振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

岡崎市本宿町を訪れる

f:id:AyC:20220221011229j:plain

(写真)本宿町の中心部。左はアイチ味噌溜店舗、右は本宿火の見櫓。

2022年(令和4年)2月、愛知県岡崎市本宿町を訪れました。本宿町などからなる本宿地区には映画館はありませんでしたが、隣接する額田郡額田町(現・岡崎市額田地区)には映画館「豊富劇場」がありました。※2023年12月に「本宿町の劇場」を追記。

 

1. 本宿町を訪れる

1950年代中頃の昭和の大合併時、額田郡東部の町村でも合併が進行しました。1955年(昭和30年)には東海道沿いにあった額田郡本宿村は岡崎市編入され、1956年(昭和31年)には本宿村の北側に隣接する額田郡富村・宮崎村・形埜村・下山村が合併して額田町が発足しています。岡崎市本宿地区と額田町中心部の距離は約3km、岡崎市本宿地区と岡崎市中心部の距離は約12kmであり、本宿村は額田町の一部になる構想もあったようです。

 

1.1 本宿町の街並み

旧東海道

f:id:AyC:20220221011231j:plain

(写真)本宿町西木竹、広畑。

f:id:AyC:20220221011234j:plain

(写真)本宿町北中町、井ノ口。

f:id:AyC:20220221011236j:plain

(写真)本蔵寺参道入口付近。本宿町東浦、寺山。

 

本宿の火の見櫓

f:id:AyC:20220221011239j:plain

(写真)本宿の火の見櫓。

f:id:AyC:20220221011240j:plain

(写真)後畑の常夜灯、本宿の火の見櫓、本宿村道路元標。

 

旧東海道沿いの民家

f:id:AyC:20220221011243j:plain

(写真)本蔵寺の参道入口脇にある民家。東海道に南面。本宿町東浦。

f:id:AyC:20220221011245j:plain

(写真)蔵。東海道から1軒分国道側。本宿町後畑。

f:id:AyC:20220221011246j:plain

(写真)イヌマキの垣根がある民家。東海道に北面。本宿町西木竹。

f:id:AyC:20220221011249j:plainf:id:AyC:20220221011251j:plain

(左・右)千木がある屋根の民家。東海道に北面。本宿町森ノ腰。

 

旧東海道沿いの商店

f:id:AyC:20220221011253j:plain

(写真)衣料品店 センスヨコザワ。本宿町東木竹。

f:id:AyC:20220221011254j:plain

(写真)神谷書房と食料雑貨店 富田屋(フジファミリーショップ)。本宿町一里山

f:id:AyC:20220221011302j:plainf:id:AyC:20220221011303j:plain

(写真)本宿町のタイル。(左)旅館 梅忠。本宿町東木竹。(右)衣料品店 センスヨコザワ。本宿町東木竹。

f:id:AyC:20220221011308j:plain

(写真)本宿駅掲示されている本宿商店街振興組合の地図。

 

1.2 本宿町の近代建築

旅館 梅忠

f:id:AyC:20220221011310j:plain

(写真)旅館 梅忠。玄関がある右の建物から3棟。本宿町東木竹。

f:id:AyC:20220221011312j:plain

(写真)旅館 梅忠。左手前の赤瓦の建物から3棟。本宿町東木竹。

f:id:AyC:20220221011313j:plainf:id:AyC:20220221011315j:plain

(写真)旅館 梅忠。本宿町東木竹。(左)看板建築風の別棟の裏手。(右)表札。

 

アイチ味噌溜店舗

f:id:AyC:20220221011318j:plain

(写真)アイチ味噌溜店舗。東海道に北面。本宿町南中町。

f:id:AyC:20220221011319j:plainf:id:AyC:20220221011322j:plain

(写真)アイチ味噌溜店舗。本宿町南中町。(左)岡崎市景観重要建造物のプレートなど。(右)タイルが貼られた腰壁。

 

旧本宿村役場

f:id:AyC:20220221011324j:plain

(写真)旧本宿村役場。本宿町一里山。2022年2月中旬。

f:id:AyC:20220221011329j:plainf:id:AyC:20220221011326j:plain

(左・右)旧本宿村役場。本宿町一里山。2022年2月中旬。

 

冨田家住宅木南舎・土蔵

f:id:AyC:20220221011333j:plainf:id:AyC:20220221011335j:plain

(写真)冨田家住宅。いずれも建物が登録有形文化財。本宿町南中町。(左)旧代官屋敷。(右)郷土史資料展示室。

f:id:AyC:20220221011347j:plain

(写真)室内全体。左前の白壁にはプロジェクタで映像が投影されている。

f:id:AyC:20220221011338j:plain

(写真)郷土史資料展示室。冨田病院の死亡診断書。

f:id:AyC:20220221011340j:plain

(写真)郷土史資料展示室。展示ガラスケース。

f:id:AyC:20220221011349j:plain

(写真)冨田病院。本宿町南中町。

 

1.3 本宿町の名所旧跡

本蔵寺

f:id:AyC:20220221011352j:plain

(写真)本蔵寺の本堂。本宿町寺山。

f:id:AyC:20220221011355j:plain

(写真)本蔵寺の境内。本宿町寺山。

 

宇津野龍碩邸跡と長屋門

f:id:AyC:20220221011357j:plain

(写真)宇都野龍碩邸跡と長屋門。本宿町森ノ腰。

 

 

2. 本宿町の劇場

2.1 葵座(昭和初期)

映画館名簿によると額田郡本宿村/岡崎市本宿町に映画館は存在しなかったようですが、郷土資料には「昭和初期の本宿村には玉突場・劇場・芸者置屋などがあった」と書かれているものがあります。『ふるさと本宿 岡崎東部・額田 郷土伝承一三〇〇年史』(鈴木幸朗、2001年)には「本宿駅前商店街(昭和10年)」なる地図が掲載されており、「葵座」なる施設が描かれています。

この施設が劇場だったのかもしれません。路地の奥としては奇妙なほど広い敷地が葵座の跡地であり、サンシティ栄A・Bという2棟のアパートが建っています。上述した旅館 梅忠は地図で西梅忠として描かれており、当時は西梅忠(旅館)と東梅忠(雑貨屋)があったようです。

(地図)中央下に葵座が描かれている「本宿駅前商店街(昭和10年)」。『ふるさと本宿 岡崎東部・額田 郷土伝承一三〇〇年史』鈴木幸朗、2001年。

(写真)旅館 梅忠(左)と葵座跡地のアパート(右)。

 

3. 額田町の映画館

3.1 豊富劇場(1952年頃-1963年頃)

所在地 : 愛知県額田郡額田町樫山(1963年)
開館年 : 1952年頃
閉館年 : 1963年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1952年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1954年・1955年の映画館名簿では「豊富劇場」。1956年・1957年・1958年・1959年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1961年・1962年・1963年の映画館名簿では「豊富劇場」。1964年・1965年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「理化精機樫山工場」。最寄駅は名鉄名古屋本線本宿駅

本宿町などからなる本宿地区には映画館はありませんでしたが、隣接する額田郡額田町(現・岡崎市額田地区)には映画館「豊富劇場」がありました。

和菓子屋のもんや菓子舗で映画館について聞いてみたところ、現在の理化精機樫山工場の場所にあったと教えてくださいました。1976年(昭和51年)の住宅地図を見るとこの場所には理化精機ではなく東海理化の樫山工場があり、工場の南側には豊富郵便局がありました。

f:id:AyC:20220221015040p:plain

(写真)1958年の航空写真。地図・空中写真閲覧サービス

f:id:AyC:20220221015254p:plain

(写真)豊富劇場跡地。Google My Maps