振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

江波の映画館

f:id:AyC:20200730234522j:plain

(写真)『この世界の片隅に』のポスターが掲示されている八丁座

2020年(令和2年)7月、広島市中区の江波(えば)を訪れました。戦後の江波には「第三有楽」と「江波松映」という2館の映画館がありました。

 

1. 江波を訪れる

江波には広電江波線が通じており、広島駅から乗り換えなしで訪れることができます。2016年(平成28年)に公開された映画『この世界の片隅に』では、主人公の浦野すずが江波で生まれ育ったという設定であり、「波のうさぎ」の絵を描いた江波山などにも登りました。

f:id:AyC:20200730225420p:plain

(地図)広島市における江波の位置。©OpenStreetMap contributors

f:id:AyC:20200730225433p:plain

(写真)現在の江波。Google マップ

 

戦前の江波の地図を見ると、現在の広島電鉄江波車庫や江波中学校付近には広大な陸軍江波射撃場があったことがわかります。

f:id:AyC:20200730230759p:plain

(写真)1930年頃の広島市の地図。『日本地理風俗大系 第10巻』新光社、1930年

(地図)『最新大廣島市街地図』丸岡才吉、1938年。

 

2. 江波の映画館

戦後の江波には「第三有楽」と「江波松映」という2館の映画館がありました。1950年(昭和25年)の地形図を見ると江波の市街地は港周辺のみですが、1950年代から1960年代初頭にかけて西側に大きく広がり、第三有楽があった場所付近にも商店が集まっていたようです。1980年代には江波地区を南北に縦断する道路が開通し、2014年(平成26年)には江波地区を東西に横断する広島南道路が開通したことで、江波の環境は大きく変化しています。

f:id:AyC:20200730225929p:plainf:id:AyC:20200730225934p:plain

(左)1925年の江波。(右)1950年の江波。今昔マップ on the web

f:id:AyC:20200730225447p:plain

(写真)1960年代前半の江波。今昔マップ on the web

 

2.1 江波松映(1957年末-1960年代中頃)

所在地 : 広島県広島市江波本町(1960年)、広島県広島市江波町808(1963年)
開館年 : 1957年末
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「江波松映」。1960年・1964年の住宅地図では「江波松映」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1966年の住宅地図では跡地に「新宅家具店」。跡地は「中山ビル」。

f:id:AyC:20220207014120j:plain

(写真)「映画館」『キネマ旬報』1958年1月15日、195号

f:id:AyC:20201106153522j:plain

(地図)江波松映付近の住宅地図。中央右。

 

2.2 第三有楽(1953年-1970年代初頭)

所在地 : 広島県広島市江波町15(1955年・1958年・1960年・1963年・1969年)
開館年 : 1953年12月
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955年版』によると1953年12月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「第三有楽劇場」。1958年・1960年の映画館名簿では「第三有楽座」。1960年・1962年・1964年・1966年の住宅地図では「第三有楽」。1963年の映画館名簿では「第三有楽」。1969年の映画館名簿では「広島第三有楽劇場」。1969年の住宅地図では「第三有楽座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は駐車場。

f:id:AyC:20200730234702j:plain

(写真)第三有楽跡地にある月極駐車場。奥は広島南道路。背後は江波皿山。

f:id:AyC:20200730234709j:plain

(写真)広島南道路から見た第三有楽跡地の駐車場。