振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

伏木の映画館

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(写真)JR氷見線伏木駅

2020年(令和2年)8月、富山県高岡市伏木地区を訪れました。かつて伏木には映画館「東洋劇場」「伏木劇場」がありました。

※2024年(令和6年)2月には本記事から「伏木を訪れる」を分割しました。

 

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1. 高岡市立伏木図書館

1.1 図書館の郷土資料

高岡市立伏木図書館は2015年(平成27年)竣工の高岡市伏木コミュニティセンターに入っています。図書館の入口前には北前船の模型が展示されており、入口近くに郷土資料コーナー(ふるさとコーナー)があるのは好印象です。

ただし、郷土資料コーナーには伏木に関する文献が何冊か面展示されてはいたものの、基本的にはその他の郷土資料と混ぜて置かれていました。長い伏木の歴史をかみ砕いて理解できるような収集も展示ではないように見受けられました。

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(左)伏木図書館が入る高岡市伏木コミュニティセンター。(左)高岡市立伏木図書館の入口。左は北前船の1/10模型。

 

郷土資料コーナーの上部には大きな字で「藤井能三と伏木図書館」と書かれているものの、藤井に関する説明があるわけでもなく、藤井を主題とする文献も確認できなかったのも不満が残りました。

一般書の書架には「万葉コーナー」と「海のコーナー」が別置されていました。児童書エリアには高岡市出身の藤子・F・不二雄の漫画コーナーがあるようです。

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(写真)「藤井能三と伏木図書館」。

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(左・右)「万葉コーナー」と「海のコーナー」。


1.2 図書館の歴史

伏木における図書館の歴史は1920年大正9年)開館の伏木町立図書館に遡り、この時代から2階建ての立派な単独館だったようです。1962年(昭和37年)には2代目の建物となる旧館に移転し、2015年(平成27年)開館の現行館は3代目の建物にあたります。

1942年(昭和17年)からは高岡市立図書館の分館だったにもかかわらず、1970年(昭和45年)には伏木図書館単独での創立50周年記念要覧が発行されています。この2020年(令和2年)が創立100周年にあたりますが、何か100周年を記念した事業を行うのでしょうか。

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(左)1920年から1960年までの初代伏木図書館。(右)1962年から2015年までの2代目伏木図書館跡地にある駐車場。右は万葉スポーツセンター。

 

2. 伏木の映画館

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(写真)現在の伏木の航空写真。地理院地図

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(写真)1960年代の伏木の航空写真。地理院地図

 

2.1 伏木劇場(1933年8月-1962年頃)

所在地 : 富山県高岡市伏木新町41(1962年)
開館年 : 1933年8月
閉館年 : 1962年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1933年8月開館。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1934年の映画館名簿では「伏木劇場」。1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年・1943年・1947年・1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「伏木劇場」。1958年・1960年・1962年の映画館名簿では「伏木映画劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「氷見伏木信用金庫氷見支店」南側の空き地。

JR氷見線伏木駅に併設された伏木観光推進センターの男性(70代?)によると、「氷見伏木信用金庫の手前に空き地の場所には伏木劇場があった。戦前からあった劇場で、弁士がいたこともある」そうです。

なお、伏木中央町の前山冷菓店の店主(70代-80代)に伏木の映画館について聞いたところ、「伏木駅前には映画館があったが、何十年も前に閉館した」とのことで、東洋劇場のことのみ話してくださいました。年齢的には伏木劇場のことも知っていると思われる方であるため、伏木劇場については映画館ではなく劇場という認識なのかもしれません。

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(左)伏木劇場跡地の駐車場と氷見伏木信用金庫伏木支店。(右)伏木劇場跡地の駐車場とホンダプリモ伏木。

 

木劇場の所在地である「伏木新町」は現存しない町名であり、現在の伏木錦町や伏木湊町にあたるようです。現地に設置されている町名碑によると、伏木新町という町名の設置は1886年明治19年)。1919年(大正8年)に皇太子(後の昭和天皇)が伏木を行啓した際には、荒地だった伏木新町を貫いて奉迎道路(現在の富山県道24号)が造成され、これを契機として伏木新町の市街地化が進んだようです。

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(写真)伏木劇場前の富山県道24号。

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(写真)旧新町の町名碑。

 

2.2 東洋劇場(1957年頃-1967年頃)

所在地 : 富山県高岡市伏木新島331(1966年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1967年頃
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「伏木東洋映画劇場」。1963年の映画館名簿では「東洋劇場」。1966年・1967年の映画館名簿では「伏木東洋映画劇場」。1968年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「JA高岡伏木支店」南のアパート「レオパレスふしき」。

伏木観光推進センターの男性によると、「伏木駅から)すぐそこのアパートとその駐車場の場所には東洋劇場があった」とのことでした。跡地のレオパレスふきしは、このページ冒頭に掲載した伏木駅の写真にも写っているくらい駅に近い建物です。

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(写真)東洋劇場跡地のレオパレスふしき。

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(写真)伏木東宝劇場が掲載された1966年の住宅地図。「東宝」は「東洋」の誤りだと思われる。

(右)伏木映画劇場と伏木東洋映画劇場が掲載された1962年の映画館名簿。

 

伏木の映画館について調べたことは「富山県の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(富山県版)」にマッピングしています。

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