振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

南知多町師崎を訪れる

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(写真)師崎港。

2020年(令和2年)10月、愛知県知多郡南知多町師崎(もろざき)と片名(かたな)を訪れました。かつて師崎には映画館「師崎劇場」がありました。「南知多町大井を訪れる」の続きです。「南知多町豊浜を訪れる」に続きます。

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1. 南知多町師崎を訪れる

1.1 師崎の街並み

南知多町師崎は知多半島の先端にある集落。古くから漁業が盛んであり、江戸時代には捕鯨基地でもありました。大高(現・名古屋市)から知多半島の東岸を南下して師崎に至る街道には師崎街道という名前が付けられています。

明治時代の前半には日間賀島篠島とともに鴻崎村という巨大な自治体だった時代があります。1889年(明治22年)の町村制施行に伴って知多郡師崎村が発足。1893年明治26年)には師崎村に衣浦汽船の定期航路が開設され、1894年(明治27年)には師崎村が町制を施行して師崎町となりました。1961年(昭和36年)には師崎町・内海町・豊浜町・篠島村・日間賀島村の3町2村が合併して南知多町が発足し、単独自治体としての歴史を終えました。

2022年(令和4年)現在、師崎港から日間賀島篠島に向かう高速船やフェリー、師崎港から渥美半島伊良湖岬に向かう高速船が運航されています。

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(写真)万阿弥商店。

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(左)万阿弥商店付近。(右)浜井戸。

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1.2 羽豆神社

知多半島の最南端である羽豆岬(はずみさき)には羽豆神社があり、徳川家康尾張藩主が参詣したこともあります。羽豆神社の社叢はウバメガシを中心とする暖地性常緑樹林であり、1934年(昭和9年)に国の天然記念物に指定されています。

2013年(平成25年)にはローカルアイドルグループのSKE48が「羽豆岬」という楽曲をリリースし、ミュージックビデオも羽豆岬周辺で撮影されたことから、"聖地巡礼"を行う観光客もいるようです。

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(写真)羽豆神社の拝殿。

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(左・右)ウバメガシが卓越する羽豆神社の社叢。国の天然記念物。

 

毎年10月第2土曜には祭礼「羽豆神社大名行列」が行われ、的場(まとば)、鳥西(とりにし)、鳥東(とりひがし)、栄村(さかえむら)、荒井(あらい)から5台の山車が繰り出します。

師崎集落の中心である鳥西や鳥東にまたがる場所には羽豆神社の御旅所があり、全面が銅板で覆われた両部鳥居にしめ縄が飾られていました。2階建ての民家が密集する場所に鳥居や社があるのが風変わりです。

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(写真)羽豆神社の御旅所。

 

 

2. 南知多町片名を訪れる

師崎市街地の約1.5km北には片名があります。師崎と大井の中間地点にある静かな地区ですが、古い地形図と現在の地図を比較すると集落の外側が大きく変化しています。

1970年(昭和45年)には片名漁港南側の海が埋め立てられ、主に師崎から移住が行われた新師崎地区が造成されました。1990年代前半には片名集落北側の丘が開発され、高さ111mのナポリタワーを核とするリゾート施設のチッタ・ナポリが建設されています。

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(写真)リゾート施設 チッタ・ナポリの入口。

 

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(写真)片名漁港。

 

2.1 片名の街並み

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(写真)片名の街並み。片名川。

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(左・右)片名の街並み。片名川。

 

2.2 片名の社寺

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(写真)神明宮。

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(左)成願寺。(右)新蔵寺。

 

3. 師崎の映画館

3.1 師崎劇場(1927年10月-1964年頃)

所在地 : 愛知県知多郡師崎町76(1964年)
開館年 : 1927年10月
閉館年 : 1964年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1927年10月開館。1927年・1936年・1943年・1947年・1949年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「師崎座」。1953年・1955年の映画館名簿では「師崎劇場」。1958年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「師崎映画劇場」。1965年・の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ファミリーマート師崎的場店」北側のファミリーマート駐車場。

『映画館名簿』によると師崎劇場は1927年(昭和2年)10月開館であり、開館時の名称は師崎座だったと思われます。知多半島南部の主要な映画興行主としては蟹本新一氏がおり、豊浜町の「豊浜座」、内海町の「京映会館」、美浜町野間の「高砂会館」などは蟹本氏の経営でしたが、それらの町に囲まれている師崎劇場は山下由一氏の経営館でした。映画館名簿以外で師崎劇場に言及している文献は発見できていません。

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(写真)師崎劇場が掲載されている『全国映画館総覧 1955』時事通信社、1955年。

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(写真)師崎映画劇場が掲載されている『映画便覧 1964』時事通信社、1964年。

 

師崎劇場(師崎座)が掲載されている地図は『大日本職業別明細図 第295号』(東京交通社、1932年)と『観光と産業の知多半島住宅地図 その3』(中京図書出版社、1965年)のみ発見できました。ファミリーマート師崎的場店北側の駐車場の場所にあったのではないかと推測して現地を訪れました。

(写真)中央下に師崎座。『大日本職業別明細図 第295号』東京交通社、1932年。岡崎市立中央図書館所蔵。

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(写真)中央上に師崎劇場。『観光と産業の知多半島住宅地図 その3』中京図書出版社、1965年。愛知県図書館所蔵。

 

ファミリーマート周辺は古くからある民家が少ないエリアですが、ファミリーマートのすぐ南にある家の方から映画館の場所の裏付けを取ることができました。この女性は70代前半とのことですが、島根県からはるばる師崎に嫁いできたそうです。

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(写真)話を聞いた女性。

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(写真)師崎劇場の跡地。地理院地図