振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

答志島を訪れる

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(写真)答志島の和具漁港。

2020年(令和2年)12月、三重県鳥羽市の答志島を訪れました。伊勢湾の湾口部に浮かぶ答志島は三重県最大の有人島であり、約7km2の面積に約2500人が暮らしています。「答志島の映画館」から分割した記事です。

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1. 答志島を訪れる

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(左)愛知県から見た答志島の位置。©OpenStreetMap contributors(右)鳥羽市街地と答志島の各地区。Google マップ

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(地図)鳥羽市街地と離島の絵図。左上が答志島。『鳥羽市勢要覧 1956年度版』鳥羽市役所、1957年。

 

鳥羽市街地の鳥羽マリンターミナルと和具漁港/答志漁港を結ぶ鳥羽市営定期船は10往復/日、鳥羽マリンターミナルと桃取漁港を結ぶ鳥羽市営定期船も10往復/日。鳥羽市街地からは答志島がはっきり見えており、鳥羽マリンターミナルから和具漁港まで15分-18分という近さです。

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(写真)鳥羽マリンターミナル。 

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(左・中)往路で乗船した「しおさい」。2016年竣工。(右)海上から見た鳥羽市街地。

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(左・中)復路で乗船した「かがやき」。2009年竣工。(右)志摩マリンレジャーの遊覧船「竜宮城」。

 

 

2. 答志島を歩く

2.1 和具地区

和具は答志島の南東部にある地区であり、人口規模は答志島の3地区の中で最も小さい。対面して菅島があることで風が穏やかだと思われ、鳥羽~神島航路のちょうど中間地点にある点も立地の良さを感じるのですが、大規模な集落が発達しなかったのは水深が浅いからでしょうか。その代わりに和具サンシャインビーチと大間の浜海水浴場という2つの砂浜があり、和具サンシャインビーチの周囲には3階建て以上の旅館が点在しています。

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(写真)和具サンシャインビーチ。

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(写真)和具地区。Google マップ

 

答志地区と桃取地区をつなぐ位置にあることから、鳥羽市立答志小学校と鳥羽市立答志中学校も和具地区にあります。2017年(平成29年)には桃取地区の鳥羽市立桃取小学校が並行し、答志島の3地区すべての児童が答志小学校に通っているようです。

答志小学校・答志中学校では離島留学「寝屋子の島留学事業」が行われており、公式サイトには「東海地域唯一の離島留学事業」とあります。愛知県西尾市佐久島では島外在住者が定期船で通学する「しおかぜ通学」が行われていますが、寝屋子の志摩留学事業は家族で答志島に居住する制度のようです。

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(左)鳥羽市立答志小学校。(右)鳥羽市立答志中学校。

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(左)和具の街並み。(右)和具の路地。

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(左)九鬼嘉隆首塚三重県指定文化財。(右)九鬼嘉隆の胴塚。三重県指定文化財

 

答志地区より平地が多いのが和具地区の特徴であり、民家に近い場所にはちりめんの天日干し場が、山際には野菜畑が多くありました。ちりめんの旬は春と秋だそうで、11月までに訪れていれば天日干しの風景が見られたかも。

野菜畑は側面だけでなく上部も防獣ネットで覆われているものがほとんどであり、狭い農道と厳重な防獣ネットの対比が異様にも見えます。農作業していた方に聞いてみると、山から下りてくるイノシシが畑を荒らすらしい。

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(左)ちりめんの天日干し場。(中・右)和具にある野菜畑。

 

2.2 答志地区

和具地区から低い峠を挟んで北に約1km、正面に神島や渥美半島伊良湖岬を望む場所にあるのが答志地区です。答志地区は答志島における海面漁業の中心のようであり、答志漁港の西部には5階建ての鳥羽磯部漁業協同組合 滅菌海水製氷棟(鮮度保持のために魚倉を満たす氷)がそびえています。

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(写真)答志漁港の東部。

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(写真)答志地区。Google マップ

 

和具地区と答志地区の間にある峠の近くには、美多羅志神社、潮音寺、蟹穴古墳、岩屋山古墳という旧跡が集まっています。三重県南部や伊勢湾の各島の神社と同じく、美多羅志神社は20年ごとに式年遷宮を行う神社ですが、この2020年(令和2年)11月に遷宮を行ったばかりとのことで社殿がまぶしい。境内には龍の顔の形をしたシイの木「龍神さん」がありました。

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(左)美多羅志神社の本殿。(中)美多羅志神社の「竜神さん」。(右)潮音寺。

 

美多羅志神社や潮音寺の脇から山に入ると、7世紀後半の横穴式石室を持つ蟹穴古墳があります。1921(大正10)年の調査で重要文化財の須恵器が出土し、東京国立博物館で保存されているそう。所在地としては答志地区ですが、和具地区を見下ろす場所にあります。

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(左)重要文化財の須恵器が出土した蟹穴古墳。(右)答志島の総鎮守である八幡神社

答志地区は和具地区より民家が密集しており、幅1-2mの路地が縦横に走っています。住民の移動手段はもっぱら原付のようで、狭い路地の中でもおかまいなしに走っています。比較的広めの路地としてはロンク食堂前の路地やコンビニエンスストアたけなか前の路地がありました。

答志地区ではあらゆる家に暗号のようなマルハチのマークが描かれていますが、これは(マルハチをシンボルとする)名古屋に縁がある島民が多いのからではなく、毎年1月に八幡神社の神紋を描いて厄除けや大漁祈願としているのだそうです。八幡祭で使用された炭を使って毎年描きなおしているようです。

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(左)ロンク食堂。(右)コンビニエンスストアたけなか。

 

伊勢志摩地方には中学校を卒業した男子が共同生活を送る寝屋子制度 - Wikipediaという風習があり、現在は伊勢志摩地方の中でも答志島だけに残っているそうです。答志島の漁業は個人事業主による沿岸漁業や養殖業がほとんどだと思われ、(相対的に)共同作業の重要性が薄いのではないかと思いましたが、なぜ答志島だけに残ったのだろう。

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(左)寝屋子交流の館。(右)現代的な民家。まるで表札のようにマルハチのマーク。

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(左・中・右)原付が多い答志地区の路地。

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 (左・右)答志地区のねこ。