(写真)大王埼灯台と太平洋。
2021年(令和3年)2月、三重県志摩市大王町波切(なきり)を訪れました。
かつて波切には映画館「大王劇場」と「寿座」がありました。「大王町船越の映画館」からの続きです。
1. 波切を歩く
1.1 大王埼灯台
大王町波切(なきり)には観光スポットとして「日本の灯台50選」に選定されている大王埼灯台があり、共同駐車場には観光ツアーバスも停まっていました。大王埼灯台は日本に16ある参観灯台のひとつであり、上部からは視界の範囲に陸地が見えない雄大な太平洋を見渡せます。
大王埼灯台から西を見渡すと、先志摩半島(先島半島)を象徴する地形の海食崖や海食台地が見えました。波切は一部を除いて台地上に形成された町であり、海に近いものの標高は20-40m程度あります。
(左)波切の海食台地。(右)波切の色別標高図。地理院地図
(写真)大王埼灯台から見た波切の街並み。
1.2 波切漁港周辺
波切漁港周辺は映画のロケ地として有名だそうで、古くは『君の名は』(松竹、1953年)、21世紀の作品では『小さき勇者たち〜ガメラ〜』(角川ヘラルド、2006年)などがここで撮影されたそうです。
(写真)波切漁港。
(左・中・右)波切漁港。
波切漁港周辺のわずかな低地にはツアーバスも停まれる観光駐車場やバス停があり、公民館・漁協・農協などの公共施設、飲食店が集まっています。漁港周辺から往時の中心街に向かっていくつもの坂があり、特に産屋坂(おびや坂)は観光スポットにもなっているようでした。
(左)食堂 しまや周辺。(右)大王小学校に向かう歩道橋。
(左)石垣がある産屋坂。(右)産屋坂から見た波切漁港や大王埼灯台。
(写真)うなぎ・寿司屋のしまや。刺身定食。
1.3 商店街
創業80年近いといううなぎ・寿司屋のしまやで波切にあった映画館について聞くと、わざわざ波切コミュニティセンターに電話をかけてくださいました。
しまやから徒歩3分の波切コミュニティセンターの男性(60代?)に話を聞くと、
「かつての波切は現在の2倍の人口があり、銭湯は10軒ほどあったほか、遊郭もあった。現在の大王柔剣道場の場所には警察署があった。波切中学校が現在地に移転する前はやなぎだ百貨店などがある辺りにあり、中学校の移転後に土地が民間に売却された」とのことです。
この男性は商店街がある波切のメインストリートを "ながの通り" (表記は不明)と呼んでいました。「2020年(令和2年)だけでも立命館大学や法政大学の学生が波切に調査に来た」とのことですが、両大学に共通する専攻といえば地理学が思い浮かびます。
(写真)商店街。
商店街の三差路には衣料品店のやなぎだのビルがあり、細長い鉄筋コンクリート造の外観が印象的です。やなぎだ以外にも波切にはコンクリートの構造物が目立ち、私が知っている奥志摩半島の漁業集落(志摩町和具、志摩町御座、浜島町浜島、大王町船越など)とは異なる雰囲気でした。
(左・中・右)波切にあるコンクリートの建造物。
(写真)1963年の波切の航空写真。地図・空中写真閲覧サービス
(写真)現在の波切の航空写真。地理院地図
2. 波切の映画館
2.1 寿座(1940年代後半-1964年3月)
所在地 : 三重県志摩郡大王町波切(1963年)
開館年 : 1947年以後1950年以前
閉館年 : 1964年3月
1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「寿座」。1953年・1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1961年・1962年・1963年・1964年の映画館名簿では「寿座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1968年のゼンリン住宅地図では「寿座」。跡地は「天理教崎島分教会」東南東130mにある民家。
1960年の映画館名簿によると、寿座の経営者・支配人はともに天白英機。木造2階建、定員550、松竹・大映・洋画を上映していたようです。現在確認できている大王町の最古の住宅地図は1968年版であり、寿座と大王劇場が掲載されています。この地図は志摩市立図書館や三重県立図書館ではなく鳥羽市立図書館が所蔵しています。
しまやの女性によると「ハワイの場所に日活の映画館があったような気がする」とのことでした。1977年(昭和52年)の住宅地図にはパチンコ店のハワイが掲載されており、かっこ書きで(夏山世弘)となっています。この場所には現在も同じ姓の方の民家が建っています。
(写真)寿座跡地にある民家と駐車場。
(地図)寿座が掲載されている1968年のゼンリン住宅地図。
2.2 大王劇場(1955年頃-1968年頃)
所在地 : 三重県志摩郡大王町波切268(1968年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1968年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年・1958年の映画館名簿では「大王劇場」。1960年・1961年・1962年・1963年の映画館名簿では「大王東映」。1966年・1968年の映画館名簿では「大王劇場」。1968年のゼンリン住宅地図では「大王劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1972年のゼンリン住宅地図では「大王劇場」。1977年の住宅地図では跡地に「駐車場」。跡地は「天理教崎島分教会」南東70mにある民家。
1968年の映画館名簿によると、経営者は林正祐。木造平屋建、定員200、松竹・東映を上映していたようです。波切コミュニティセンターの男性は建物の外で井戸端会議していた女性3人(70代~80代)にも話を聞いてくださいました。この女性たちによると、「寿座をパチンコ店のハワイが買収したため、寿座の経営者が大王劇場を建てたのではなかったか」とのことでした。映画館名簿によると寿座と大王劇場の経営者は異なり、また併設していた時期もあるのですが、興味深い話だと思います。
(写真)大王劇場跡地にある民家。中央右奥。
(地図)大王劇場が掲載されている1968年のゼンリン住宅地図。中央左の空白部分は宅地造成途中の中学校跡地。
(写真)映画館の話を聞いた波切コミュニティセンター。右は大王埼灯台のモニュメント。
大王町波切にあった映画館について調べたことは「三重県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(三重県版)」にマッピングしています。