振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

「ウィキペディアタウン幸田」に参加する

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(写真)菱池干拓地。

2022年(令和4年)3月21日(月・祝)、愛知県額田郡幸田町で開催された「ウィキペディアタウン幸田」に参加しました。

 

1. Wikipedia説明・菱池の説明

幸田町では2019年(令和元年)11月に次いで2回目のウィキペディアタウンですが、今回は参加者の一般募集を行っていません。愛知県立幸田高等学校の2年生5人が参加し、教頭や写真部顧問などが付き添っています。

ayc.hatenablog.com

 

参加者は幸田町立図書館の視聴覚室(会議室)に集合し、まずウィキペディアンからウィキペディアウィキペディアタウンに関する説明を、続いて幸田町郷土資料館の学芸員から菱池に関する説明を聞きました。私はウィキペディアンとして「ウィキペディアウィキペディアタウン」に関する説明を行いました。

www.slideshare.net

 

2019年(令和元年)11月には幸田町立図書館ギャラリーで文化振興展「菱池物語」が開催されており、その際に担当された神取学芸員が展示品でもあるパネルなどを使って説明してくださいました。会場にはヒシの実も用意されていましたが、トゲが2か所にあるもの(ヒシ?)と4か所にあるもの(オニビシ?)がありました。

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(写真)学芸員から菱池の説明を聞く参加者。

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(左・右)菱池に関する地図。

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(写真)ヒシの実

 

 

2. まちあるき

その後マイクロバスなどに分乗し、西光寺、菱池観音、菱池開墾排水機場、東部城跡、鷲田神明宮、相見川開墾之碑を回って学芸員から説明を聞きました。

 

江戸時代の菱池は三河国最大の大池とされました。江戸時代以降には新田開発などで縮小し、1886年明治19年)には神野金之助による干拓で完全に消滅しています。菱池干拓地の農地は高い堤防で囲まれており、航空写真を見ると干拓前の範囲がよくわかります。なお、幸田町役場を含む広い範囲が大字菱池という地名になっており、菱池干拓地は大字菱池小字菱池(=幸田町菱池菱池)というややこしい地名です。

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(写真)菱池干拓地。

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(写真)菱池干拓地。地理院地図

 

消滅したのが明治前期ということもあり、菱池の存在を示すものはそれほど残っていません。菱池という地名以外では、照池山西光寺の山号は菱池に由来するようです。

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(写真)西光寺。山号は菱池に因む照池山。

 

菱池干拓地の堤防付近には菱池観音と池神社があります。池神社には干拓の功労者である神野金之助の石碑などもあったのですが、現在は菱池遊水地整備事業のために社殿や鳥居が撤去された状態のようです。今後、池神社は南東部の堤防付近に移設されるとのこと。

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(左)菱池観音。(右)池神社。2019年11月に個人的に訪問。

 

現在の菱池干拓地では菱池遊水地整備事業が進行しており、干拓地の北側半分が農地から遊水地に転換されるため、大型重機による作業が行われています。干拓地の北端には菱池排水機場があり、干拓地から広田川に悪水を排水していますが、現在の菱池排水機場も役目を終えるとのこと。1883年(明治16年)に建設された煉瓦造の取水口や、錆びついた2代目(?)のポンプがありますが、これらは近代化遺産として遊水地に残されるかもしれません。

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(左)菱池排水機場。現在は使われていない2代目以降のポンプ。(右)菱池干拓地で用いられていた初代ポンプ。2019年に個人的に訪問。

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(写真)菱池排水機場。1883年(明治16年)に建設された煉瓦造の取水口。

 

菱池干拓地の北東方向には、洪水対策として1883年(明治16年)に人工的に開削された相見川が流れています。明治前期にはかつてあった菱池が消滅し、かつてなかった相見川が開かれたことになります。特に相見川については説明されなければ人工河川だと気づきません。

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(写真)鷲田神明宮。

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(左)相見川。(左)相見川開墾之碑で説明を受ける参加者。

 

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(写真)弁当。

 

3. Wikipedia編集

図書館で昼食を食べた後、図書館や学芸員が集めた文献を用いて菱池 (湖沼) - Wikipediaを新規作成しました。なお、2022年(令和4年)3月22日の『中日新聞』朝刊西三河版には「三河随一の池だった 幸田の『菱池』を学ぶ」という記事が掲載されています。

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(写真)準備された文献。

 

編集した記事

菱池 (湖沼) - 新規作成

ja.wikipedia.org

 

 

以下の地図・絵図は愛知県図書館などで個人的に集めてWikimedia Commonsにアップロードしておいたものです。

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(写真)菱池が描かれている『国郡全図 三河国』青生東谿、1837年。愛知県図書館所蔵。

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(地図)『国郡全図 三河国』青生東谿、1837年。愛知県図書館所蔵。

 

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(写真)江戸時代末期の「菱池古図」(萱園区有文書)。『写真集 福岡の歴史資料』福岡学区文化財保存委員会、2001年。岡崎市立中央図書館所蔵。

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(写真)小田切春江『絵図 尾張 西三河』栗田東平、1877年の一部。愛知県図書館所蔵。

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(写真)「三河国額田郡菱池沼開墾地界図」1886年4月。『鷲田風土記』鷲田公民館、1974年。愛知県図書館所蔵。