(写真)宝山寺への参詣道。
2022年(令和4年)6月、奈良県生駒市で映画館跡地を探しました。「生駒市を訪れる」からの続きです。戦前から戦後の生駒には「生駒劇場」「生駒会館」「天命館」などといった劇場・映画館があったようですが、その詳細はよくわかりませんでした。
1. 生駒市の劇場・映画館
1.1 生駒劇場
『生駒市誌 資料編Ⅱ』や『生駒むかしばなし 人々のくらし』には、生駒座から生駒劇場に名を変えた劇場について言及されています。1921年(大正10年)に大阪・新町遊廓の新町演舞場を移築して落成した演舞場であり、後に演舞場としての役割がなくなったことで劇場となりました。文献によると1935年頃に閉鎖されたとも、戦後には映画を上映していたとも、曖昧な書き方がなされています。生駒劇場があったのは現在の宝徳寺の場所とされます。
(写真)宝徳寺。
宝徳寺は宝山寺への参詣道から路地を西に入った先にありますが、狭隘な谷の底といった場所であり、路地の入口もわかりにくい。お世辞にも良い立地とは言えません。
(写真)宝徳寺。
1.2 生駒会館
所在地 : 奈良県生駒郡生駒町山崎(1962年)
開館年 : 1936年以後1943年以前
閉館年 : 1962年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1936年の映画館名簿には掲載されていない。1943年の映画館名簿では「生駒映画劇場」。1947年・1949年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「生駒劇場」。1953年・1955年・1958年・1960年・1961年・1962年の映画館名簿では「生駒会館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ライオンズヒルズ生駒」。
各年版の映画館名簿には生駒映画劇場→生駒劇場→生駒会館という名称の映画館が掲載されています。1943年版・1955年版・1962年版で電話番号が同一(生駒205)であるため、館名が異なっていても同一施設であると推測できます。
『映画年鑑 昭和18年』日本映画協会、1943年
(写真)生駒会館が描かれている「生駒町商店街図」。
1.3 天命館
2021年(令和3年)11月に旧公設市場に住んでいる男性(1933年生まれ)に話を聞くと、「公設市場の東側、道路に突き当たる前の北側に『テンメイカン』という映画館があった。
この時には「テンメイカン」という映画館について全く情報がなかったのですが、『生駒市誌 資料編Ⅱ』に掲載されている時代不明の「生駒門前町の職業別分布図」には天命館が描かれていました。戦後も営業していたのかどうかは定かでありません。
2021年(令和3年)11月に生駒ふるさとミュージアムの男性職員(50代?)に映画館について話を聞くと、「倉病院の駐車場付近に映画館があったようだ」とのこと。この方が言及した映画館は天命館のことだと思われます。
(写真)「生駒門前町の職業別分布図」『生駒市誌 資料編Ⅱ』(生駒市、1974年)
(写真)天命館の跡地。
(写真)天命館の跡地。
生駒市にあった映画館について調べたことは「奈良県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(奈良県版)」にマッピングしています。