振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

安城市の映画館(3)

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(写真)安城コロナワールドシネコン棟。2019年10月。

2021年(令和3年)5月、愛知県安城市を訪れました。現在の安城市には10スクリーンのシネコン安城コロナシネマワールド」があります。かつて安城市には「安城東映劇場」、「弥生館」、「安城東宝劇場」、「南映会館」、「桜井映画劇場」の5館の映画館がありました。「安城市の映画館(1)」や「安城市の映画館(2)」からの続きです。

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1. 安城市の映画館

安城市街地には4館の映画館があり、うち3館は安城市中心部にありました。2003年(平成15年)以後には安城市中心部で安城南明治第一土地区画整理事業が行われており、弥生館の跡地は分譲住宅地に、安城東映劇場の跡地は道路用地になっています。

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(地図)1970年代中頃の安城市中心部。地理院地図

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(地図)現在の安城市中心部。Google マップ

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(写真)安城南明治土地区画整理事業
 

1.1 南映会館(1955年頃-1968年頃)

所在地 : 愛知県安城市日ノ出町3(1966年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1968年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年・1960年・1963年の映画館名簿では「南映会館」。1961年の安城市居住者明細図帳では「南映会館」。1966年・1968年の映画館名簿では「安城南映会館」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「安城スイミングスクール」北北東30mにある民家。最寄駅は名鉄西尾線安城駅

安城市街地にあった4館のうち、1館だけやや離れた場所にあったのが南映会館です。朝日町商店街の東側に続く安城日の出町商店街に近く、最寄駅は名鉄西尾線安城駅です。経営者は安城東映劇場と同じであり、洋画の上映館だったようです。

南映会館が営業していた頃の住宅地図を見ると、現在はJR東海道本線の北にある神杉酒造の工場が見えます。1970年代から1990年代のゼンリン住宅地図を見ると、南映会館の跡地には和食料理店のかつらが建っています。

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(地図)1961年の住宅地図における南映会館。中央。『安城市居住者明細図帳』 1961年。安城デジタルアーカイブで閲覧。

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(地図)1966年の住宅地図における南映会館。右下。安城市住宅明細図』盟邦出版社、1966年。安城市図書情報館所蔵。

 

2019年(令和元年)夏、南安城駅前にある喫茶店「珈琲ミナミ」で3代目の女性店主(40代?)に話を聞いてみました。南映会館があった時代から50年以上続く老舗の喫茶店です。

珈琲ミナミは1964年に開店した。亡くなった祖母が初代であり、私が3代目。かつて安城市には多くのビリヤード場があり、73歳の父はビリヤードが得意だった。母(60代後半?)が嫁に来た時にはもう映画館の南映会館はなかったが、映画館の話は聞いている。映画館跡地は天ぷら屋になり、天ぷら屋も15年ほど前に閉店した。南映会館はスイミングスクールのブロックの北西角にあった

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(左)珈琲ミナミの外観。(右)フレンチプレスで提供されるコーヒー。

 

1.2 安城東宝劇場(1962年6月16日-1981年3月頃)

所在地 : 愛知県安城市御幸本町7-2(1980年)
開館年 : 1962年6月16日
閉館年 : 1981年3月頃
1963年の映画館名簿には掲載されていない。1964年の映画館名簿では「安城日活」。1966年の映画館名簿では「安城日活劇場」。1969年・1976年・1980年・1981年の映画館名簿では「安城東宝劇場」。1982年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は居酒屋「や台ずしJR安城駅前町」などが入る商業ビル「フランセビル」。最寄駅はJR東海道本線安城駅

安城市では最後発だった映画館が、国鉄東海道線安城駅前に建った安城東宝劇場です。1962年(昭和37年)に安城日活劇場として開館。その後は東宝・松竹・洋画などを上映していた映画館であり、安城市中心部にあった3館の中では最も小規模だったようです。1981年(昭和56年)3月頃に閉館し、1983年(昭和58年)には跡地に黄土色の商業ビルが建っています。

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(写真)「映画館ニュース」『キネマ旬報』1962年8月1日、318号

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(写真)1978年頃の安城東宝劇場。『汽笛一聲 安城駅120年』安城市歴史博物館、2011年。撮影者は不明ですが著作権は切れていません。安城市図書情報館所蔵。

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(地図)1961年の住宅地図。安城東宝劇場の開館前。中央左の「安」字の上の空き地に開館する。『安城市居住者明細図帳』 1961年。安城デジタルアーカイブで閲覧。

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(地図)1966年の住宅地図における安城東宝劇場。中央。地図では「安城日活」。『安城市住宅明細図』盟邦出版社、1966年。安城市図書情報館所蔵。

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(地図)1979年の住宅地図における安城東宝劇場。中央。『ゼンリン住宅地図 1979』ゼンリン、1979年。著作権は切れていません。安城市図書情報館所蔵。

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(写真)安城東宝劇場に言及している写真集。天野暢保(監修)『碧海の今昔』樹林舎、2021年。安城市図書情報館所蔵。

 

1.3 弥生館(1928年-1982年4月頃)

所在地 : 愛知県安城市末広町5-6(1980年)
開館年 : 1928年
閉館年 : 1982年4月頃
1930年・1936年・1943年・1946年・1955年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「弥生館」。1976年・1980年・1982年の映画館名簿では「安城弥生館」。1983年・1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「オーキッドマンション末広」の20m南西。最寄駅はJR東海道本線安城駅

1960年代・70年代の映画館名簿では定員/座席数が400であり、安城市で最も規模の大きな映画館だったようですが、晩年の映画館名簿には222席として掲載されており、また成人映画の専門館となっていたようです。

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(写真)1958年頃の弥生館。『写真集 安城いまむかし』名古屋郷土出版社、1989年。安城市図書情報館所蔵。

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(写真)弥生館と安城映画劇場の広告。『安城の姿』安城市、1953年。安城市図書情報館所蔵。

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(地図)1961年の住宅地図における弥生館。中央。『安城市居住者明細図帳』 1961年。安城デジタルアーカイブで閲覧。

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(写真)弥生館に言及している写真集。『写真集 安城いまむかし』名古屋郷土出版社、1989年。安城市図書情報館所蔵。

 

1.4 安城東映劇場(1911年-1984年前半)

所在地 : 愛知県安城市末広町8-7(1980年)
開館年 : 1911年
閉館年 : 1984年前半頃
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「安城座」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「安城東映」。1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1984年の映画館名簿では「安城東映劇場」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「グランドメゾン安城」の西北西30m。最寄駅はJR東海道本線安城駅

1911年(明治33年)に開館した安城座は、戦後の1959年(昭和34年)に安城東映劇場に改称し、1984年(昭和59年)前半頃まで営業しています。文献では安城東映劇場時代の写真が見つかりません。正確な閉館日は不明ですが、安城市で最も遅くまで営業していた既存興行館のようです。

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(写真)時期不明の安城座。『ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 安城国書刊行会、1979年。安城市図書情報館所蔵。

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(地図)1961年の住宅地図における安城東映。中央下。『安城市居住者明細図帳』 1961年。 安城デジタルアーカイブで閲覧。

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(地図)1966年の住宅地図における安城東映劇場と弥生館。安城市住宅明細図』盟邦出版社、1966年。安城市図書情報館所蔵。

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(地図)1980年の住宅地図における安城東映劇場と弥生館。『航空住宅地図帳 1980』公共施設地図航空、1980年。安城市図書情報館所蔵。著作権は切れていません。

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(写真)安城東映が休館中だという「雑記帳」『民声新聞』1984年4月15日。安城市図書情報館所蔵。著作権は切れていません。

 

1.5 安城コロナシネマワールド(1995年12月23日-)

所在地 : 愛知県安城市浜富町6番地8(2020年)
開館年 : 1995年12月23日
閉館年 : 営業中
1995年の映画館名簿には掲載されていない。1996年・1998年の映画館名簿では「安城シネマ1-10」(10館)。2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「安城コロナワールド1-10」(10館)。2015年・2020年の映画館名簿では「安城コロナシネマワールド1-10」(10館)。

1995年(平成7年)12月23日、西三河地方初の本格的シネコンとして開館したのが安城コロナシネマワールドです。同日には名古屋市に中川コロナシネマワールドも開館していますが、現在のコロナワールドでは当たり前の天然温泉やボウリング場が初めて導入されたのが安城コロナワールドと中川コロナワールドであり、両施設は "コロナグループの集大成" とされています。

2013年(平成25年)には国内で初めて体感型シアター「4DX」が中川コロナシネマワールドに導入されており、2015年(平成27年)には安城コロナシネマワールドにも導入されました。

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(写真)安城コロナワールドの半屋外通路。2019年10月。

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(左)安城コロナシネマワールドのロビー。2020年6月。(右)安城コロナシネマワールドのカウンター。2020年6月。コロナ禍のためビニールカーテンが設置されている。

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(左)4DXを導入した座席。2020年6月。(右)座席数最大のスクリーン1。2020年6月。

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(左・右)一般的な規模のスクリーン。2019年10月。(中)スクリーン入口。2017年11月。『ゲット・アウト』を上映。(右)一般的な規模のスクリーン。2017年11月。

 

安城市の映画館について調べたことは「西三河の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(愛知県版)」にマッピングしています。

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