振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

小牧市の映画館

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(写真)『東春日井郡小牧町全図』津田應助、1925年。

2021年(令和3年)3月・4月・5月、愛知県小牧市を訪れました。

現在の小牧市には10スクリーンのシネコン「小牧コロナシネマワールド」があります。かつて小牧市には映画館「アサヒ映画劇場・ヒカリ映画劇場」と「小牧劇場」の2施設3館がありました。

 

1. 小牧市を訪れる

1.1 小牧市の図書館

2010年代の小牧市では新図書館建設問題が市民の関心ごとのひとつでした。2020年(令和2年)12月には小牧市立図書館が閉館し、2021年(令和3年)3月には小牧市中央図書館が開館。名鉄犬山線名鉄小牧線沿線では21世紀に入ってから初めて開館した図書館であり、利用者は飛躍的に増加していると思われます。2019年(令和元年)5月には旧館について(小牧市立図書館を訪れる - 振り返ればロバがいる)、2021年4月には新館について(小牧市中央図書館を訪れる - 振り返ればロバがいる)ブログで取り上げています。

ayc.hatenablog.com

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(左)小牧市立図書館。1978年開館。2020年12月閉館。(右)小牧市中央図書館。2021年3月開館。

 

1.2 象山文庫ほかの絵図

小牧の郷土史家である津田応助 - Wikipediaが収集した資料は小牧市立図書館時代から図書館の蔵書となっており、古文書・和装本・絵葉書などが象山文庫として登録されています。

地図など戦前の興味深い文献も多数あり、例えば1935年(昭和10年)の『小牧町一般図 市街地附近図』は赤色・黄色・緑色の使い分けが鮮やかであり、重要な施設は絵で表現されている点もわかりやすい。当時の街並みの中心部がどの辺りなのかよくわかるし、現在との幹線道路や鉄道の違いもよくわかります。1964年(昭和39年)に廃止された名鉄岩倉支線の存在は知っていましたが、1945年(昭和20年)まではターミナル駅が戦後と異なっていたことを知りました。

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(写真)『小牧町一般図 市街地附近図』出版者不明、1935年。中心市街地。

 

津田応助自身が発行者となっている1925年(大正14年)の『東春日井郡小牧町全図』は軸装であり、書庫出納するとこの記事冒頭の木箱ごと提供されました。象山文庫の主な文献はこまき電子図書館の中のこまき・デジタルコレクションから閲覧できますが、『小牧町一般図 市街地附近図』や『東春日井郡小牧町全図』などの地図類もデジタル化してほしい。

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(写真)『東春日井郡小牧町全図』津田應助、1925年。

 

2. 小牧市の映画館

現在の小牧市には10スクリーンのシネコン「小牧コロナシネマワールド」(1980年-)があります。かつて小牧市には映画館「アサヒ映画劇場・ヒカリ映画劇場」(1946年-1972年)と「小牧劇場」(1912年-1969年頃)の2施設3館がありました。かつてあった2施設は小牧市中心部の上街道(稲置街道)沿いにありましたが、小牧コロナシネマワールド名古屋高速道路11号小牧線国道155号の交差点北西角にあります。

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(地図)小牧市の映画館。Google My Maps

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(写真)小牧市に2施設3館が掲載されている『映画便覧 1969』時事通信社、1969年。

 

2.1 小牧劇場(1912年-1969年頃)

所在地 : 愛知県小牧市大字小牧下之町2575(1969年)
開館年 : 1912年、1937年(映画館化)
閉館年 : 1969年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1924年設立。1959年の全商工住宅案内図帳では「小牧劇場」。1949年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「小牧劇場」。1967年の住宅協会住宅地図では「小牧劇場」。1970年・1973年の映画館名簿には掲載されていない。

1912年(明治45年)には下之町に劇場の小桜座が開館。『小牧の産業史話』(小牧市教育委員会、1994年)によると、1937年(昭和12年)には小牧劇場に改称して常設映画館となったようです。『ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 小牧』(国書刊行会1984年)にはやや異なる記述もありました。

映画館名簿で最後に小牧劇場の名前が確認できるのは1969年版であり、また1972年の住宅地図ではすでに小牧劇場の名前が見えないことから、1972年(昭和49年)閉館とする『小牧の産業史話』の記述は間違っているのではないかと思われます。

1964年(昭和39年)までは小牧劇場の数十メートル南を名鉄岩倉支線の線路が通っており、西小牧駅は徒歩数分の距離にありました。映画館が実質的に存在しなかった岩倉町(現・岩倉市)からも観客が訪れていたかもしれません。閉館間際の1969年(昭和44年)の映画館名簿によると、東宝・日活・洋画・成人映画を上映していました。

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(写真)昭和20年代の小牧劇場。『ふるさと小牧』郷土出版社、2015年。

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(写真)小牧劇場が面していた上街道。左のマンションが小牧劇場跡地。

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(左)小牧劇場跡地に近い三十番神宮。櫻井。(右)小牧劇場が面していた上街道。櫻井。

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(左)小牧劇場が面していた上街道。下町。(右)上街道沿いにある岸田家。下町。小牧市指定文化財

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(写真)1965年の住宅地図における小牧劇場付近。右下の点線は名鉄岩倉支線の廃線跡

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(写真)1972年の住宅地図における小牧劇場跡地付近。左下の空白の建物。

 

2.2 アサヒ映画劇場・ひかり映画劇場(1946年-1972年)

所在地 : 愛知県小牧市大字小牧原新田字西朝日(1976年)
開館年 : 1946年6月
閉館年 : 1972年
『全国映画館総覧 1955』によると1946年6月設立。1949年・1950年の映画館名簿には掲載されていない。1959年の全商工住宅案内図帳では「カムカム劇場」。1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「小牧カムカム劇場」。1963年の映画館名簿では「カムカム映劇」。1966年の映画館名簿では「小牧アサヒ映画劇場」。1967年の住宅協会住宅地図では「アサヒ映画劇場」と「ひかり劇場」。1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「小牧アサヒ映画劇場・小牧ひかり映画劇場」(2館)。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は2018年竣工のマンション「モアグレース小牧ミッドテラス」駐車場部分。

1900年(明治33年)頃には上之町に劇場の甲子座が開館しますが、昭和初期に火災で焼失。戦後の1946年(昭和21年)、甲子座跡地に映画専門館として開館したのがカムカム劇場です。

1962年(昭和37年)には一宮松竹映画劇場の経営に移り、木造から鉄筋造に建て替えた上でアサヒ映画劇場に改称し、建物の1階部分はパチンコ店に。その後1階のパチンコ店をひかり劇場に改装し、2階はそのままアサヒ映画劇場として2スクリーンの映画館となったようです。

1967年(昭和42年)には名古屋市シネラマ名古屋などを経営していた中日本興業の経営に変わり、1972年(昭和47年)頃に閉館しました。1969年(昭和44年)の映画館名簿によるとアサヒ映画劇場が洋画を、ひかり映画劇場が大映東映・松竹を上映。中日本興業はミッドランドスクエアシネマなどを経営する会社として存続していますが、名古屋市以外で経営していた映画館はアサヒ映画劇場・ひかり映画劇場のみだと思われ、なぜ経営を引き継いだのかはよくわかりません。

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(写真)カムカム劇場。『ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 小牧』国書刊行会1984

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(左)アサヒ映画劇場・ひかり映画劇場跡地にあるモアグレース小牧ミッドテラスの駐車場。(右)アサヒ映画劇場・ひかり映画劇場が面していた通り。

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(写真)1965年の住宅地図におけるカムカム劇場付近。

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(写真)1972年の住宅地図におけるアサヒ映画劇場・ひかり映画劇場付近。

 

2.3 小牧コロナシネマワールド(1980年-営業中)

所在地 : 愛知県小牧市村中新町33(2020年)
開館年 : 1980年
閉館年 : 営業中
1980年・1981年の映画館名簿には掲載されていない。1982年の映画館名簿では「小牧コロナ・小牧ロマン・小牧シネマ」(3館)。1985年の映画館名簿では「小牧コロナ・小牧ロマン・小牧シネマ・小牧シネマ2」(4館)。1990年・1995年・1997年の映画館名簿では「小牧シネマ・小牧シネマ2・小牧シネマ3・小牧コロナ・小牧コロナ2・小牧コロナ3・小牧ロマン」(7館)。1997年に大規模改修。 2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「小牧コロナワールド1-10」(10館)。2015年・2020年の映画館名簿では「小牧コロナシネマワールド1-10」(10館)。

現在の小牧市唯一の映画館が小牧コロナシネマワールドです。1980年(昭和55年)に3スクリーンの小牧コロナ会館として開館。小牧市はコロナグループ(大塚商事)の創業地である江南市の隣にあり、小牧コロナ会館はコロナグループ初の総合アミューズメント施設です。なお、大塚商事の本社は同年に江南市から小牧市内に移転しています。

1997年(平成9年)に大規模改修を行い、現在の10スクリーンに落ち着きました。2004年(平成16年)には多治見シネマが閉館して岐阜県東濃地方から映画館がなくなったため、東濃地方から最も近い映画館が小牧コロナシネマワールドとなり、岐阜新聞東濃版には小牧コロナシネマワールドの上映時間情報が掲載されるようになったとのことです。

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(写真)小牧コロナ会館が開館したばかりの『映画館名簿 1982』時事映画通信社、1981年。

 

小牧市の映画館について調べたことは「尾張地方の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(愛知県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

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