振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

伊吹島を訪れる(2)

(写真)観音寺港に停泊する「ニューいぶき2」。

2024年(令和6年)8月、香川県観音寺市伊吹島を訪れました。「伊吹島を訪れる(1)」からの続きです。「伊吹島の映画館」に続きます。

 

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1. 伊吹島を歩く

1.1 伊吹島の集落(中央部・西側)

伊吹島は3年に一度開催される瀬戸内国際芸術祭の会場にもなっています。瀬戸内国際芸術祭2019のパンフレットには「真浦集落・中集落・東集落・北集落・西集落」という5つの集落名が描かれていますが、歩いてみても集落の境界は判然とせず、島全体が一つの集落に思えます。

(写真)町並み。

(写真)町並み。

(写真)町並み。

(写真)町並み。

(写真)町並み。

 

現在の伊吹島には家庭菜園レベルの畑地しか存在せず、集落以外の場所には未開地というべき草地が広がっています。しかし1968年(昭和43年)の航空写真を見ると、これらの場所には畑地が広がっており、半農半漁の離島だったことが想像されます。

(左)集落の周囲に畑地が広がる1968年の航空写真。(右)未開地が広がる現在の航空写真。Googleマップ

 

伊吹島の人口のピークは1950年(昭和25年)ですが、この年には現在の13倍の4000人超の人口を有していました。離島はどこも過疎化が進行していますが、70年でこれほど極端に人口が減少した島は少ないのではと思います。

(写真)人口の推移。国勢調査などを元に独自に作成。

1.2 伊吹島の施設

2019年(令和元年)の瀬戸内国際芸術祭で製作された華やかな作品として、栗林隆製作の「伊吹の樹」があります。

万華鏡のような作品の外側には木板が、内側には500枚のガラス板が貼られ、内側を覗くとガラス板の先に青空が見えます。かつてこの場所には出部屋(伊吹産院)と呼ばれる共同産室があり、この現代アート作品は生命をイメージしているとのことです。

(写真)「伊吹の樹」。

(写真)「伊吹の樹」。

(左)伊吹駐在所。(右)観音寺伊吹郵便局。

(写真)泉蔵院。

 

1.3 観音寺市立伊吹小・中学校

集落の東端部には観音寺市立伊吹小・中学校があります。もとは伊吹中学校のみがこの場所にあり、2010年(平成22年)に伊吹小学校が移転して併設されました。伊吹小学校の旧校地にはまだ校舎の建物が現存しています。

(写真)観音寺市立伊吹小・中学校。

(写真)旧伊吹小学校の建物。

 

伊吹小・中学校の正門から北30mには銅像「川端喜久治翁像」がありました。

川端喜久治は家業の漁業に従事する傍らで、伊吹村議会議員・観音寺市議会議員・観音寺市議会議長などを歴任した人物です。三豊郡伊吹村と観音寺市の合併や、合併後の伊吹島の振興に貢献したようです。この2024年(令和6年)8月には川端喜久治 - Wikipediaを新規作成しました。

(写真)伊吹小・中学校近くにある銅像「川端喜久治翁像」。

 

1.4 伊吹島民俗資料館

伊吹保育所に隣接して伊吹島民俗資料館があり、旧伊吹幼稚園の教室に漁具や民具などが展示されています。手前側の教室が「漁具等展示室」、奥側の教室が「農具生活用具等展示室」であり、廊下にも漁具や民具が並べられています。

(写真)伊吹島民俗資料館。

(写真)伊吹島民俗資料館。

 

「農具生活用具等展示室」の中央の机には伊吹島に関する郷土資料が平置きしてあり、伊吹島の劇場・映画館に言及した文献も置かれていました。なお、伊吹島に図書室はありません。

(写真)伊吹島民俗資料館。