(写真)幸田駅前書店。2019年11月。
2021年(令和3年)6月、愛知県額田郡幸田町を訪れました。かつて幸田町には映画館「幸田映画劇場」がありました。
1. 幸田町を訪れる
1.1 幸田駅前銀座
岡崎市に近い幸田町には目立った商業集積地がありませんが、国道248号沿いにロードサイド型店舗が発達しているわけでもなく、岡崎市内で買い物を済ませる方が多いのかもしれません。
JR東海道線幸田駅前にはかろうじて商店街が残っていますが、土地区画整理事業の過程で2012年(平成24年)には幸田駅前銀座が開業し、パン屋・カフェ・雑貨屋・タピオカ屋などが入っています。2014年(平成26年)には幸田駅前銀座の北側に幸田駅前書店も開店し、幸田駅前銀座では朝市(モノマルシェ)、幸田駅前書店では読書会などのイベントが多数開催されています。
1.2 ビューレイ
幸田駅前銀座・幸田駅前書店や商店街がある幸田駅前通りはビューレイ通りという愛称があるらしい。1973年(昭和48年)開店のファミリーショップビューレイは、鉄筋コンクリート造3階建てで長さ75mにも及ぶ店舗兼住宅のビルで、小規模な商店街の中央で異様な存在感を放っています。駅前ということで交通量は多く、まだ営業中の店舗が多い。
(写真)西から見たファミリーショップビューレイ。
(写真)東から見たファミリーショップビューレイ。
(左)ビューレイのアーケード内。(右)ビューレイの街路灯。
裏通りにはやはり存在感のある3階建てアパートがありましたが、1977年(昭和52年)の住宅地図を見るとショッピングセンター幸栄とあり、ビューレイと同じく鉄筋コンクリート造3階建ての店舗兼アパートだったようです。
(写真)ショッピングセンター幸栄の建物。
(地図)1977年のアイゼン住宅地図。中央左がビューレイ。
2. 幸田町の映画館
2.1 幸田映画劇場(1953年-1963年頃)
所在地 : 愛知県額田郡幸田町芦谷字幸田33(1963年)
開館年 : 1953年8月
閉館年 : 1963年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1953年8月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1954年・1955年・1956年・1957年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「幸田映画劇場」。1964年・1965年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「幸田駅前書店」東側の「幸田駅前銀座駐車場」とその北側の民家。最寄駅はJR東海道本線幸田駅。
昭和30年代の映画館名簿には「幸田映画劇場」が掲載されています。映画館名簿以外の文献では存在を確認できず、またウェブにも有意な言及はありません。
2019年(令和元年)10月に「ウィキペディアタウン in 幸田」に参加した際、幸田町郷土資料館の方に「かつて幸田駅前銀座の裏手にはショッピングセンターがあり、そこが映画館の跡地だったと思われる」と聞きました。
(写真)幸田映画劇場が掲載された映画館名簿。『映画便覧1960』時事通信社、1960年。
(写真)幸田映画劇場跡地にある幸田駅前銀座駐車場。
(写真)幸田映画劇場が面していた道路。左が幸田駅前銀座駐車場。
幸田町郷土資料館の方の話の裏付けをとるために、JR東海道線幸田駅前にある和洋菓子店 宝玉堂の女性(80代?)に聞いてみました。なお、商店街には宝玉堂のほかに竹屋製菓もありますが、竹屋製菓は他所から移ってきた和菓子屋だそうです。
「映画館は幸田駅前銀座の東側にあった。私が宝玉堂に嫁いできたのは1954年(昭和29年)だったか。その時はまだ映画館が営業していたので入ったこともある。その後、映画館を経営していた "カドニさん" は建物を建て替えてショッピングセンターを開店させた。今はショッピングセンターもないし、"カドニさん" の息子もこの辺りにはいない」
確かに映画館は幸田駅前銀座の裏手にありました。"カドニさん" とは映画館名簿に経営者・支配人として掲載されている本多準二さんのことでしょうか。映画館名簿には定員130とあり、昭和30年代としてはかなり小さい映画館だったと思われます。
(写真)映画館の話を聞いた宝玉堂。中央。
(地図)1977年のアイゼン住宅地図。中央上に幸田映画劇場跡地のコウダショッピングセンター。左上に宝玉堂。
幸田町の映画館について調べたことは「西三河の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(愛知県版)」にマッピングしています。