振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

下仁田町の映画館

(写真)諏訪神社の龍の彫刻。

2024年(令和6年)1月、群馬県甘楽郡下仁田町を訪れました。「下仁田町を訪れる」からの続きです。

 

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1. 諏訪神社

下仁田市街地の西端、鏑川の河岸には諏訪神社があります。下仁田町観光協会のウェブサイトでも言及されていますが、龍や獅子などが彫られた社殿・本殿の彫刻、屋根が連結した社殿・幣殿・本殿の様式などが特徴のようです。彫刻については『寺社の装飾彫刻 関東編上 東京・埼玉・群馬』(日貿出版社、2012年)でも紹介されています。

(写真)諏訪神社

(写真)諏訪神社

 

社殿は天保8年(1837年)に造営されたもの。霊獣や花鳥の彫刻がびっしり彫られ、人物としては四仙が彫られています。

(写真)諏訪神社

(写真)諏訪神社

(写真)諏訪神社

(写真)諏訪神社

 

2. 下仁田町の映画館

2.1 本宿倶楽部ブームタウン劇場(1949年-閉館年不明)

所在地 : 群馬県甘楽郡下仁田町本宿
開館年 : 1949年
閉館年 : 不明
映画館名簿には掲載されていない。映画館の建物は「長楽寺」南南西170mに現存。

日本すきま漫遊記の「本宿倶楽部ブームタウン劇場」によると、下仁田市街地から8km北西にある本宿集落には本宿倶楽部ブームタウン劇場という劇場・映画館があったようです。NPO法人RACが刊行する雑誌『レスタウロ』第16号(2005年6月)には、「下仁田本宿地区のまちづくりにおける旧本宿クラブ・ブームタウン劇場の修復活用の意味」が掲載されています。

下仁田町公民館図書室には自費出版の書籍『西牧村 本宿回想記』(薫一子、2023年)があり、本宿倶楽部ブームタウン劇場について多くのページを割いていました。現状ではどこの公共図書館にも所蔵されていない文献であり、ネットで購入できるような性格の文献でもないため、閲覧は困難です。

(写真)本宿倶楽部ブームタウン周辺の航空写真。Googleマップ

 

2.2 下仁田キネマ(1958年頃-1965年頃)

所在地 : 群馬県甘楽郡下仁田町381-1(1965年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1965年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年の映画館名簿では「下仁田キネマ」。1963年・1964年・1965年の映画館名簿では「下仁田キネマ映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は下仁田駅北東30mの駐車場。

(写真)下仁田町の映画館として下仁田東宝映画劇場と下仁田キネマ映画劇場の2館が掲載されている『映画便覧1965』時事通信社、1965年。

(写真)下仁田キネマ跡地の駐車場。

 

2.3 下仁田東宝(1940年代末-1972年頃)

所在地 : 群馬県甘楽郡下仁田町363(1972年)
開館年 : 1947年以後1950年以前
閉館年 : 1972年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「下仁田東宝映画劇場」。1958年・1960年の映画館名簿では「下仁田東宝」。1963年・1965年・1966年の映画館名簿では「下仁田東宝映画劇場」。1969年の映画館名簿では「下仁田東宝映劇」。1970年・1971年・1972年の映画館名簿では「下仁田東宝」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「群馬銀行下仁田支店」南東50mにある4軒分の建物。

(写真)下仁田東宝跡地の民家。

 

下仁田町の映画館について調べたことは「群馬県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(群馬県版)」にマッピングしています。

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