振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

海老の映画館

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(写真)海老劇場の建物を転用した遠山自動車の工場。

2020年8月、愛知県新城市海老(えび、旧南設楽郡海老町)を訪れました。かつて海老町には劇場・映画館「海老劇場」がありました。建物は自動車工場に転用されていますが、現存する愛知県最古の映画館建築だと思われます。

 

1. 海老を訪れる

1.1 海老の概要

東三河地方にある新城市はJR飯田線沿線の自治体。飯田線本長篠駅から北設楽郡設楽町中心部に向かうバス路線の途中に海老があります。

豊川の支流である海老川に沿って伊那街道(中馬街道)が通っており、海老は宿場町としての性格を有していたようです。海老という特徴的な名称の由来ははっきりしませんが、海老川に川海老がいたためだとする説もあるようです。

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(地図)愛知県における新城市と海老の位置。©OpenStreetMap contributors

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(写真)海老。地理院地図

 

1.2 海老を歩く

1894年(明治27年)には南設楽郡海老村が町制を施行して海老町が発足していますが、南設楽郡では新城町(現・新城市)に次いで2番目に町制を施行した自治体であり、後の鳳来町域ではもっとも早かったようです。

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(写真)昭和初期の海老町。『目で見る東三河の100年』郷土出版社、1991年。

 

1929年(昭和4年)5月22日には南設楽郡長篠村(現・新城市長篠)から海老町を経由して北設楽郡田口町(現・北設楽郡設楽町田口)に至る田口鉄道(後の豊橋鉄道田口線)が開業しました。これに先立つ4月10日には海老劇場が設立されており、劇場の設立と鉄道の開業は無関係ではないと思われます。

1956年(昭和31年)には海老町が鳳来町編入されて廃止され、1968年(昭和43年)9月1日には豊橋鉄道田口線も廃線となります。海老は鳳来町の中でも交通の不便な地区となりましたが、JR飯田線本長篠駅設楽町中心部を結ぶバス路線があることで、現在もかろうじて個人商店が残っています。

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(写真)伊那街道に面した海老の商店街。

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(左)海老橋正面にある吉良屋と海老バス停。(右)海老交差点。集落内唯一の信号。

 

2016年(平成28年)3月には新城市立海老小学校が廃校に。校舎や体育館は現存しており、赤色の瓦が印象的な校舎はまだ新しいようにも感じました。

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(左)新城市立海老小学校跡地。2016年廃校。(中)海老川。(右)海老神社。

 

海老の中心部の高台には曹洞宗の東泉寺があります。2011年(平成23年)から境内裏手の山に山桜を植える「とうせん桜里山プロジェクト」を行っており、寺院と住民の距離感が近いのかもしれません。本堂北側にある堂の縁側にはねこがたくさんおりました。

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(写真)東泉寺。

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(左)東泉寺の境内。右奥は宮本病院。(右)東泉寺の境内入口と遠山自動車。

 


2. 海老の映画館
2.1 海老劇場(1929年-1963年頃)

所在地 : 愛知県南設楽郡鳳来町海老南興津(1963年)
開館年 : 1929年4月10日
閉館年 : 1963年秋頃
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「海老劇場」。1965年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。現在の跡地は「遠山自動車」。映画館の建物が現存。

1950年代後半から1960年代前半の映画館名簿には「海老劇場」が掲載されています。海老劇場の経営者は山田功、支配人は原田唯一。木造2階建の建物に350席を有し、松竹や東映の作品を上映していたようです。

海老郷土史資料保存問題懇談会『海老風土記』(海老地区委員会、1999年)には「東泉寺下に設立された」とあるため、東泉寺近くで映画館の痕跡がないか探していると、年配の男性に声を掛けられました。この男性は「小学校5年-6年頃に(1959年の)伊勢湾台風を経験した」とのことなので70代前半と思われます。

海老劇場は東泉寺の山門下にあった。遠山自動車の屋根を覆うトタンは新しいが、建物は海老劇場の建物をそのまま使っている。絵が描かれた天井が残っているのではないか。海老劇場では主に東映の作品が上映された

この辺りの大きな地区としては海老川下流に玖老勢(くろぜ)があるが、玖老勢には公民館しかなかった。玖老勢公民館では日活作品の移動上映会が行われていたため、海老劇場では日活作品は上映されなかった

よその地区からも観客が豊橋鉄道田口線に乗って海老劇場に訪れた。海老劇場には2階席もあり、青年団などの若者が多い2階席では恋も芽生えた」と話してくださいました。

『海老風土記』には海老地区の年表が掲載されています。海老劇場は1929年4月10日開館とのことで、現存する建物はこの際に建てられたのでしょうか。愛知県には昭和30-40年代以前に建てられた映画館建築が4館現存していますが、「木曽川東映劇場」(一宮市)、「新豊座」(稲沢市)、「国際劇場」(一宮市)はいずれも戦後に建てられたようであり、海老劇場は愛知県最古の映画館建築だと思われます。遠山自動車の工場内を覗いてみると屋根の木組みが見え、また天井には絵が描かれているように見えました。

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(左)海老劇場の建物を転用した遠山自動車。(右)屋根の木組みと絵が描かれた(?)天井。

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(写真)海老の中心部と海老劇場跡地。地理院地図

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(写真)1971年の海老の住宅地図。1968年廃線豊橋鉄道田口線もなぜか描かれている。1963年の海老劇場は描かれていない。「下町」の文字付近にあったと思われる。海老川の上にある「遠山モータース」は海老劇場跡地に移転した遠山自動車のことと思われる。

 

海老の映画館について調べたことは「東三河地方の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(愛知県版)」にマッピングしています。

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