振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

八街市の映画館

(写真)八街銀映の写真。

2023年(令和5年)8月、千葉県八街市を訪れました。かつて八街市には映画館「八街銀映」(八街第二銀映)と「八街銀映」がありました。

 

1. 八街市を訪れる

1.1 八街産落花生

八街市千葉市の東約20kmにある人口約7万人の自治体。落花生の生産量は日本一であり、「八街産落花生」は地域ブランドとなっています。1896年(明治29年)頃に落花生が導入されると、大正時代には一大産地となったようです。

映画黄金期である昭和20年代から30年代、八街の落花生は全国的に知られるようになりました。1949年(昭和24年)には八街町の全耕地の約80%を落花生が占め、1953年(昭和28年)には八街町の全農家の95%が落花生を生産していたとのこと。

(写真)八街市八街ほの落花生畑。

(写真)八街市八街ほの落花生畑。

 

夏季の落花生畑は葉の密度が高くて緑が濃い。愛知県では大豆畑を見ることはあっても落花生畑を見ることはないので新鮮です。都道府県別の落花生の生産量を調べると、全国の83%が千葉県、10%が茨城県、7%がその他です。大豆などと違ってかなり産地が偏っている。千葉県の総面積は約5000km2、千葉県の落花生作付面積は50km2とのことで、千葉県全体の1%もの面積が落花生畑というのも驚きです。

収穫時期にしか見られない「ぼっち」(野積み)もいつか見てみたい。

(写真)八街市の落花ぼっち。photo : Unaaari - Wikimedia Commons

 

1.2 八街銀映の廃墟

八街市には映画館の廃墟があり、ウェブ上ではしばしば廃墟マニアなどに取り上げられています。この建物は1982年(昭和57年)頃まで営業していた八街銀映の廃墟であり、『全国映画館総覧 1955』によると1952年(昭和27年)に建てられたようです。かつては隣接地に八街第一銀映があり、当時は八街第二銀映という名称でした。

(写真)八街銀映の建物と路地。

 

1952年(昭和27年)竣工の八街銀映(八街第二銀映)のファサードは、1950年(昭和25年)竣工の八街第一銀映と比べるとやや凝っています。赤色のモザイクタイルが貼られた縦方向のラインが7本。1階部分の壁面には青色のモザイクタイルが貼られていますが、劣化の見られるモルタルとは違って状態が良いです。

(写真)八街銀映のファサード

(写真)八街銀映の建物と路地。

(写真)八街銀映の入口とチケット売場。

 

背面に回ると正面とはかなり印象が異なります。建物はモルタル仕上げの木造建築ですが、外壁のモルタルはかなり崩れており、右上部分のモルタルはいずれ崩壊しそう。中央の出っ張った部分は何に使われていたのでしょうか。

(写真)八街銀映の裏側。

(写真)八街銀映の裏側。

 

2. 映画館の文献

2.1 映画館名簿

1955年の映画館名簿

(写真)八街第一銀映と八街第二銀映の開館年が掲載されている『全国映画館総覧 1955』。

 

1960年代初頭までの八街第一銀映・八街第二銀映の経営者は、斎藤仲司が社長を務める斎藤興行でした。斎藤興行は八街町の両館のほかに、佐倉第一銀映・佐倉第二銀映(佐倉市)、横芝第一銀映・横芝第二銀映(横芝町)も経営。斎藤仲司は両総信用金庫の理事長や八街商工会議所の顧問を務めていた人物でもあります。1956年(昭和31年)の『房総紳士録 第4版』では「房総巨頭十人集」の一人として紹介されています。

(写真)八街第一銀映と八街第二銀映の経営者だった斎藤仲司。『房総紳士録 第4版』房総興信所、1956年。国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧。

 

1982年の映画館名簿

(写真)八街銀映が最後に掲載されている『映画館名簿 1982』。

 

2.2 航空写真

2022年(令和4年)には市制施行30周年記念誌『写真にみる 八街の150年』が刊行されており、八街市にあった映画館に関する言及もあります。1954年(昭和29年)の八街市街地を写した航空写真には八街第一銀映と八街第二銀映がはっきり写っており、周囲の民家と比べると建物の巨大さが分かります。

(写真)1954年の八街市街地。『写真にみる 八街の150年』八街市、2022年。

(写真)1965年の八街市街地。地図・空中写真閲覧サービス

 

2.3 住宅地図

千葉県立中央図書館や八街市立図書館が所蔵する八街市印旛郡八街町)の住宅地図は1980年版が最古のようです。この地図には八街銀映が描かれており、八街第一銀映の跡地は第十四町内会駐車場となっています。

(写真)八街銀映が描かれている1981年の住宅地図。

 

3. 八街市の映画館

3.1 八街第一銀映(1950年8月-1963年頃)

所在地 : 千葉県印旛郡八街町八街119(1963年)
開館年 : 1950年8月
閉館年 : 1963年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1950年8月開館。1951年の映画館名簿では「八街映画劇場」。1952年・1953年の映画館名簿では「八街銀映」。1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「八街第一銀映」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「銚子商工信用組合八街支店」南東130mの空き地。最寄駅はJR総武本線八街駅

(左)1961年頃の八街第一銀映(手前)と八街第二銀映(奥)。『写真にみる 八街の150年』八街市、2022年。(右)八街第一銀映跡地(手前)と八街銀映の廃墟(奥)。

(写真)八街第一銀映跡地の駐車場。

 

3.2 八街銀映(1952年5月-1982年頃)

所在地 : 千葉県印旛郡八街町ニ119(1982年)
開館年 : 1952年5月
閉館年 : 1982年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年5月開館。1952年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「八街第二銀映」。1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「八街第二銀映」。1964年・1965年の映画館名簿では「八街銀映」。1966年の映画館名簿では「八街第二銀映」。1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1982年の映画館名簿では「八街銀映」。1983年の映画館名簿には掲載されていない。「銚子商工信用組合八街支店」南東150mに映画館の建物が現存。最寄駅はJR総武本線八街駅

(左)1959年頃の八街第一銀映(左)と八街第二銀映(右)。『佐倉・四街道・八街の昭和』いき出版、2018年。

(左)昭和30年代の銀映ニュース。(右)1975年頃の八街銀映のチラシ。『写真に見る八街の150年』八街市、2022年。

 

八街銀映がある路地には北側の二区幸町通り商店街(二区幸町商店会)から入ります。けやきの森公園からJR総武本線の踏切まで、約130mと短いながらも往時の繁栄を忍ばせる商店街です。

(写真)1955年頃の二区幸町通り商店街。奥は総武本線の東野踏切。『佐倉・四街道・八街の昭和』いき出版、2018年。

(写真)二区幸町通り商店街(二区幸町商店会)。

 

八街市の映画館について調べたことは「千葉県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(千葉県版)」にマッピングしています。

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