振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

笠原町の映画館

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(写真)映画館「笠原劇場」から転用された倉庫。

 

岐阜県多治見市笠原町にあった映画館「笠原劇場」跡地を訪れました。多治見市図書館笠原分館や多治見市モザイクタイルミュージアムも訪れています。

ayc.hatenablog.com

 

1. 笠原町の映画館

かつて土岐郡笠原町には映画館「笠原劇場」がありました。モザイクタイル生産で栄えた歴史を考えると、映画館が "1館しかなかった" ことが意外にも思えます。笠原町の映画館について調べたことは「岐阜県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(全国版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

www.google.com

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1.1 笠原劇場(1934-1966)

所在地 : 岐阜県土岐郡笠原町2898(1969年)
開館年 : 1934年
閉館年 : 1966年
1950年の映画館名簿では「金昇館」。1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「笠原映画劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「笠原劇場」。1969年の住宅地図では「笠原劇場」。「笠原神明社」の参道入口脇に建物が現存。

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(写真)現在の笠原市街地の航空写真。国土地理院地理院地図

 

土岐郡笠原町の笠原神明宮の西側には映画館「笠原劇場」がありました。すぐ近くにはかつて笠原町役場があったそうで、映画館は町の中心部にあったようです。この笠原神明宮、遠くから見ると何の変哲もない拝殿ですが、近づいてみるとタイルの町の神社であることを実感します。

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(写真)笠原神明宮。笠原劇場の西側。

 

笠原劇場の歴史

1926年(大正15年)に笠原町公会堂として竣工した建物が、1934年(昭和9年)に笠原町営の映画館「金昇館」として開館。戦後の1952年(昭和27年)に民営となって「笠原劇場」に改称しましたが、1963年(昭和38年)1月21日に火災で焼失。すぐに再建されたようですが、1966年(昭和41年)に映画館としては閉館したとされています。その後の建物はスーパー「玉野屋」となり、後に玉野屋の倉庫となっています。

上記の情報は『笠原町史 その三 かさはらの写真集』(笠原町、1988年)と『笠原町史 その五 かさはらの歴史』(笠原町、1993年)によります。1969年の住宅地図や映画館名簿にはまだ笠原劇場が掲載されていますが、その理由は判然としません。

 

1963年頃に再建された建物は現存しており、トタン部分にはうっすらと "タマノヤフード" の文字も見えます。近くの定食屋「久野屋」の店主が外に出てきたので話を聞いてみると、「映画館の建物は焼けちゃった。(この建物は映画館の建物ではないよ)」とのことでした。文献によるとこの建物も3年間ばかり映画館として使用されていたはずですが、久野屋の店主には映画館の建物といえば火災で焼失した建物の印象が強いのだと思われます。

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(写真)「笠原劇場」から転用された倉庫。映画館閉館後はスーパー「玉野屋」だった。

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(左)建物の入口部分。(右)建物の側面。

 

笠原劇場の文献

笠原分館で文献調査したところ、『広報かさはら』1963年2月1日号に「近火見舞御礼」という短報で笠原劇場の火災について触れられていました。また、『広報かさはら』1963年3月20日号には「町公民館で火災防ぎょ 検討会開かる」という記事が掲載され、消防団の活躍について約1ページを割いています。

『広報かさはら』1963年9月1日号や10月1日号によると、9月25日には笠原町敬老会が笠原劇場で開催されているため、1963年3月から9月までの間に現在の建物が再建されたようです。

『笠原のまち』(土岐郡笠原小学校、1966年)には笠原町の年表が掲載されており、「1929年(昭和4年)4月には小屋がけだった金昇館が常設館になった」と書かれています。『笠原町史』の記述とはやや異なっています。

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(左)『広報かさはら』1963年2月1日号。(右)『広報かさはら』1963年3月20日号。

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(写真)笠原町の年表。1929年に金昇館の記述あり。

 

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 (写真)「笠原映画劇場」が掲載された『映画年鑑 1963年版 別冊 映画便覧 1963』(時事通信社、1963年)。