2021年(令和3年)2月、三重県志摩市阿児町鵜方(うがた)を訪れました。かつて鵜方には映画館「志摩国際劇場」「鵜方中央劇場」「有楽館」がありました。
1. 鵜方を歩く
阿児町鵜方(あごちょううがた)は志摩市の市役所がある地区であり、近鉄志摩線鵜方駅からは志摩市各地に対してバスが発着しています。水田だった南側は1960年代~1970年代に開発されて主要な出口となり、開発当時のものと思われるコンクリートビルも残っています。
参考リンク 「志摩市立図書館を訪れる」2019年3月
(左)近鉄志摩線鵜方駅。(右)鵜方駅南口の鉄筋コンクリート造ビル群。
2. 鵜方の映画館
鵜方には「志摩国際劇場」(1953年-2008年頃)、「鵜方中央劇場」(1956年頃-1968年頃)、「有楽館」(1946年-1962年頃)の3館の映画館がありました。有楽館は古い住宅地図にも掲載されていませんが、1963年の航空写真を見ると鵜方市街地西部にひときわ巨大な建物があり、この建物が有楽館ではないかと推測して志摩市立図書館にレファレンスを行いました。
(写真)1963年の鵜方市街地の航空写真。地図空中写真閲覧サービス
2.1 有楽座(1946年-1962年頃)
所在地 : 三重県志摩郡阿児町鵜方(1962年)
開館年 : 1946年4月
閉館年 : 1962年頃
『全国映画館総覧1955』によると1946年4月開館。1953年・1955年の映画館名簿では「シマキネマ有楽館」。1958年の映画館名簿では「有楽館」。1960年・1961年・1962年の映画館名簿では「友楽館」(有ではなく友)。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1968年の住宅地図では跡地に「ひまわり保育園 芸妓置ヤ初波」。1977年の住宅地図では跡地に「ひまわり園 (有)共栄建設鵜方事務所」。跡地は「横山第3号踏切」北東の建物。最寄駅は近鉄志摩線鵜方駅。
1960年の映画館名簿によると、有楽館の経営者・支配人はいずれも中井安蔵。木造2階建冷暖房付、定員1000、洋画を上映。定員1000は市部も含めて三重県最大であり、冷暖房付きは当時の郡部としては異例です。
有楽館について志摩市立図書館に対してレファレンスを行ったところ、有楽館に言及している文献はみつからなかったとのことですが、子どもの頃に有楽館に入ったことがある職員や地元の方からの聞き取りを行ってくださいました。それらをまとめると、「映画館というより劇場のような建物であり、とても大きかった。ステージや2階席があった。(友ではなく)『有』という漢字が使用されていた。阿児町鵜方1442番地付近にあった」とのことでした。
1968年や1977年の住宅地図を見ると、有楽館の跡地にはいずれもひまわり保育園があり、保育園に付随して1968年は「芸妓置ヤ初波」、1977年は「共栄建設鵜方事務所」の文字があります。映画館の建物を保育園の園舎にしていたようですが、保育園というのは映画館跡地の活用方法として珍しいと思われます。
(写真)有楽座跡地にある建物。
2.2 鵜方中央劇場(1956年頃-1968年頃)
所在地 : 三重県志摩郡阿児町鵜方(1968年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1968年頃
1955年・1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年の映画館名簿では「鵜方映画劇場」。1958年・1959年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「中央劇場」。1966年・1967年・1968年の映画館名簿では「鵜方中央劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ファミリーマート志摩鵜方駅西店」。最寄駅は近鉄志摩線鵜方駅。
1960年の映画館名簿によると、鵜方中央劇場の経営者・支配人は中井宗五郎、木造平屋建、定員185、邦画を上映。1968年の映画館名簿によると、経営者は前田竜一、木造平屋建冷暖房付、定員200、東宝・東映を上映。1964年の産業住宅案内図帳(※伊勢河崎商人館が所蔵)では単に「劇場」と書かれた建物があり、この「劇場」が鵜方中央劇場だと判断しています。跡地はファミリーマート志摩鵜方駅西支店。当時はまだ国道167号が開通しておらず、鵜方駅のメインゲートは北口でした。
(写真)鵜方国際劇場跡地にあるファミリーマート志摩鵜方駅西店。
2.3 志摩国際劇場(1953年-2008年頃)
所在地 : 三重県志摩郡阿児町鵜方(2008年)
開館年 : 1953年、1967年8月(建て替え)
閉館年 : 2008年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2008年の映画館名簿では「志摩国際劇場」。2009年・2010年の映画館名簿には掲載されていない。2009年の住宅地図では跡地に「空白」。志摩市最後の映画館。近鉄志摩線鵜方駅西側の踏切のすぐ北東に映画館の建物が現存。
1960年の映画館名簿によると、志摩国際劇場の経営者・支配人は前田稲太郎、木造2階建、定員300、松竹・東映・大映を上映。1980年の映画館名簿によると、志摩国際劇場の経営者・支配人は前田稲太郎、鉄筋コンクリート造2階部分120席、邦画と成人映画を上映。2000年には経営者・支配人が前田寿となっています。
映画黄金期の建物は木造で定員300という標準的な規模ですが、1967年(昭和42年)8月には鉄筋コンクリート造で120席(のちに100席)のミニ映画館に建て替えています。建て替え&ミニ映画館化は当時としては思い切った決断だったと思われ、その後40年も営業し続ける要因となったのは間違いありません。
志摩国際劇場が閉館したのは2008年(平成20年)頃のことであり、シネコンを除けば三重県郡部で最も遅くまで営業していた映画館でした。新聞や雑誌に映画上映案内や閉館を報じる記事が載ることもなかったため、21世紀まで営業していたにもかかわらず、正確な閉館時期がわかりません。
(写真)志摩国際劇場の建物。右奥は鵜方駅。
(写真)志摩国際劇場の入口。
阿児町鵜方にあった映画館について調べたことは「三重県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(三重県版)」にマッピングしています。