振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

木曽川町の映画館

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(写真)木曽川東映劇場の建物を転用した倉庫。2020年10月。

2020年(令和2年)10月、愛知県一宮市木曽川町(旧・葉栗郡木曽川町)を訪れました。かつて木曽川町には「木曽川銀映劇場」「木曽川東映劇場」「帝国劇場」の3館の映画館があり、木曽川東映劇場の建物は倉庫として現存しています。

 

1. 木曽川町を訪れる

葉栗郡木曽川町は愛知県の北西端にあった自治体であり、町域の北西側が木曽川に面しています。一宮市津島市・旧尾西市・旧木曽川町などは世界3大毛織物産地とされる「尾州産地」をなし、現在もこの地域を歩くとのこぎり屋根工場 - Wikipediaからガチャガチャという音が聞こえてきます。2008年(平成20年)に完成したJR東海道本線木曽川駅は、のこぎり屋根工場をモチーフにした橋上駅舎です。

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(写真)JR東海道本線木曽川駅

 

2. 木曽川町の映画館

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(写真)木曽川町の映画館。

 

2.1 帝国劇場(1930年頃-1959年頃)

所在地 : 愛知県葉栗郡木曽川町黒田(1960年)
開館年 : 1930年頃
閉館年 : 1959年秋頃
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「帝国劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「木曽川キリスト教会」。最寄駅はJR東海道本線木曽川駅

木曽川町に3館あった映画館のうち、最も早く閉館したのが「帝国劇場」です。跡地は木曽川キリスト教会のようであり、教会の公式サイトには「1957年(昭和32年)にドイツ人宣教師W・ウエレナー師によって木曽川キリスト教会が開設された。D・ホッテンバッハ師の時代に、旧「帝国劇場」(国定興行社の事務所跡)を購入して木曽川キリスト教会の集会所とした。」と書かれています。

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(写真)帝国劇場跡地の同盟復音木曽川教会。

 

2.2 木曽川東映劇場(1959年頃-1966年)

所在地 : 愛知県葉栗郡木曽川町大字内割田字墓東(1966年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1966年
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「木曽川東映」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。1966年・1967年の映画館名簿では「木曽川東映劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。「十六銀行木曽川支店」南西110mに映画館時代の建物が現存。最寄駅は名鉄名古屋本線新木曽川駅

木曽川東映劇場の建物は織物会社の倉庫として現存し、入口前には織り糸が無造作に置かれていたりします。木造平屋建て、360席の映画館でした。昭和30-40年代に建てられた愛知県の映画館で現存する建物は、木曽川東映劇場を含めて4館だけだと思われます。

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(写真)木曽川東映劇場の建物を転用した倉庫。2019年9月。

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(地図)1960年代の住宅地図。右上に木曽川東映劇場。

 

愛知県に現存する黄金期の映画館建築

「海老劇場」(新城市海老南貝津、1929年竣工)[ブログ記事]

「新豊座」(稲沢市祖父江町祖父江、1950年代初頭竣工?)[ブログ記事]

木曽川東映劇場」(一宮市木曽川町内割田、1950年代末竣工?)本ブログ記事

「一宮国際劇場」(一宮市神山、1957年竣工?)[ブログ記事]

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 (左)映画館の受付だった窓。(右)建物入口前に置かれた織り糸。

f:id:AyC:20201029191006j:plainf:id:AyC:20201029191019j:plain(左)建物の南面。(右)建物の東面と北面。

 

2.3 木曽川銀映劇場(1958年5月3日-1968年頃)

所在地 : 愛知県葉栗郡木曽川町大字黒田字古城1511(1966年)
開館年 : 1958年5月3日
閉館年 : 1966年? 1968年?
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年の映画館名簿では「木曽川銀座劇場」。1963年・1964年の映画館名簿では「木曽川銀座映画劇場」。1966年・1968年の映画館名簿では「木曽川銀映劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「V・ドラッグ木曽川店」南東140mの数軒分の民家。最寄駅は名鉄名古屋本線新木曽川駅

JR東海道本線名鉄名古屋本線に挟まれた場所には、木曽川町の中心的な商店街である木曽川銀座通りがあります。JRと名鉄に挟まれた中心商店街という点では知多郡武豊町に似ているかもしれません。木曽川銀映劇場は木造平屋建て、416席の映画館でした。

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(写真)木曽川銀座劇場の開館を報じる記事。「映画館」『キネマ旬報』1958年5月15日、204号。

(写真)1960年代の木曽川銀映劇場周辺の航空写真。地理院地図

 

2022年(令和4年)には愛知県蒲郡市蒲郡市博物館で「なつかしの映画ポスター展」が開催されましたが、この展覧会では木曽川銀映劇場の上映作品チラシや上映スケジュールも展示されていました。

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(写真)1958年と思われる木曽川銀映の上映作品チラシ。蒲郡市博物館所蔵。「なつかしの映画ポスター展」2022年で展示。

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(写真)木曽川銀映の上映作品チラシ。蒲郡市博物館所蔵。「なつかしの映画ポスター展」2022年で展示。

 

銀座通りには「GINZA」のアーチが健在ですが、2020年(令和2年)3月にはミズボウが経営していた木曽川スイミングスクールが営業を終了しました。ミズボウの旧称は水新紡織であり、プールはのこぎり屋根の紡織工場を転用した特徴的な外観でした。跡地には2020年(令和2年)10月29日にV・ドラッグ木曽川店が開店しています。

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(左)木曽川銀座通り。(右)銀座通りにある和洋菓子舗の萬寿堂。左はミズボウ創業家の水野邸。

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(地図)1960年代の住宅地図。中央右に木曽川銀映劇場。

 

2.4 TOHOシネマズ木曽川(2004年-営業中)

所在地 : 愛知県一宮市木曽川町黒田南八ツケ池25-1 イオンモール木曽川内(2020年)
開館年 : 2004年6月24日
閉館年 : 営業中
2004年の映画館名簿には掲載されていない。2005年・2006年・2010年・2012年・2015年・2018年・2020年の映画館名簿では「TOHOシネマズ木曽川1-10」(10館)。イオンモール木曽川3階。最寄駅は名鉄名古屋本線黒田駅

2004年(平成16年)にはシネコンの「TOHOシネマズ木曽川」が開館し、約36年ぶりに木曽川町に映画館が復活しました。

なお、2005年(平成17年)には木曽川町尾西市一宮市編入されていますが、一宮市は1990年(平成2年)から2005年(平成17年)まで映画館が存在しない自治体でした。1990年(平成2年)の一宮市の人口は26万人であり、この規模の都市に映画館が存在しないのは異例だったかもしれません。一宮市最後の映画館が閉館した際には中日新聞朝日新聞日本経済新聞などに記事が掲載され、地域情報誌『City-1』では「映画館のない町」という特集が組まれています。

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(写真)TOHOシネマズ木曽川。2018年1月。

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(写真)TOHOシネマズ木曽川。2018年1月。

 

木曽川町にあった映画館について調べたことは「一宮市の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(愛知県版)」にマッピングしています。

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