(写真)つぐグリーンプラザ図書室の入口。
1. 設楽町津具(旧・津具村)を訪れる
2018年12月、愛知県北設楽郡設楽町津具(旧・北設楽郡津具村)にあるつぐグリーンプラザ図書室を訪れました。設楽町に2館ある図書室のひとつで、もう片方の設楽町民図書館は設楽町の中心地区である田口地区にあります。
大学時代以外の期間はずっと愛知県で暮らしてるのに、2016年まで愛知県北東部の北設楽郡(設楽町・東栄町・豊根村)を訪れたことがありませんでした。しかし2017年秋には設楽町田口を、2017年冬には豊根村を、2018年夏には東栄町を訪れており、北設楽郡を訪れるのはこの2年間で4度目です。以下のブログエントリーや、私が作成したWikipedia記事も参照してください。
設楽町民図書館を訪れる - 振り返ればロバがいる - 2017年11月投稿
豊根村ふれあいセンター内図書コーナーを訪れる - 振り返ればロバがいる - 2018年1月投稿
設楽町民図書館 - Wikipedia - 2017年11月作成
東栄町体験交流館のき山学校 - Wikipedia - 2018年6月作成
(地図)愛知県における設楽町津具の位置。©OpenStreetMap contributor。
東三河地方の河川といえば豊橋市で三河湾に注ぐ豊川 - Wikipediaであり、設楽町田口は豊川の上流部に位置します。しかし、旧・津具村は静岡県浜松市/磐田市で遠州灘に注ぐ天竜川 - Wikipedia水系の流域にあり、豊根村の上流にあたります。さらに、設楽町の中でも名倉地区は西三河地方の河川として知られる矢作川 - Wikipedia水系の流域にあり、設楽町は3つの大河川の分水界となっています。平成の大合併では分水界を超えた合併が行われたことで、このようなややこしい状況になりました。
(地図)奥三河の水系図と主要地区の標高。©OpenStreetMap contributor。
上の図を見るとわかるように、旧・津具村は北設楽郡の主要な地区の中で最高所にあります。下には津具盆地、設楽町田口、豊根村の色別標高図を示しました。北設楽郡の中心地は設楽町役場がある設楽町田口ですが、津具盆地は設楽町田口や豊根村とは段違いに広く、広々とした農地が広がっています。こちらの個人サイト「津具村」に掲載されている航空写真がわかりやすい。豊根村には “山間の狭い谷に形成された貧しい山村” という印象を抱いてしまったのですが、旧・津具村にそのような印象はまったくありません。
(地図)津具盆地、設楽町田口、豊根村の盆地の大きさの比較。同スケール。地理院地図 色別標高図に文字追加。
なお、北設楽郡域のOpenStreetMapは2011年から2012年に集中的に編集されたようであり、建物の形状が表示されないGoogle mapとは雲泥の差です。「キラッと奥三河観光ナビ」のサイト内にはOpenStreetMapを紹介するページもありました。誰が主導していたのでしょうか。
(地図)設楽町津具におけるGoogle map(左)とOpenStreetMap(右)の比較。©OpenStreetMap contributor。
2. 設楽町津具(旧・津具村)を歩く
下津具地区
津具盆地は津具総合支所を境にして、南東の下津具地区と北西の上津具地区に分かれます。バスの終点である「下津具」停留場から下津具地区を歩き、次に上津具地区を歩き、最後につぐグリーンプラザ図書室を訪れました。
下津具地区の農地にはビニールハウスが多い。農作業をしていた方に「ビニールハウスでは何を栽培しているのか」と聞いたら「トマト」とのこと。村松農園ウェブサイトや愛知県による特産品紹介によると、北設楽郡にある標高500-800mの高原では「奥三河高原トマト」というブランド名の夏秋トマトを生産しているようです。この時期は農閑期なので作物は植わっていません。
かつては下津具地区と上津具地区それぞれに小学校がありましたが、1974年に統合されて中間地点に津具村立津具小学校が開校しました。下津具小学校の校舎は半世紀近くも取り壊しを免れ、丸満産業株式会社津具工場として使われました。赤い屋根が印象的な木造平屋建ての校舎で、近年にはご当地映画『Ben-Joe』のロケ地としても使用されたそうです。旧・津具村有数のインスタ映えするスポットだったと思われますが、2018年第二四半期に取り壊されてしまったらしく、更地になっていました。残念。
(左)下津具のビニールハウス。(中)下津具小学校跡地。更地。2018年12月。(右)下津具小学校跡地。校舎取り壊し前の2011年9月。出典 : Wikimedia Commons。作者 : ESU。
津具基幹集落センターの玄関前には「県立田口高等学校津具分校跡」の碑がありました。現在の北設楽郡にある高校は設楽町田口にある愛知県立田口高校だけですが、かつては津具村の田口高校津具分校(1965年閉校)に加えて東栄町に県立新城東高校本郷校舎(2008年閉校)がありました。
(左)津具基幹集落センター。右手前に田口高校津具分校跡の碑。(中)設楽町立津具中学校。(右)設楽町立津具小学校。
(写真)寒いのでビニールハウス内でくつろぐねこ。
津具総合支所近くの県道沿いにはバスを待つ方が多数。重宝するサイト「東三河を歩こう」によるとこの方々が設置されたのは2016年頃のようですが、2年間で人形がまるっきり変わってるのがおもしろい。消防団の法被を着ている男性3人組が持っているのは手筒花火。飲んべえの男性が抱えている一升瓶は鹿児島の焼酎「田苑」。農作業着の女性が持っているのは五平餅。
手筒花火って東三河地方平野部だけかと思ってたら、奥三河の文化でもあるんですね。三遠南信の山間部ではよく見られる五平餅は、愛知県の山間部では飯田のような眼鏡型ではなく小判型です。観光客にちゃっかりこの地域の文化を紹介してて、このかかしの企画者はどういう方なんだろうと想像させられます。
(写真)バスを待つ村民。
上津具地区
上津具地区は伊那街道沿いにある集落であり、下津具地区よりも規模が大きい。上津具地区の中心部、「下町」交差点には「細野芳江記念碑」があります。この個人ブログによると、賀川豊彦の小説『一粒の麦』に登場する架空の記念碑「細野芳江のために嘉吉が建てた記念碑」を再現した、ということでしょうか。よくわからない。「下町」交差点から100mほどの場所には柳田国男の歌碑も。「海にゐて み山恋しと いふ人に つげばや津具の 旅寝がたりを」。1906年正月、静岡県の興津で詠んだ歌だそうです。柳田は奥三河が好きですね。
上津具を歩いていると、県道だけでなく町道にも丁寧に道路標識が建っているのが目に付きます。農道にも、路地のような道にも。家の裏にあるから家裏線なのかな。
(左)細野芳江記念碑。(右)柳田国男の歌碑。
(左)設楽町道470号寿計田線。(右)設楽町道450号家裏線。
1974年には津具村立上津具小学校も廃校となりました。こちらの学校敷地は工場ではなく津具スポーツ広場に転用されています。グランド脇には「上津具小学校跡」の石碑が建っていました。記憶は薄れるもの。目に見える形で痕跡が残っていることにほっとします。
津具スポーツ広場から山側に歩くと津具八幡宮があり、離れた場所からもスギの社叢が目立ちます。その中の1本「津具八幡宮の杉」は樹齢350年以上とされ、愛知県指定天然記念物となっています。
(左)津具スポーツ広場。(右)石碑「上津具小学校跡」。
上津具中心部には豊橋から飯田や伊那に向かう伊那街道が通っており、道路看板には「豊根」や「稲武」など愛知県内の地名に加えて「根羽」「飯田」など長野県内の地名もありました。現在の人口は1,200人を下回っていますが、戦後すぐの最大時には4,000人を越えており、伊那街道の拠点のひとつだったと思われます。食彩広場津具店は現在の津具唯一のスーパー、隣のファミリーファッションマルユウは津具唯一の衣料品店です。
この辺りで目立つ山といえば碁盤石山(標高1189m)と井山(1195m)。碁盤石山の山名の由来は、「この山に住む天狗は碁の技量にうぬぼれていたが、村人に負けたことで怒って碁盤をひっくり返した」という伝承だそうです。井山の向こうは40万都市豊田市の自治体域。平成の大合併で豊田市に編入された旧・稲武町です。
上津具中心部。(左)伊那街道の交差点「下町」。(中)伊那街道沿いにある酒屋。(右)食彩広場津具店とファミリーファッションマルユウ。
(写真)上津具からは並んで見える碁盤石山(左)と井山(右)。井山山頂の左側には面ノ木風力発電所の風力発電機が見える。
3. つぐグリーンプラザ図書室を訪れる
下津具地区と上津具地区は約2.5km離れていますが、その上津具地区寄りに設楽町役場津具総合支所があり、総合支所の隣に図書館と文化ホールを併せ持つつぐグリーンプラザがあります。津具村時代の1998年に公共施設を集約する目的でこれらの公共施設が完成。当時の中日新聞では「“ミニ遷都” 構想実現へ」と表現されました。
総合支所の脇には「津具村偉人の像」として津具村出身の7人の銅像が建っていました。教育者・裁判官・陸軍中将などさまざまな人物がおり、6人が明治生まれ、1人が大正初期生まれ。4人いる旧制中学卒業生の出身校を見ると、名古屋の愛知一中(愛知県立旭丘高校)が1人、西三河地方の愛知二中(愛知県立岡崎高校)が1人、浜松一中(静岡県立浜松北高校)が2人でした。県外ではありますが浜松との関係も深いのですね。東三河地方の愛知四中(愛知県立時習館高校)出身者はゼロでした。
(左)つぐグリーンプラザ。(中)津具総合支所。(右)「津具村偉人の像」。
設楽町はいわゆる「図書館未設置自治体」であり、田口地区の設楽町民図書館も津具地区のつぐグリーンプラザ図書室も “図書室” の扱いです。利用者用蔵書目録(OPAC)はなく、文献で簡単に調べた限りでは蔵書数もわかりませんでしたが、職員用のデータベースによると「つぐグリーンプラザ図書室19,357冊、設楽町民図書館17,568冊」とのことでした。
複合施設全体の延床面積は4,085.72m2。図書館部分の延床面積はわかりませんが、閉架書庫以外だけで600m2 (20×30m)を超えているのは確実であり、235m2の設楽町民図書館の3倍はあるのではないかと思われます。ソファ席6席、キャレル席4席、4人がけ机4脚、畳コーナーの4人がけ机4脚と閲覧席の種類も豊富。
1998年の開館時点で津具村の人口は約1,800人。蔵書数の絶対数こそ多くないけれど、現時点の人口で換算すると蔵書数は16冊/人という高水準です。館内を見渡す限りでは、施設面では1万人-3万人規模の自治体の公共図書館と同格に見えます。自治体規模を考えると不相応にも見える立派な施設がありながら「図書館未設置自治体」と呼ばれ続けるのは不可思議です。
この日は休日でしたが、館内にいた1時間ほどの間に他の利用者はいませんでした。そんな中で館内をふらふらしながら居座る怪しい利用者に見えたでしょうが、逆に職員さんにはいろいろ質問でき、また写真撮影も「利用者が映らなければOK」と自虐的に答えてくれました。
『したら図書館だより』2018年12月号によると、11月の月間利用者数は284人、貸出者数は119人、貸出冊数は321冊です。同一施設内の文化ホールでイベントがあった際に図書室に入館する方が多いとのことで、設楽町民図書館と利用者数は同等ながら貸出者数や貸出冊数は少ない。学校の定期試験前などには図書室内で勉強する中高生も一定数いるとのことでした。
(写真)図書室内中央部。中央の柱に見えるのは最近話題の豊根村のポスター「チョウザメが、村の人口を超えましたので、食べに来てください」。
(左)窓際の閲覧席。(中)畳コーナー。(右)AVコーナー。開館当時に購入したテレビかな。
1998年の津具村における公共施設集約の際には、つぐグリーンプラザや津具村役場(現・津具総合支所)の前に津具村立津具保育園(現在は設楽町立)も建設されています。2014年には設楽町中心部でも公共施設が集約されて、設楽町民図書館に隣接して設楽町子どもセンターが建設されています。同じ北設楽郡の豊根村や東栄町と比べると、設楽町は子どもが本に接しやすい環境と言えそうです。
(左)児童書。(中)絵本。(右)紙芝居。
(左)新着図書。(中)漫画本。規模の割に多い。(右)雑誌。
カウンター前には各種の文庫が。2015年の奥三河ロータリークラブ解散の際の寄付金を元に設置した「奥三河ロータリー文庫」、2016年に “父・篠宮久雄の遺志を継いだ設楽町出身の徳升美智子・篠宮雄二” からの寄付金を元に設置した「しのみや文庫」(児童書メイン)などがあります。
また設楽町民図書館や東栄町図書室「のき山文庫」などと同じように、愛知県図書館が図書館未設置自治体に設置している愛知県図書貸出文庫もあります。自前で購入できる新着図書の数が限られているだけに、約100冊とはいえ県図書館による新刊は貴重です。
地域資料は『津具村誌』や『設楽町誌』はもちろん、長野県下伊那郡の『根羽村誌』などもあります。同じ北設楽郡でも 豊根村ふれあいセンター内図書コーナーは行政資料や自治体広報の類を置いていませんでしたが、こちらには行政資料などの灰色文献も多数ありました。
(左)奥三河ロータリー文庫。(中)しのみや文庫。(右)愛知県図書貸出文庫。
(写真)地域資料。(右)『津具古文書』など。
4. まとめ
設楽町当局によるつぐグリーンプラザの紹介はこんな感じ。6,000人弱という設楽町の人口規模を考えれば、当局によるPRが不十分なのは仕方ないとは思います。でも、こんな立派な施設なのにウェブ上に館内の写真の1枚もないのはもったいない。
今更ですが本ブログ「振り返ればロバがいる」で重視しているのは、「写真を公開して図書館を “ひらく” こと。それも二次利用可能なライセンスで」。文章は添え物です。
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