振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

「ウィキペディアタウン@北杜Inたかね」に参加する

(写真)まちあるき中の参加者。

2023年(令和5年)5月20日(土)、山梨県北杜市高根町で開催された「ウィキペディアタウン@北杜Inたかね」に参加しました。

 

北杜市たかね図書館から歩いて熱那神社と泉龍寺を訪問し、「熱那神社」「泉龍寺 (北杜市)」「蕪庵」の3記事を作成しました。私は地元の方4人と一緒に紙のワークシートも使いながら熱那神社の編集に取り組んでいます。

1. イベント概要

ウィキペディアタウン@北杜」は2019年(令和元年)から毎年開催されており、今回が5回目です。北杜市北巨摩郡の5町3村が合併して発足した自治体であり、北杜市立図書館は計8館からなります。大泉町小淵沢町、長坂町、白州町と毎年異なる図書館で開催されており、今回は北杜市たかね図書館で開催されました。

 

ウィキペディアタウン@北杜の歴史

第1回(2019年) 北杜市金田一春彦記念図書館(大泉町)・・・・不参加

第2回(2020年) 北杜市小淵沢図書館(小淵沢町)・・・・・・・参加

第3回(2021年) 北杜市立ながさか図書館(長坂町)・・・・・・・リモート参加

第4回(2022年) 北杜市立ライブラリーはくしゅう(白州町)・・・不参加

第5回(2023年) 北杜市立たかね図書館(高根町)・・・・・・・・参加

(写真)「ウィキペディアタウン@北杜Inたかね」の案内。

 

北杜市たかね図書館は初訪問。北杜市高根町八ヶ岳の南麓にある町であり、一大観光地の清里高原があります。図書館では山岳関係文献を重点的に収集しており、開架室の一角に約4000冊の山岳関係文献コーナーがあるほか、山岳図書に特化した新着本コーナーまであるのに驚きました。

(写真)北杜市たかね図書館の山岳図書新刊本。

 

2. イベント内容

2.1 まちあるき

講師のさかおりさんからウィキペディアの話を聞いてから、歩いて熱那神社と泉龍寺を訪問。Googleマップによるとたかね図書館から熱那神社までの距離は2.2km、徒歩27分。ウィキペディアタウンの題材としてはやや遠い目的地ですが、水路が充実した美しい景観の農地や入母屋屋根の民家などがあって飽きることがなかった。

(写真)高根町村山西割の景観。

 

熱那神社では高根町郷土研究会の方々の話を聞き、泉龍寺では住職の話を聞きました。

熱那神社の社殿には奉納額、境内には石碑類が多く、特に大芝宗十郎の石碑が目立っています。本殿、算額、サクラ、太々神楽と色々な分野の市指定文化財がありますが、ウェブ上で得られる情報は多くない。Wikipediaに記事を作成する意義のある題材だと感じました。

(写真)熱那神社で話を聞く参加者。

(写真)撮影してCategory:Atsuna-jinja - Wikimedia Commonsに投稿した写真の例。本殿。絵馬。石碑。

 

泉龍寺は曹洞宗の寺院であり、長坂町にある清光寺の末寺です。ウェブ上で得られる情報は熱那神社よりもさらに少ないため、室町時代の作とされる雨宝童子画があること、実質的な開山である玄朔は師を開山として自身は2世を名乗ったことなど、住職に聞いた話が文献調査の際にも役立ちます。

(写真)泉龍寺で話を聞く参加者。

(写真)撮影してCategory:Senryu-ji, Hokuto - Wikimedia Commonsに投稿した写真の例。旧本堂鬼瓦。ボダイジュ。雨宝童子画。

2.2 文献調査

まちあるき後には昼休みを挟んで、3グループに分かれて文献調査やWikipedia編集を行いました。講師のさかおりさんが全体をサポートし、講師の丸山直也さんが「蕪庵」のグループ、伊達 深雪さんが「泉龍寺」のグループ、私は「熱那神社」のグループに入っています。今回のイベントでは便宜的にファシリテーター的な役割を務めましたが、さかおりさんや丸山さんとは違って一般参加者として参加しています。

 

編集記事

熱那神社 - Wikipedia - 新規作成

泉龍寺 (北杜市) - Wikipedia - 新規作成

蕪庵 - Wikipedia - 新規作成

(写真)事前に準備された文献(一部)。

 

「熱那神社」「泉龍寺」「蕪庵」に言及している文献は事前に集められ、文献リストも準備されていました。ウィキペディアタウンでは複数の参加者が編集を行うため、文献情報の書き方が参加者によって異なってしまう場合があり、また文献情報を完全に落としたまま文章が作成されてしまう場合も多い。このような場合に文献リストがあるとイベント後のフォローがしやすいです。

(写真)事前に準備された文献リスト(一部)。

 

2.3 Wikipedia編集

熱那神社のグループは私を含めて5人。高根町の歴史に思い入れのある方が複数おり、また転居してきたばかりで町の歴史を知りたいという方もいました。いずれも年配の方だったこともあり、よそ者の私が進行を仕切ってしまうのではなく、さかおりさんに役割分担などの説明をしてもらってから作業に入りました。

さかおりさんは文献別の役割分担を考えていたようですが、題材別(歴史、算額、サクラ、大芝宗十郎)の役割分担に変更。4人には投稿する内容を紙のワークシートにまとめてもらい、私はその間に記事の骨格を作成したり、4人が選ばなかった題材を執筆しました。

最後に4人からワークシートを集め、私がすべての内容をノートPCで打ち込みました。このため、編集履歴の面では私ひとりで作成したように見えてしまっていますが、実際には5人全員が文章作成を担っています。参加者ごとにアカウントを作成して編集するのがWikipediaの原則ですが、今回は他の参加者がノートPCを持っていなかったこともあって、原則から外れた方法を取っています。

(写真)編集作業中の会場。

(写真)文献調査の際に用いたワークシート。

 

3. まとめ

3.1 イベントについて

地方都市で開催される「ウィキペディアタウン@北杜」は地元の年配者が多く、大都市圏で開催されるイベントや若者中心のウィキペディアタウンとはだいぶ違う。単なるまとめ作業イベントだと感じてしまう方が出ないように、行っている作業の意味や意義について話し合ったり、私個人ができるだけ地域の歴史を吸収したりするのを心がけています。あれこれ考えることが多くて忙しいのですが、町の特徴や参加者に合わせて予定を臨機応変に変更しながら作業するのも楽しいです。

 

3.2 イベント後の編集

いつものことですが、イベント終了後も文章の加筆や写真のアップロードを続けています。熱那神社と蕪庵については文章を大幅加筆しました。

過去数年間、高根町郷土研究会は熱那神社の石碑や奉納額をテキスト化して『郷土高根』に掲載しています。熱那神社のグループにも郷土研究会の方がおり、テキスト化の重要性を熱く語られていました。今回のイベントでは『郷土高根』に書かれた文章の要点を抽出してWikipediaに掲載しています。石碑や奉納額から会誌に、会誌からウェブに情報が広がったことになります。

 

図書館の方が準備してくれた文献以外では、ウェブ上でPDFが公開されている論文や、国立国会図書館デジタルコレクションの資料も用いています。蕪庵の記事では歴代宗匠が詠んだ句をいくつか挿入してみました。

地元の参加者の中には、記事の完成形を見通せないままだった方もいると思います。現在の記事を一度見てほしい。なお、両記事とも修正を続けてくださってる参加者がいます。熱那神社のトップ画像や開花期のサクラの写真はこの参加者のものです。

 

Wikimedia Commonsには約60枚の写真をアップロード。熱那神社と泉龍寺についてはいろんな視点からこの神社/寺を説明できるような写真を心がけました。まちあるきルート上の農地や民家などもアップロードしています。

(写真)1930年の熱那神社。国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧した『北巨摩郡勢一斑』に収録されている写真。パブリック・ドメイン