振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

柳井市立柳井図書館を訪れる

(写真)1965年版や1967年版のゼンリン住宅地図

2023年(令和5年)12月、山口県柳井市柳井市立柳井図書館を訪れました。「柳井市の映画館」に続きます。

 

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1. 柳井市立柳井図書館

1.1 図書館の歴史

柳井市立柳井図書館は柳井駅から北に徒歩12分の距離。1986年(昭和61年)竣工の多目的ホール サンビームやないに併設されているという扱いですが、実質的には独立施設です。柳井市立図書館はサンビームやないが建つ前から存在していたようです。

柳井市立柳井図書館の西500mには、2006年(平成18年)に移転統合した山口県立柳井商業高校の跡地があります。柳井市はこの敷地に図書館を核とする複合施設「みどりが丘図書館」(※図書館名ではなく施設名)の建設を進めており、2024年度に開館予定です。

(写真)サンビームやない。左の建物が柳井市立柳井図書館。

(写真)柳井市立柳井図書館周辺。地理院地図

 

1.2 図書館の館内

柳井市立柳井図書館は2階建てであり、延床面積は1101.85m2。1階に郷土資料や児童書、2階に一般書や独歩文庫があります。

柳井市立図書館が発行している『令和4年度図書館年報』によると、2022年度末の蔵書冊数は11万2688点(うち柳井図書館は8万857点)、貸出点数は11万4911点(うち柳井図書館は9万6910点)、人口1人あたり貸出冊数は3.8冊。コロナ禍関係なく右肩下がりだった貸出点数が、2020年度を底にして増加の兆しを見せているのが気になりました。

(写真)柳井図書館の館内。2階の一般書。

 

1.3 独歩文庫

小説家の国木田独歩は岩国町や山口市など様々な町に住んでいますが、20代前半だった明治20年代後半には柳井町に居住し、「国木田独歩旧宅」が展示施設となっています。柳井図書館の2階には独歩の銅像や年譜があり、初版本や全集などを集めた独歩文庫がありました。

(写真)柳井図書館の館内。2階の国木田独歩像。

(写真)柳井図書館の館内。独歩文庫の説明。

(写真)柳井図書館の館内。2階の独歩文庫。

 

1.4 郷土資料

柳井図書館からすぐの場所には町並み保存地区「柳井市古市金屋」があり、漆喰が塗られた重厚な町屋群が重要伝統的建造物群保存地区に選定されていますが、町並み保存地区に関する資料の特設コーナーなどはない。

外来者が柳井市の文化や産業を感じられるコーナーは独歩文庫の一角だけです。郷土資料の棚の多くはカウンター内なのかどうか曖昧な場所にあり、ほとんどの郷土資料は職員に声を掛けないと手に取れないのも残念でした。

柳井市には1960年(昭和35年)創刊の地方紙『柳井日日新聞』があり、現在も週3回の発行を続けているようです。柳井市立図書館の公式サイトには講読新聞のひとつとして『柳井日日新聞』が掲載されていますが、OPACを見てもバックナンバーを所蔵しているのかどうかはわかりません。『柳井日日新聞』のバックナンバーがあるのであれば所蔵資料扱いにしてOPACに登録してほしい。

 

1.5 住宅地図

柳井図書館は1965年(昭和40年)版や1967年(昭和42年)版のゼンリン住宅地図を所蔵しています。山口県立山口図書館にも所蔵されていない年代の住宅地図であり、柳井市内の映画館の跡地を把握するのに役立ちました。

公共図書館の郷土資料、特に住宅地図は禁帯出(相互貸借不可)であることが多く、だからこそ現地の図書館に赴いて "足で稼ぐ" ことに意味があるのですが、これらの文献を山口県立山口図書館で閲覧できればどれだけいいことか。

古い時代の住宅地図はOPACに "住宅地図" と打ち込んでもヒットしない場合もあるのが厄介です。都道府県立図書館はまず東京都公立図書館住宅地図総合目録のような住宅地図のデータベースを、次に各自治体の古い住宅地図を複製して都道府県立図書館に所蔵する仕組みを作ってほしい。

(写真)柳井図書館の所蔵資料。1965年や1967年のゼンリン住宅地図

 

2. 映画館の文献

2.1 市街地の地図

現在の柳井駅が開業したのは1897年(明治30年)。1910年(明治43年)の「柳井町市街全図」を見ると、柳井川の南側はほとんど開発されていないこと、市街地東部では新市通りの周囲のみが発展していること、孤立した場所に柳井遊廓(柳井町遊廓、石原遊廓)があることなどがわかります。柳井遊廓があったのは現在の柳井市東土手ですが、交通量を考えると奇妙な幅員の道路のほかには面影はありません。

(地図)1910年の「柳井町市街全図」。もとは『柳井案内』に掲載されたもの。『ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 柳井』国書刊行会、1981年に転載されている。

 

1936年(昭和11年)の『柳井町勢要覧』に掲載された「柳井町市街図」には、劇場・映画館として柳井座、松陽館、新天倶楽部の3館が描かれています。いずれも1910年(明治43年)の「柳井町市街全図」では未開発だった場所。特に市街地と遊廓の間の水田地帯に松陽館が開館したことで、松陽館を中心として新天地と呼ばれる歓楽街が形成されたようです。

(写真)1936年の「柳井町市街図」。『柳井町勢要覧 昭和11年』柳井町、1936年。

 

2.2 映画館名簿

1930年の映画館名簿

1930年(昭和5年)時点の山口県にあった映画館は計20館。下関市が5館、宇部市が3館、山口市・阿武郡萩町・都野郡郡徳山町・玖珂郡柳井町(※柳井津町は誤記)がそれぞれ2館と続きます。

館名を見てみると「〇〇館」が15館、「〇〇倶楽部」が3館、「〇〇座」が2館と、20館すべてが3パターンのいずれかに収まっており、自治体名を冠した館名が2館しかないというのも興味深い傾向。

(写真)『日本映画事業総覧 昭和5年版』国際映画通信社、1930年。

 

1960年の映画館名簿

全国の映画館数がピークに達した1960年(昭和35年)、柳井市には6館の映画館がありました。柳井駅前に3館、新天地に3館とバランスよく分布しており、柳井駅前は岩国市に本拠を置いていたと思われる小林興業系列、新天地は徳山市(現・周南市)に本拠を置いていた毎日興業系列と、会社ごとにすみ分けていたようです。この後、1970年代初頭には毎日興業が経営する新天地の映画館がすべて閉館します。

※文献では毎日興業ではなく毎日興行、小林興業ではなく小林興行と表記されている

(写真)『映画便覧 1960』時事通信社、1960年。

 

1990年の映画館名簿

1970年代初頭には柳井松竹、柳井文化映劇、旧柳井セントラルが閉館し、柳井市の映画館は中央劇場→柳井東宝劇場から改称した柳井セントラルのみの時代が約15年間続きます。1990年(平成2年)前後の短期間だけ、ショッピングセンターのサンピアに柳井サンピア劇場も営業しますが、1994年(平成6年)頃には柳井市から映画館がなくなりました。

(写真)『映画館名簿 1990』時事映画通信社、1989年。

 

山口県の興行会社

1958年(昭和33年)の映画館名簿で4~5館以上を経営する興行会社を拾い出してみると、徳山市(現・周南市)の毎日興業、下関市の大津四郎(名前のイニシャルからOSチェーン)、岩国市の国際興行、宇部市の東長丸、岩国市の小林興業などがあります。毎日興業や小林興業は2010年代まで映画館経営を続けていました。

 

毎日興業(15館)・・・山口東映山口市)、金龍館(山口市)、山口映画劇場(山口市)、泉都映劇(山口市)、ピカデリー劇場(山口市)、歌舞伎座徳山市)、徳山東映(徳山市)、新天地劇場(徳山市)、防府松竹(防府市)、防府映劇(防府市)、下松松竹(下松市)、柳井松竹(柳井市)、柳井映劇(柳井市)、柳井東映柳井市)、富田映劇(都濃郡南陽町)

大津四郎(6館)・・・市民館OS(下関市)、東映センター(下関市)、下関東映下関市)、OS東映下関市)、若草映画劇場(下関市)、長府OS東映下関市

国際興行(5館)・・・ロマン座(岩国市)、国際劇場(岩国市)、オデオン座(岩国市)、銀座映劇(岩国市)、寿映画劇場(岩国市)

東長丸(5館)・・・新川座(宇部市)、宇部劇場(宇部市)、丸劇(宇部市)、東劇(宇部市)、大東劇場(宇部市

小林興業(4館)・・・岩国中央劇場(岩国市)、セントラル名劇(岩国市※小林銀一郎名義)、柳井中央劇場(柳井市)、柳井セントラル(柳井市