振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

武豊町立図書館を訪れる

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(写真)武豊町立図書館。

2021年(令和3年)9月、愛知県知多郡武豊町武豊町立図書館を訪れました。「武豊町を訪れる」からの続きです。「武豊町の映画館」に続きます。

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1. 武豊町立図書館

1.1 立地

武豊町立図書館は北側・西側・南側の3方向がアサリ池に面しており、南側から見るとアサリ池の上に浮かんでいるようにも見えます。大きな河川がないため農業用ため池が多い知多半島を象徴しているかのよう。なお、アサリ池のすぐ東側にも西光寺池というため池がありましたが、こちらは埋め立てられて武豊町中央公民館と武豊町歴史民俗資料館が建設されています。

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(写真)アサリ池に浮かぶ武豊町立図書館。地理院地図

 

2020年(令和2年)1月26日には大阪府松原市松原市民松原図書館「読書の森」が開館しましたが、この図書館も武豊町立図書館のように池に突き出た立地となっています。

参考画像:松原市民松原図書館「読書の森」

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1.2 図書館の歴史

2017年(平成29年)には武豊町立図書館の歴史などをまとめた武豊町立図書館 - Wikipediaを作成しました。

戦前の知多郡武豊町には1915年(大正4年)開館の武豊町武豊図書館が、知多郡富貴町には1927年(昭和2年)開館の森田翁頌徳記念図書館がありました。1955年(昭和30年)には武豊町と富貴町が合併し、改めて武豊町が発足しています。

戦前の2図書館が戦後にどうなったのかは不明ですが、1976年(昭和51年)には武豊町中央公民館図書室が設置され、1986年(昭和61年)8月1日に現在の武豊町立図書館が開館しています。

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(写真)一般開架室。

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(左)特集コーナー。(右)一般書の書架。

 

1.3 郷土資料

館内の最奥部、旅行ガイドの隣の書架が郷土資料の書架です。郷土資料の中でも武豊町に関しては、「自然・壱町田湿地」「港・鉄道」「味噌・醤油」「祭礼・伝説・民話」などという区分があり、武豊港・武豊線醸造業などの資料が豊富です。

フリーペーパーやパンフレット類も郷土資料の収集対象となっており、知多半島地場産業や伝統文化について紹介しているフリーペーパー『COCONUTS CLUB』は、2014年5月号(町制60周年を迎えた武豊町の特集)や2020年12月号(武豊町の大足地区の特集)がありました。

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(写真)郷土資料コーナー。

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(左)武豊に関する本。(右)フリーペーパー『COCONUTS CLUB』。

 

2012年(平成24年)から2017年(平成29年)までの6年間は、中日新聞に掲載された武豊町関連記事のスクラップブックを作成していたようです。年度によってはウェブ上でも見出しレベルではない充実した内容のデータを公開しています。

中日新聞はオンラインデータベースが有用であり、スクラップブックの作成というのは閲覧される頻度のわりに労力のかかる作業ですが、2010年代の武豊町で起こった出来事を素早く把握するのに役に立ちました。

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(写真)新聞記事スクラップブック「中日新聞から見た武豊」。

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(写真)「中日新聞から見た武豊」。ウェブ上で公開されているデータの例。