振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

南丹市八木町の映画館

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(写真)八木町の本町通り。旧山陰道

2020年(令和2年)9月、 京都府南丹市八木町を訪れました。かつて八木町には映画館「八木映画劇場」がありました。

 

1.八木町を歩く

1.1 八木町の通り

駅前通

JR山陰本線八木駅駅前通りは、国道9号(山陰道)と本町通り(旧山陰道)を結ぶ商店街。センターラインはありませんが国道477号に指定されています。高度成長期には駅前通りが八木の商業の中心だったようですが、1988年(昭和63年)時点の中心市街地に204軒だった商店数が、2011年(平成23年)には54軒と1/4にまで減少したそうです。

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(写真)駅前通り。国道9号八木交差点。

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(写真)駅前通り。

 

駅前通りから南に分岐して本町通りに至る通りは、1970年代の航空写真を見ると本町通りと同じくらい町屋の密度が高い。現在はひっそりとした通りですが、石勝石材店など古そうな商店も何軒か営業しています。

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(写真)駅前通りから分岐して本町通りに至る通り。石勝石材店付近。

 

本町通り(旧山陰道

JR山陰本線八木駅から駅前通りを約300m進むと、大堰川と並行して走るのが本町通り(旧山陰道)です。ひときわ目に付く建物として八木酒造がありますが、すでに酒蔵としての歴史を終えているように見えます。コワーキングスペースなどにもなる「コミュニティスペース 気になる木JUJU」も気になりますが改修工事中でした。

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(左)本町通りの八木酒造付近。(右)八木酒造。

 

本町通りが中央通りと交差する地点より北側、大堰川に合わせて通りが緩やかに湾曲した部分には、写真映えする町屋が連続していました。近畿地方の中でも摂津・丹波地域は妻入指向の街並みが集中しているとされ、南丹市でも園部町は妻入の町屋が多いとされますが、八木町は平入の町屋が多いようです。2階の屋根に塔屋(?)が乗った不思議な町屋もありました。

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(写真)本町通りの街並み。旧山陰道

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(写真)本町通りの街並み。旧山陰道

 

1.2 南丹市八木図書室

立派な南丹市役所八木支所の裏手には南丹市八木図書室があります。1987年(昭和62年)に八木町立郷土資料館図書室として開館し、2006年(平成18年)の合併時に南丹市八木図書室に改称。図書室部分の床面積は200m2程度あるようですが、園部町南丹市中央図書館とは差があるため、図書館ではなく図書室を名乗っています。

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(左)南丹市八木図書室。(右)南丹市役所八木支所。

 

 

2. 八木町の映画館

2.1 八木映画劇場(1952年-1960年代初頭)

所在地 : 京都府船井郡八木町字杉ノ前(1961年)
開館年 : 1952年5月19日
閉館年 : 1961年以後1963年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1951年5月設立。1953年・1955年・1960年・1961年の映画館名簿では「八木映画劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「八木郵便局」北東120mにある「理容中川」を含む民家数軒。

八木町には1952年(昭和27年)から1960年代前半まで映画館「八木映画劇場」がありました。南丹市在住の方が「南丹生活」というサイトで八木映画劇場に言及しています。

本町1丁目の国道9号線(旧街道)を脇へそれて、南丹病院まで幅3メートルばかりの道路が通っていた。そのおよそ300メートル程の道路の、中央部辺りに八木映画劇場があった。比較的新しい建物の割には、黄土色のモルタル塗りの外観で重厚な感じは余りしなかった。(中略)道路は舗装のされていない狭い地道ではあったものの、精米所・駄菓子屋・豆腐屋・銭湯・中華料理店・食堂喫茶店・煙草屋・小間物店などが軒を並べていた。製材所や砥石工場も営業しており、砥石工場の上には珠算教室まであった。脇道から奥の方へ町営住宅が続いていて、町の中心部を外れていながらかなりの賑わいを見せていたのだった。-----上野道雄「軟淡今昔2南丹生活

 

南丹市八木図書室には『保存版 亀岡・南丹・京丹波の今昔』(郷土出版社、2011年)があり、1952年(昭和27年)に八木映画劇場が開館した際の記念写真が掲載されていました。また、南丹市中央図書館には『企画展 映像文化の足跡』(南丹市立文化博物館、2009年)があり、八木映画劇場の所在地図や開館時の広告なども掲載されています。

経営者は前田興業株式会社。八木映画劇場に加えて、船井郡園部町の「園部映画劇場」、亀岡市の「松竹座」・「朝日座」・「亀岡座」の5館を経営しており、口丹波の映画館はすべて前田興業によって経営されていたことになります。

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(左)1952年の八木映画劇場。『映像文化の足跡』南丹市立文化博物館、2009年より。(右)八木映画劇場が掲載されている『映画年鑑 1960年版 別冊 映画便覧 1960』(時事通信社、1960年)。

 

八木映画劇場は1960年代初頭に閉館しましたが、1970年代の航空写真にはまだ建物が映っています。建物の長辺が通りに面しているのは珍しい。

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(左)1970年代の航空写真における八木映画劇場跡地。地理院地図

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(左)1952年5月のプログラム。(右)八木映画劇場の位置。いずれも『映像文化の足跡』南丹市立文化博物館、2009年より。

 

跡地は複数の民家となっており、同時代に建設されたと思われる間口の狭い妻入の民家が並んでいます。うち1軒では「理容中川」(中川理容店)が営業していました。

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(写真)八木映画劇場跡地の民家数軒。白い壁の民家は「理容中川」。

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(左)八木映画劇場が面していた通り。(右)「軟淡今昔2」に登場する南丹市営八木南広瀬団地。

 

南丹市八木町にあった映画館について調べたことは「京都府地方の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(近畿版)」にマッピングしています。

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