振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

伊吹島を訪れる(1)

(写真)伊吹島の集落。

2024年(令和6年)8月、香川県観音寺市伊吹島を訪れました。「伊吹島を訪れる(2)」「伊吹島の映画館」に続きます。

 

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1. 伊吹島を訪れる

1.1 伊吹観音寺航路

伊吹島は瀬戸内海の燧灘(ひうちなだ)に浮かぶ離島であり、香川県では最西端にある有人島です。四国本土の観音寺港の西10kmに位置し、1956年(昭和31年)から観音寺市に属しています。

(地図)香川県における伊吹島の位置。Flappiefh

 

四国本土の観音寺港と伊吹島の真浦港の間には、定期船として伊吹観音寺航路が運航されています。

観音寺市営だった航路は2021年(令和3年)10月に民営化され、一日4往復から一日5往復に増便されました。高松市の男木島や女木島、塩飽諸島の本島や広島より人口が多いものの、定期船の便数はこれらの島々より少ないのが気になります。

(写真)伊吹観音寺航路の「ニューいぶき2」。

(写真)伊吹観音寺航路の「ニューいぶき2」。

 

1.2 真浦港

海岸近くの平地に集落が形成されている離島が多いですが、伊吹島は海岸近くには平地が存在せず、島中央部の標高30m~70m地点に集落が形成されています。伊吹漁協(伊吹漁村センター)や春日旅館脇の急坂を登って集落に向かいました。

(写真)真浦港。

 

2. 伊吹島を歩く

2.1 坂の多い島

伊吹島では軽トラも用いられていますが、軽トラが通行できる道路は限られているようであり、集落内では原付を多く見かけました。真浦港から観音寺市立伊吹小・中学校に向かっているメインストリート(香川県道262号)では、沖縄や九州に多く見られる平たい石を積んだ石垣が圧巻です。

(写真)町並みと石垣。

(写真)町並みと石垣。

(写真)町並みと石垣。

 

2.2 伊吹八幡神社

集落の中央に伊吹八幡神社があり、社叢は集落のいろいろな場所から見えます。伊吹八幡神社は天治元年(1124年)の創建とされ、慶長12年(1607年)の再興時に神体の開眼供養が行われています。

(写真)伊吹八幡神社

 

立派な随神門は1882年(明治15年)再建です。

境内の脇には1967年(昭和42年)建立の石碑「電気導入記念碑」がありますが、この年に初めて海底ケーブルで電気が導入され、24時間の点灯が可能になったとのことです。それまでは島内にある小規模な発電所に頼っており、日没から23時までしか点灯できなかったとのことです。

(左)石碑「電気導入記念碑」。(右)瑞神門。

 

2.3 伊吹島の集落(東側)

(写真)町並み。

 

伊吹八幡神社の南東100m付近には、道路が緩やかにカーブしている場所があり、ガードレールの南側には漆喰壁が青く塗られた三好文司家があります。1898年(明治31年)生の三好文司の家業は網元であり、伊吹島漁業組合長などを務める傍らで観音寺町会議員や伊吹村長なども歴任した人物です。

(写真)三好文司家周辺の町並み。

 

春日旅館の近くには1940年(昭和15年)2月に伊吹島漁業組合(現・伊吹島漁業協同組合)によって建立された石碑「三好文司翁之碑」があります。書は陸軍中将の上村友兄(かみむらともえ)です。裏面の碑文を文字起こししてみました。

三好文司翁碑誌

翁は伊吹島文根本家第四代の主にして資性温厚剛気不屈居常粗衣粗

食に甘んし安逸を求めす勤労を愛好して網業に精励す内海の鯛縛鰛

揚繰鮮海東岸の鯖巾著北岸の鰛巾著は毎漁期有終の成績を挙け且漁

獲物の処理法をも研究して家産を増し同業者を益す是を以て衆望愈

厚く観音寺町並本島のあらゆる社会公共事業の主要人物として郷土

の開発に寄与すること頗る大なり即ち明治四十二年伊吹青年会の生

るるや初代会長に明治四十五年より昭和十一年まて伊吹島漁業組合

長に大正十一年より昭和十一年まて観音寺町会議員に昭和十二年支

那事変勃発するや観音寺町軍人後援会副会長に選はるる等各方面に

功労多く殊に漁業組合長は翁の半生を捧けたるところにして漁業権

の確保新漁場の開拓築磯築港の完成漁業協同組合の改組事業拡張等

は其業績顕著にして遂に模範組合たる表彰を受くるに至れり

組合今日の発展は実に翁の献身的努力に依るものにして寔に本島の

大恩人なりと謂ふへし茲に碑を建て偉業を後昆に伝ふ

昭和十五年二月 伊吹島漁業組合

(写真)石碑「三好文司翁之碑」。

 

伊吹島の民家の屋根瓦は本瓦葺ではなく桟瓦葺ですが、凝った鬼瓦や飾り瓦が多く、隅鬼に屋号が刻まれている民家も多い印象でした。

(写真)伊吹島の飾り瓦など。

(写真)伊吹島の飾り瓦など。

(写真)伊吹島の飾り瓦など。

(写真)町並み。

(写真)町並み。

(写真)町並み。

(写真)町並み。