物である智頭劇場の活用も期待したい。

(写真)智頭劇場の背面。

(写真)智頭劇場の背面。

 

智頭町にあった映画館について調べたことは「鳥取県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(鳥取県版)」にマッピングしています。

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