(写真)西町。
2021年(令和3年)1月、岐阜県恵那市岩村町を訪れました。かつて岩村町には映画館「三万石会館」と「岩村劇場」がありました。
1. 岩村町を訪れる
1.1 岩村町の通り
岩村町は岩村藩(岩村城)の城下町として栄え、1998年(平成10年)には「岩村町本通り」が重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。2018年(平成30年)にはNHK連続テレビ小説「半分、青い。」のロケ地となり、ロケ地めぐりで多くの観光客が訪れました。私が初めて岩村町を訪れたのも2018年(平成30年)夏であり、2021年(令和3年)1月、2021年(令和3年)10月にも訪れています。
(地図)平田亀一郎『大日本営業別住所入明細図』1930年。一部。岐阜県図書館がデジタルアーカイブをインターネット公開。
(地図)平田亀一郎『大日本営業別住所入明細図』1930年。本町部分。岐阜県図書館がデジタルアーカイブをインターネット公開。
約1kmにわたって伸びるメインストリートは新町・西町・本町に分けられ、西町と本町の境にある下町升形から柳町が分岐しています。
(写真)新町。
(写真)本町。
(写真)柳町。
1.2 江戸城下町の館 勝川家
本町にある江戸城下町の館 勝川家(勝川家住宅)は江戸時代後期の町屋建築であり、土蔵など5棟が恵那市指定文化財となっています。
(左・右)江戸城下町の館 勝川家。
(左・右)江戸城下町の館 勝川家。
1.3 土佐屋「工芸の館」
土佐屋「工芸の館」は安永7年(1780年)の建築であり、やはり恵那市指定文化財となっています。勝川家住宅にしても土佐屋にしても、市指定文化財への指定は重伝建地区の選定以後のことであり、自治体として文化財を保存する意識の高さを感じます。このほかに江戸時代に建築された市指定文化財には、木村邸(木村家住宅)、浅見家住宅、岩村藩鉄砲鍛冶加納家があります。
(左・右)土佐屋「工芸の館」。
(左・右)土佐屋「工芸の館」。
1.4 岩村町の近代建築
岩村町本通り重伝建地区には江戸時代に建築された町屋が多数ありますが、特に本町には見栄えのする近代建築が複数あります。
(写真)昭和堂。
(写真)梅庄商店。
(写真)旧岩村銀行本店。
(写真)旧岩村郵便局。1928年竣工。『岐阜県近代化遺産総合調査報告書』。
2. 岩村町の映画館
映画館名簿によると、昭和30年代から昭和40年代前半の岩村町には「三万石会館」と「岩村劇場」という2館の映画館がありました。しかし、両館が揃って掲載されている版はなく、2館ではなく1館しかなかったと勘違いしてしまうほどです。
(写真)岩村劇場が最後に確認できる『映画便覧 1963』時事通信社、1963年。
(写真)三万石会館が最後に確認できる『映画便覧 1968』時事通信社、1968年。
2.1 岩村劇場(1909年12月-1963年頃)
所在地 : 岐阜県恵那郡岩村町(1963年)
開館年 : 1909年12月
閉館年 : 1963年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「岩村劇場」。1959年・1960年・1961年・1962年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の映画館名簿では「岩村劇場」。1964年・1965年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「グループホームいわむらの憩」東側の道路上。最寄駅は明知鉄道岩村駅。
恵那郡岩村町に岩村劇場株式会社が設立されたのは1909年(明治42年)12月。別の文献では、1924年(大正13年)には町立岩村劇場が設立されたとする記述が見られることから、1909年(明治42年)に民間有志によって設立された劇場が1924年(大正13年)に岩村町に移管されたのかもしれません。
地元の郷土史家が著した『いわむら郷土読本 第6巻 改元余話篇』(西尾精二、2019年)には、戦前の岩村市街地の地図が掲載されています。柳町の突き当りに「岩村劇場」が描かれていますが、柳町の通りの幅しかないかのような不自然な描かれ方をしています。
(地図)柳町の突き当りに岩村劇場が描かれた地図。西尾精二『いわむら郷土読本 第6巻 改元余話篇』西尾精二、2019年。
1948年(昭和23年)の航空写真を見ると柳町はどん詰まりの構造になっていますが、突き当たりにあるはずの岩村劇場の場所は判然としません。
(写真)1948年の岩村市街地の航空写真。地図・空中写真閲覧サービス
2021年(令和3年)10月にグループホームいわむらの憩付近を歩いていた女性(60~70代)に尋ねたところ、「私が1974年に岩村町にやってきた際、グループホームいわむらの憩の場所には『水半』という旅館があった。その前に映画館があったかどうかは知らない」とのことでした。
2.2 三万石会館(1958年頃-1968年頃)
所在地 : 岐阜県恵那郡岩村町269(1968年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1968年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年の映画館名簿では「三万石劇場」。1960年の映画館名簿では「三万石会館」。1961年の映画館名簿では「三万石劇場」。1962年の映画館名簿では「三万石会館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1964年・1965年の映画館名簿では「三万石会館」。1966年・1967年・1968年の映画館名簿では「恵那三万石会館」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「岩村郵便局」南30mにある公園「本町ポケットパーク」。最寄駅は明知鉄道岩村駅。
1959年(昭和34年)から1968年(昭和43年)までの映画館名簿には三万石会館が掲載されています。1968年の映画館名簿によると、経営者は岩村土地興業、支配人は岩出善次。定員200の小規模な映画館だったようです。
(地図)1964年の東濃版住宅案内図。中央右に三万石会館。
(地図)1967年の住宅地図。中央に三万石会館。
2021年(令和3年)1月に岩村町観光協会の方に聞くと、「岩村町には三万石会館と岩村劇場のふたつがあった。三万石会館は映画館であり、岩村劇場は昔ながらの劇場だった」
「桝形から柳町を南に向かうと、突き当りに岩村劇場があった。現在は老人ホームがある辺りである。岩村劇場は三万石会館よりも早く閉館した」
「三万石会館には小学生の時に入ったことがある。閉館後の建物は家具屋の倉庫となり、現在は本町ポケットパークとなっている。岩村郵便局の角を南に曲がった先である」とのこと。
(写真)三万石会館跡地の本町ポケットパーク。中央奥は岩村郵便局。2021年10月。
岩村町の映画館について調べたことは「岐阜県の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(岐阜県版)」にマッピングしています。