2021年(令和3年)8月、三重県いなべ市北勢町阿下喜(あげき)を訪れました。
かつて阿下喜には映画館「北勢文化映劇」がありました。「北勢町阿下喜を訪れる」からの続きです。
1. いなべ市図書館
2003年(平成15年)には規模の似通った4自治体が合併していなべ市が発足。4町にあった公共図書館がそれぞれいなべ市北勢図書館、いなべ市員弁図書館、いなべ市大安図書館、いなべ市藤原図書館に改称しています。中央図書館といえる規模の図書館は存在せず、それぞれ146m2、291m2、310m2、501m2という床面積です。
1.1 いなべ市員弁図書館
2021年(令和3年)5月、いなべ市員弁図書館はいなべ市役所員弁庁舎内に移転しました。
(写真)いなべ市員弁図書館の入口。
(左・右)いなべ市員弁図書館の管内。
1.2 いなべ市北勢図書館
(写真)いなべ市北勢市民会館。
(左)いなべ市北勢市民会館のロビー。(右)いなべ市北勢図書館の入口。
(写真)いなべ市北勢図書館の館内。
2. 阿下喜の映画館
2.1 阿下喜劇場(1916年-1959年頃)
所在地 : 三重県員弁郡北勢町(1958年)
開館年 : 1916年4月30日(共栄座)、1953年1月4日(阿下喜劇場)
閉館年 : 1959年頃
1956年・1958年・1959年の映画館名簿では「阿下喜劇場」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。
各年版の『映画館名簿』によると、阿下喜には「阿下喜劇場」と「北勢文化映劇」の2館があり、いずれも経営者は森嶋浅吉(森島浅吉)です。森嶋氏は北勢町議会で初代議長を務めた人物であり、阿下喜にある日本料理店 昭栄館の現料理長の祖父にあたる方のようです。阿下喜劇場は木造2階建てで定員は485。
いなべ市立北勢図書館といなべ市立員弁図書館で郷土資料を閲覧したところ、『阿下喜近代の出来事』(北勢町教育委員会、1994年)では阿下喜劇場の前身である共栄座について触れられていました。共栄座の開館は1916年(大正5年)4月30日、初めて活動写真が上映されたのは同年8月16日であり、初めてトーキー映画が上映されたのは1933年(昭和8年)12月8日です。
(写真)共栄座について言及がある『阿下喜近代の出来事』(北勢町教育委員会、1994年)。
2.2 北勢文化映劇(1957年-1968年頃)
所在地 : 三重県員弁郡北勢町阿下喜(1968年)
開館年 : 1957年10月5日
閉館年 : 1968年頃
1955年・1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「北勢文化映劇」。1959年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「北勢文化映劇」。1963年の映画館名簿では「北勢文化劇場」。1966年・1968年の映画館名簿では「北勢文化映画劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「相願寺」南西80mにあるスナック「ジュエリーパート2」。最寄駅は三岐鉄道北勢線阿下喜駅。
阿下喜劇場の閉館年と北勢文化映劇の開館年を比べると、北勢文化映劇は阿下喜劇場の実質的な後継館だったのかもしれません。『映画館名簿』によると、北勢文化映劇は木造平屋建て、定員は250。上映作品は映画館名簿の年度によって多少異なりますが、主に松竹・大映・東宝・東映の作品を上映していたようです。
2021年(令和3年)7月に開館した鉄道資料館「旧阿下喜駅」は、阿下喜で安藤製材店を経営する安藤信幸さん、「北勢線とまち育みを考える会」代表の安藤たみよさんの夫妻が運営しています。安藤たみよさんに話を聞くと、
「魚文の西側にジュエリーというスナックがあり、その場所に映画館があった。ジュエリーは1階が駐車場で2階が建物になっている。主人には『いつもゴジラシリーズを上映していた』と聞いたことがある」とのこと。なお、1980年代の住宅地図でこの場所を確認すると小料理屋「伴」となっていました。
阿下喜の町について聞くと「阿下喜には移住者が増えている。移住者による店が何店舗かあり、ここ数年ではフランス料理店のnord、定食屋の上木食堂が開店したし、コーヒー焙煎も行うカフェが開店する予定もある」とのことでした。
(写真)北勢文化映劇跡地にある建物。
(写真)北勢文化映劇跡地にある建物。
(写真)北勢文化映劇跡地にある建物。
(写真)1963年の阿下喜市街地。地図・空中写真閲覧サービス
北勢町阿下喜の映画館について調べたことは「三重県の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(三重県版)」にマッピングしています。