振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

南丹市園部町の映画館

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(写真)南丹市国際交流会館

2020年(令和2年)9月、京都府南丹市園部町を訪れました。かつて園部町には映画館「園部映画劇場」がありました。「南丹市八木町の映画館」からの続きです。

 

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1. 園部町を歩く

1.1 園部町の通り

新町通り

園部市街地の北側には大堰川の支流である園部川が流れていますが、園部川の南側に平行して走る一本の通りは、下流川から「新町通り」、」本町通り」、「上本町通り」という3区間に分かれています。新町通り中心市街地からやや離れており、車の通行もほとんどない静かな通りのため、古い建物がもっとも多く残っていました。近代洋風建築のカトリック丹波教会園部聖堂がよいアクセントになっています。

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(写真)新町通り。ぐるりんバス「カトリック前」バス停。

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(左)丹清材木店。(右)1953年竣工のカトリック丹波教会園部聖堂。

 

本町通りの東側

本町通りは信号を境に、近年に道路が拡幅された西側と拡幅されていない東側に分かれます。東側には築200年超の商家を改修した園部まごころステーションや、文政年間(1818年-1830年)頃に建てられた旅館 合羽屋がありますが、外観は江戸時代の建築とは思えないほど新しい。東側も拡幅するとなるとどちらかの建物を取り壊す必要がありますが、南丹市都市計画マスタープランを読む限りでは東側は現在のままみたい。

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(左)園部まごころステーション陽だまり。(右)本町通り。左は割烹料理店 三亀楼。右はかつての旅籠である旅館 合羽屋。

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(図)南丹市都市計画マスタープランに掲載されている都市計画概念図。

 

本町通りの西側

本町通りの西側ではカナモンヤcafeイヌイシが目につきます。金物屋兼喫茶店という店舗形態は日本初だそうで、喫茶店の店内には金づちややかんなどが吊るされています。

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(写真)近年に拡幅工事が行われた本町通りの西側。左はカナモンヤcafeイヌイシ。

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(写真)金物屋と喫茶店が融合したカナモンヤcafeイヌイシ。

 

上本町通り

本町通り西側から上本町通りには商店が多い。和菓子舗のかどや老舗は園部一番の老舗のようで、創業はなんと元和年間(1615年-1624年)、園部藩の御用菓子司だったそうです。店舗の間口は狭く、薄暗い店内にはやや入りづらさを感じます。陳列された商品を見ても、現在の主人の代で廃業してしまうのではないかと感じました。主人は園部映画劇場があった時代のことを覚えていました。

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(写真)上本町通り。奥が本町通り。

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(左)元和年間(1615年~1624年)創業のかどや老舗。(右)1866年創業の料理旅館 石川楼。

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(地図)1970年代の園部市街地。地理院地図

 

1.2 南丹市立中央図書館・文化博物館

城の天守を模したビルの脇にあるのが南丹市立中央図書館と南丹市立文化博物館の建物。地下1階(実質的には1階)が図書館、1階(2階)と2階(3階)が博物館です。施設は立派だし場所もいい。ただし、建物内で図書館と博物館を行き来することはできず、いったん屋外に出て分かりにくい階段を登り降りする必要があります。それぞれの館内にもう一方の施設の案内がない点も不親切で、同じ社会教育施設なのにもったいないです。

博物館では企画展「ランプ・夜を彩る文明の華 -江上進コレクション-」を開催していました。市内在住の小学校教員が生涯かけて集めたランプの寄贈を受けて実施した企画展とのことで、このような企画展には市立の博物館の存在意義を感じます。

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(写真)南丹市立中央図書館と南丹市立文化博物館の建物。

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(写真)2020年に製作されたばかりの園部城下町の模型。

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(写真)園部市街地の商店図。時期不明だが古くはない。

 

上本町通り周辺の道路拡張工事の影響もあり、2007年(平成19年)には南丹市最後の銭湯だった旭湯が廃業。南丹市立文化博物館は備品の寄贈を受け、常設展示室に銭湯風のエリアを設けています。フジマッサージ機A-1や木製ロッカーが置かれており、"文化" 博物館という名前に負けない常設展示だと思いました。

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(写真)旭湯から寄贈された銭湯の資料の展示。

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(写真)旭湯から寄贈された銭湯の資料の展示。(左)木製のロッカー。(右)マッサージ器。

 

2. 園部町の映画館

2.1 園部映画劇場(1950年-1969年)

所在地 : 京都府船井郡園部町若松町(1966年)
開館年 : 1950年
閉館年 : 1969年
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「園部映画劇場」。1958年の映画館名簿では「園部劇場」。1960年の映画館名簿では「園部映画劇場」。1963年・1966年の映画館名簿では「園部劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は日本料理店「津多屋」を含む数軒分の民家。

本町通りの1本北にある若松町の通りには映画館「園部映画劇場」がありました。通り沿いで目立つ施設は日本料理店の津多屋くらいですが、昔は飲食店が立ち並んでいた通りではないかと思いました。

経営者は口丹波地域の他町と同じく前田興業(三和映画社)であり、亀岡市では「松竹座」・「亀岡座」・「朝日座」を、船井郡八木町では「八木映画劇場」を、船井郡丹波町では「須知会館」(須知映劇)を、北桑田郡京北町では「周山映劇」(周山会館)を経営していました。

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(写真)昭和30年代の園部映画劇場。『映像文化の足跡』(南丹市文化博物館、2009年)。

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(写真)前田興業(後の三和映画社)経営者の前田三次夫妻。『映像文化の足跡』(南丹市文化博物館、2009年)。

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(写真)三和映画社(前身は前田興業)の記念手ぬぐい。松竹座、八木映劇、園部映劇、周山映劇、須知会館が掲載されている。『映像文化の足跡』(南丹市立文化博物館、2009年)。

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(左)園部映画劇場の位置。『映像文化の足跡』(南丹市立文化博物館、2009年)。

(右)園部映画劇場が掲載されている『映画便覧 1968』(時事通信社、1968年)。

 

園部映画劇場が取り壊された後には、跡地を左右に分断するように道路が新設されています。日本料理店 津多屋は映画館があった時代から若松町の通りで営業していましたが、約1軒分北の映画館跡地に移転。広野医院も若松町の通り沿いにありましたが、映画館跡地の奥に移転しています。

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(写真)園部映画劇場の跡地。左側の民家群から道路から右側の津多屋まで。奥は広野医院。

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(写真)日本料理店 津多屋。

 

南丹市園部町にあった映画館について調べたことは「京都府の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(京都府版)」にマッピングしています。

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